細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:33:00 | Weblog

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月13日(土)~22(月)はお休み!!

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん

 
 

 
今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)

●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)

11月16日(火)18:20~(開始予定)

「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)

「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」

11月17日(水)18:20~(開始予定)

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

 

 

2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月1日(日)
・自衛隊にもっと詳しくなりたかったです。映像は良かったです。
(女性、40代、市内)

 

 

 

 


 
 
 

 







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細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:31:25 | Weblog

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

                 

 

 

 

 



 

                 



 
 

 

 

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1) 
栗原 敦
知 ら れ ざ る 戦 後 薬 害 第 1 号 事 件 

 

現在の問題意識 

~当時の法務庁の見解~ 

「厚生次官殿。被害者より国を被告として訴訟が提起された時には、国は敗訴を免れないかと思われる。この際、国としては相当額の慰謝料を支払い、訴訟の提起を防ぐことが得策と考える」 

 当時、国は自分たちがミスを犯し、それが原因で多くの犠牲者を出したことを認識していたのです。それゆえ、『見舞金(死亡者には最高10万円)』を出して、被害者の口封じをはかったのでした。

 田井中さんは、これまで訪ね歩いた遺族の声を本にまとめました。表紙には幼子の遺影を選びました。田井中さんと同じ1歳で予防接種を受け、2歳にならずして亡くなった河村正君です。 

<亡くなった河村正君の母・河村スエノさん>

(京都市)「何ひとつない時分で、母乳だけで育てて、これからという時に…。他の人と同じように生まれながら、かわいそうにと思う。事件を調べて、本にしていただいて幸せです。御礼のしようがない…」 

<田井中克人さん>

 「この事件が現在起きていたらどうなっていたのか。そう考えると、昭和23年(1948年)当時、『人間の命が軽く扱われていた』という思いを強くした。それゆえに、今受けた生を大切にしたい。行動を起こし、人に出会うたび、その思いを強くしている」 

戦後間もない混乱の時期に、短い生涯を閉じた子どもたちの命はそんなに軽いものだったのでしょうか。歴史の中に埋もれてしまった悲惨な薬害事件に、今再び、光が当てられようとしています。[次号につづく]




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細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:30:17 | Weblog
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第18巻雑報

 

 

18巻2号(1934年)

所長就任のご挨拶と職員に対する希望

宮川米次

2、伝染病研究所の使命

然らば、我が研究所の使命は何かと、翻って考えて見たい。伝染病に関する一般の研究検索は申すに及ばず今日においては実際に医学全般にわたる研究検索によってその薀奥を極めることが我らの使命の第一義であります。即ち医学研究が我らの生命であります。そして我々の研究はまさに活きた学問でなければなりませぬ。研究室裡において知り得た結果は、これを直ちに実際社会に応用して疾病の予防撲滅に応用せられなくてはなりませぬ。このために本所よりは、従来も諸種の血清、「ワクチン」が一般社会に供給せられております。これは我らが実際社会に触れておる一証左であります。そしてこの製品に対して我らの得たる研究上の所見によって改良に改良を加え、常により良いものを供給するということを勧めますことがまた非常に大切な事柄であります。このように我らの研究業績は、即社会の実相に触れ得るものでありたいのであります。この意味において私は私らの学問は活きたものでなければならぬと言うのであります。これと同時に本所の使命の1つとして本所は衛生行政に対して、実に唯一の官立研究機関であり又中央衛生会と相まって、内務省の諮問機関であるのであります。このような機構のもとに働いております所員諸君は誠に社会衛生上の実相にかなりの程度まで、触れて行くことができるわけであります。又他面には我々はこの衛生行政を実際に行う技術者の養成をし又一方では病者の治療をも為すのであります。しかし本所の使命は帝国大学の医学部とは相違しております。学問の薀奥を極める点においては共通でありますが、学生の教導するということは本所の使命中にはありませぬ。これに反して、社会の衛生機関とかなり密接に直接交渉していくという使命を有しております。

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

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細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:28:58 | Weblog

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)

