核時代39年(1984年)5月初版発行
毒ガス実験
―8名の農民を生体実験に
三上忠夫
軍曹
〈略歴〉
本籍地 千葉県銚子市
出身階級 漁民(小資産)
学歴 尋常小学校6年中途退学
卒業後の職業 漁師
最終部隊 旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊
捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校
年齢 37歳
真正面の土堤の上に立った教官富山少尉が片手に軍刀を持ったまま、この様子をじいっと見ていたが、「ガス無し面取れ」と言うが早いか、もう小銃を両足の股に挟んだ兵隊たちは、素早く面を顔からもぎ取るように脱いでいた。汗でぐっしょり濡れた顔に4本の締め紐の跡が真っ白くついている。みなホッとしたような、緊張したような顔つきで立っている。「午前の演習終わり、午後は兵器被服の手入れ、解散」・・・先任の篠原軍曹の指揮で敬礼が終わった。「分かれ」「ご苦労さん」・・・・「ご苦労さんです」と一斉に内務班に入った。
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
三矢研究第1回合同演習実施要綱
三矢研究第1回合同研究を次により実施する
三矢研究統裁官
基礎研究-1
非常事態諸法令の研究
1、国家総動員対策の確立
1人的動員
事項
(1)一般労務の徴用
(2)業務従事の強請
(3)防衛物資生産工場におけるストライキ制限
(4)官民の研究所・研究員を防衛目的に利用
(5)防衛徴集制度の確立(兵籍名簿の準備・機関の設置)
(6)国民世論の善導
法令研究
隊法103条の強化
(隊法103条)罰則規定
大東亜戦争間
徴用令、緊急国民勤労動員方策要綱
敵側思想謀略確保方策及対敵宣伝方策
本土決戦対策指導方策要綱
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。