核・戦争のない世界!!

2025-01-06 10:10:48 | Weblog

関電 高浜原発1号機 国内初 運転開始50年超 安全性確保が課題

東電 style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;">

 
 
 
 

 

 

 

第112回八王子アクション


東京 新宿「戸山公園」で鉛や水銀など検出 一部で立ち入り制限

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024.11.6 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!

「日本人は戦時中、ひどいことをさんざんしました。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません」

 

平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!

 

2024 11 16平頂山集会

 

2024 11 16平頂山集会 纐纈講演





 
















平頂山事件92年「歴史を学び合い、不再戦を誓う」集会 アンケート集計

 

  (集会をどこで知ったか)(記入者年代)

2、インターネット、70代

・纐纈講演

改めて日中間の歴史認識を問い直さなければならないと思いました。

そのヒントの多くを提示していただきました。

 

・パネルディスカッション

 日本の政治歴史研究者と中国の歴史研究者の日中事件、アジア太平洋戦争をめぐる歴史解釈を深めることの重要性を認識した。

「平頂山事件」についてはDVD動画の描き方と井上久士さんが語られた事件の大要を細かい史実の両面からの検証の必要性がよく分かりました。

 現在の中国人の日本人観と日本人の中国人観の相違を深掘りすることから日中間の今後の関係のあり方を考える必要があることを感想として持ちました。

 

・集会全体

平頂山を訪ねたいと思っていたので大変有意義な集会でした。

 

・今後の学習会

 昔から南京事件の虐殺数を巡って論争があると思いますが、実際はどうなのかを明らかにするような学習会と歴史的虐殺事件を廃絶するするにはどうしたらよいかを話し合う場を持ってほしい

 

 

作品によせて

 

1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。

疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。

 居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。

本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15、「出産」
前年に結婚した姉は、5月に男の子を出産した。
停電の中の夜に、産まれたので、ロウソクの灯で近所の助産婦(当時は産婆さんと呼んでいた)さんが出産を取り仕切った。
1946年5月
 

 

少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。

9・29アミダステーション(八王子)

近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)

仁子さんは、ある時期、ある人間が、こういう目に遭っただけではなくそこには万人に共通する何かがあるのではないかと思い、滿さんはこれ(紙芝居)を残したのではないかと考えました。その思いをDVDを制作する過程で強く感じたので、これからこのDVDをどうしようかと考えているところですと、話されました。会場には、「満州」で生まれた滿さんの甥御さんも来ていて、「両親や滿さんに「満州」のことを聞いてもなかなか教えてくれなかったが、50を過ぎた頃、2時間ほどかけ滿さんから、家族8人で、無事に赤ちゃん(私)が日本に帰れるように力を合わせて協力していたことを聞いた」と、その語る声は言葉にならず、嗚咽に近かった。長野県飯田から来られた仁子さんの元同僚は、かつて近藤宅を訪れて、滿さんと会っていたが、「滿さんが、こんな体験をされているとは全く知りませんでした。・・・私の住んでいる飯田の隣に阿智村があって、そこに満蒙開拓平和記念館があります。私もそのボランティアスタッフの1人なんですけれども、証言する人も少なくなっているのでこのDVDを持ち込みたいと思います。満蒙開拓平和記念館と日中友好協会八王子支部が何らかの形で繋がればいいなと思っています。」と話されました。そのあと、こういうことを多くの人に知らせる必要があると思うと言う意見があったり、私も「満州」で生まれて大変な経験をしたということを1人の方が話されると、会場の中には、私も中国にいたとか、何人かの方々が次々にご自分の体験談を話されて、会場にどよめきが起こりました。くしくも9月29日は、52年前の1972年に日中共同声明が発表された日でした。

2024.9.29  少年Mの記憶ー「満州」からの帰還  感想

3、(感想)入院中の中、心からの肉声で体験案内して下さって、胸に響きます。

今この時、戦争は又新しい波を感じます。

皆で心一つに、平和を願います。

 
 
 

*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。


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