(3)そこで、上記(2)の前段の判断基準に基づき本件における国会の立法不作為の違法の有無を検討することとするが、その前提として、必要な範囲で、原告らの主張する本件細菌戦の事実の有無について見ておくこととする。

ア この点については原告らが立証活動したのみで、被告は全く何の立証(反証)活動もしなかったので、本件において事実を認定するにはその点の制約ないし問題がある。また、本件の事実関係は、多方面にわたる複雑な歴史的事実に係るものであり、歴史の審判に耐え得る詳細な事実の確定は、最終的には、無制限の資料に基づく歴史学、医学、疫学、文化人類学等の関係諸科学による学問的な考察と議論に待つほかはない。しかし、そのような制約ないし問題があることを認識しつつ、当裁判所として本件の各証拠を検討すれば、少なくとも次のような事実は存在したと認定することができると考える(認定に供した証拠は、各認定事実の末尾に記載する。)

 
 
 

 

 

 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

 

三月十日

大隊長先ず一場の訓示と共に軍事行動を第三、二の順序に順次展開しつつ左翼はゴルフ山付近 右翼は大和通りを貫くよう前進す、折から風強けれど春のうららかな太陽は名残なく 像の塔の様な舎宅生活の各々の暖炉を断然けって黒山のごとく見物に来る。我重機隊は板倉隊長の指揮の元に予備隊から次第に前進し中学校通りのあたりでは完全に第一線に出、大和通りに沿って敵を襲撃しつつ前進又前進 気合がかかることおびただしい。此の頃よりいよいよ市街に入り在郷軍人の人達と協同しつつ小学生軍の予備隊と共に足下がおぼつかない位に走り回って最後の攻撃地点たる広場の一隅に銃をすえ、猛然と射撃すれば耳はガンガンして聞こえず 黒山の如き見物人は街路を隔てて感心している。

 

 
 
 
 
 
 
 
軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

エピローグ 広島から・・・・・


 

 しかし彼女のつつましいエゴイズムもごく短い期間のみ持続したに過ぎない。やがて意識を失った彼女がまる一昼夜して意識を取り戻した時、≪私は目が見えなくなっていた。手をあげようとしたが右手は重くて自由にならなかった。左手先でソッと顔に触れた。額、頬、口まるで豆腐とこんにゃくをつき混ぜたような感じで鼻もないようにブクブクに膨れ上がっていた。私はフトあの石塀の下の化け物のような姿を思い浮かべ戦慄した≫
この瞬間、彼女自身もまた暗い沈黙の輪に加わる他になかったであろう。
 

 

 
 
 
 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:26:29 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 ●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集

731部隊を詠む

 

とべ しゅん(仮名=ペンネーム)

1644部隊

〈経歴〉

1919年生まれ

1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属

1944年 帰国。召集解除

■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。

 

伝染病菌の検索と研究

 3課では7棟1階の北側に事務室、孵卵室(部屋全体を36℃に保持することができる)、ワクチンの製造所として高圧蒸気滅菌機を設置した場所などがありました。事務室も傍らには階段があって、踊り場には常時2名、1課の警備兵がいて、1名が巡回に行っても、1名は決して定位置を離れることはありませんでした。

 警備兵は腰に拳銃を吊り下げていて、他課の者は2階以上に昇ることができないようになっていたのです。

 いつだったか他部隊から転属してきた軍医大尉が週番士官の勤務について巡察に来た時、2階に昇ろうとして警備兵に阻止されたので、怒った彼が部隊長に訴えたところ、「それはお前が悪い。あの場所は週番士官あっても入ることができないのだ」と言われたという話が、兵隊たちの間では笑い話として密かに伝えられていました。

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

2 華北

4 山西

高梨文雄自筆供述書(1955年)

築館は淡い紅色の斑点模様の肺臓を取り出して皆に見せた後、心臓を肋骨の間から押し出していった。

「こんな小さなものが人間の生命を支配しているのだ」。

皆は聞いていたが、誰一人口を開く者はなかった。

 築館は引き続いて咽喉を切開し、睾丸を切開した。

 2時間近い時が過ぎた。顔と手足以外バラバラに切り刻まれた人体は、なお最後の力を振り絞っていく度となく私が押さえつけている手から逃れようとした。そんなわずかな力さえ失ってしまうと、築館は注射器を取り上げ

「よし、もう苦しませないぞ」と言って針の先を心臓に突き刺した。その身体は一瞬の間かすかに痙攣したかと思うとぐったりし、もう動くことはなかった。

 一人の身に寸鉄も帯びない農民が、このように生きながら切り刻まれて殺されるという、世にも稀なほど悲惨な方法でその生命は奪われたのである。

(1)119-1、179、第56~59頁)

原注:文は高梨文雄が戦犯管理所です自ら進んで書いたものである。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

1 日本軍の 毒ガス戦の特徴

「作戦要務令」に見る日本軍の毒ガス戦の戦闘原則

第一は、「瓦斯を使用するは報復手段としてあらかじめ許されある場合に限るものとす」(第2)と、先制使用を想定していないということである。中国戦線で毒ガス兵器を使用している最中にこのような表現を採用しているということは、この文言は将来の戦争を想定していると思われるが、陸軍中央は、第1次世界対戦の様相から、欧米諸国と比べて日本の毒ガス戦能力がそれに及ばないことを十分認識していたために、報復に徹しようとしていたのであろう。これは、後述するように、毒ガスの使用について、対欧米と対中国という二重の基準を持っていたことを傍証するものである。

 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第7章 残虐な毒ガス戦

 

動かしようのない事実

 

百団大戦における日本軍の公然たる毒ガス放射

日本軍の毒ガス使用状況は「百団大戦」戦報でその一端を伺い見ることができる。

 

戦報34

この日(29日)5時頃陳旅団長、自ら一部有力部隊を率い、両端より敵側面を激しく攻撃、敵は数か所に分断され、一部壊滅。残敵は道路に穴を掘り、また家屋を盾に尚も抵抗、かつ毒ガスを撒き散らし、夕刻、毒ガスの掩護によって東に逃走。当戦闘による敵方の死者200余、わが死傷者100余、旅団長・陳錫聯、旅団政治委員・謝富治、参謀長・曾紹山以下、被毒者100余人・・・

 

戦報57

(8月末)滄石路の敵はわが軍の連日不断の有力な攻撃に恐怖をきたし、道路西側に地雷、手榴弾を埋設、各拠点ではそれぞれ毒ガスを準備、わが襲撃を避けんがため、日暮れより払暁まで四方に発砲射撃す。

戦報103

(1)9月20日夜、わが師団の一部が引き続き五寨南の風子頭を襲撃、敵の拠点にある障害物やトーチカをすべて破壊、40余名を殺し、歩兵銃10余丁を捕獲、敵の残兵は地下道を固守し毒ガスを大量に放射、わが死傷者50余、被毒者相当多数

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:23:37 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

逮捕

妻を拉致して夫を誘い出す

松原俊三郎

監督警尉 捜査主任

〈略歴〉

本籍地:岩手県盛岡市

出身階級:中農

学歴:尋常高等小学校高等科2年卒業

職業:鉄道労働者

所属部隊名:旧満州国斉斉哈爾(チチハル)市警察局刑事科

被捕年月日場所:1945年10月7日 旧満州国斉斉哈爾市

年齢:47歳

 

 「女房に早く共犯を自供するように言わせるんだ。奴も里心を出してきっと図星だ」

劉万全が頷いて立ち去った。やがて静かな足音がドアの前に停まって、婦人は一歩を部屋に入るやこの様子を見ると、ぎょっと立ち止まって、

「アッ!春生」と叫んだ。

はらわたを絞るような声と同時に、狂気のように夫に駆け寄ろうとしたが、サーッと顔色が蒼白に変わり、全身が痙攣し、大きく前後左右に揺れたかと思うと、

「ウウー」と虚空を掴んで、ばったりと床に倒れてしまった。

張春生は「アッ、畜生」と一声、

カッと眼を見開いて全身のあらん限りの力を振り絞って反抗し、台をガタガタ揺り動かし、そしてあらん限りの声を絞って、

「女子どもをどうしようと言うんだ。貴様、それでも人間か!」と叫び、

火のように怒って台を揺すったが、その顔はだんだん苦悶に変わり、遂に動かなくなり、がくりと頭を前に垂れてしまった。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
 
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第3章 秘密保全の機構と体制

3  産軍複合の秘密

金にまつわる秘密漏洩

 産軍複合体の秘密漏洩ルートは、退職将校を媒介としてつくられている。空将(空軍中将にあたる)で退職し某社に天下りした固武二郎が、『航空自衛隊幹部学校記事』(69年11月号)に書いている内輪話は、こうである。「私の現在の待遇は、旧職場の元二佐、某君より相当低い。退官時の廻り合せにもよろうが、その決定的要素は、職場の適否と実力の再評価である」。彼は、入社早々、上役から4次防の概況を求められて資料の収集に腐心し、またF104の着地スピードを問われて面喰らった。前者は、会社の長期企業計画策案の要素であり、後者は、ある電子計器設計上のポイントであった・・・」とも述べている。固武元空将は軍隊社会から脱け切れなかったのか、企業にとってあまり有用ではなかったらしい。

だが、いずれにせよ天下りした退役将校は、会社の長期計画立案のために必要な防衛力整備計画についての資料収集や、特殊な防衛機器設計に必要な技術的知識の提供等々を求められることがわかる。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

アメリカにおける生物・化学兵器の開発

米陸軍が、大量の神経ガス、糜爛ガス(マスタード)を大西洋に投棄しようとしていたことが、マッカーシー米上院議員によって暴露(69年5月)され話題を呼んだことがある。

 同議員が調べたところによると、米陸軍は第2次世界大戦中に製造した2万7千トンにのぼる毒ガスを廃棄することになり、貯蔵している基地から大西洋岸のニュージャージー港まで鉄道輸送する計画であった。しかも米陸軍は、この危険物を輸送するための危険防止措置を講じる計画を持たず、今までも毒ガス入りの3ガロン缶を民間機で普通貨物並みの注意で輸送していたと指摘した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-11-12 12:12:47 | Weblog

●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

     


4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

間もなく語り手は年輩の侍従とおぼしき人物に出会い、彼は無造作に「あっちの方へ行けば天皇、皇后両陛下が殺(や)られている」と教えてくれた。語り手は言われたとおり歩いてゆき、殺されたふたりを目撃するが、皇后のスカートに「英国製」というラベルがあるのを見て、天皇の背広も英国製だと推定する。夢の核心は、語り手と明治天皇の妃である昭憲皇太后との次のやりとりである。なお、語り手は、皇太后を裕仁の母である貞明皇后と混同している。

「てめえだちは、誰のおかげで生きていられるのだ。みんなわしだちのおかげだぞ」〔中略〕

「なにをこく、この糞ッタレ婆ァ、なんの証拠があってそんなことを言う。てめえだちの様な吸血鬼なんかに、ゼニをしぼりとられたことはあっても、おかげになんぞなったことはねえぞ」〔中略〕

「なにをこく、この糞ッ小僧、8月15日を忘れたか、無条件降伏して、いのちをたすけてやったのはみんなわしのうちのヒロヒトのおかげだぞ」〔中略〕

「終戦になって生命が救かったのは、降伏するようにまわりの人だちが騙すようにてめえの息子にそういうことを教えてやったのだぞ。・・・・・」

 その後で皇太后は「みんな国民はわたしだちを有難がって、なんやかやしてくれるし、あげくの果てにしぼりとったとか吸血鬼だなんてぬかしゃアがって、てめえだちが勝手に、そうしたがったくせに、ふんとに、いい迷惑だよ、フン」と挑戦的につぶやくのである。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇

 731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地球を破壊する核爆発・核実験
イギリス

イギリス初の核実験を伝える西オーストラリア新聞

モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁オーストラリア)での核実験。

 · 1952年10月3日 初の原爆実験。コードネームハリケーン

エミュー(オーストラリア)での核実験

1953年実施

マラリンガでの核実験

1957年アントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。

クリスマス島での核実験

1957年5月15日 初の水爆実験。

 水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

           
JCOの臨界事故

福島第1原発事故
核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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