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核・戦争のない世界!!

2025-01-24 07:39:28 | Weblog

関電 高浜原発1号機 国内初 運転開始50年超 安全性確保が課題

東電 style="margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: left;">

 
 
 
 

 

 

 

 

第112回八王子アクション

東京 新宿「戸山公園」で鉛や水銀など検出 一部で立ち入り制限

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.1.6 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!

「日本人は戦時中、ひどいことをさんざんしました。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません」

 

平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!

 

2024 11 16平頂山集会

 

2024 11 16平頂山集会 纐纈講演





 
















平頂山事件92年「歴史を学び合い、不再戦を誓う」集会 アンケート集計

 

  (集会をどこで知ったか)(記入者年代)

9、友人知人から、記入なし

・纐纈講演

 とても沢山学びました。役立たせます!!日常活動に。

 

・パネルディスカッション

井上久士先生のお話、(小さいことも と云う)

私も同感、納得するところ多々あります。ありがとうございました。

 

・集会全体

とても良かったの一言につきます。

Thank you!

 

 

作品によせて

 

1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。

疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。

 居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。

本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5、「甲板上の仮設便所」

姉が、激しい下痢を起こした。便所に入ったまま長時間が流れた。

私は、姉の介護の為、大きく揺れている甲板でじっと待っていた。

幸いにして、私は船酔いの体質を持っていない。

1946年8月

 

少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。

9・29アミダステーション(八王子)

近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)

上記のDVD完成上映会には、近藤仁子さんの「満州引き揚げ 絵に遺した夫」の記事(9/15「赤旗」)もあり、予想を遥かに上回る70余名の参加がありました。遠くは長野県飯田市からもお越しくださいました。故近藤滿さんは、1945年の8月の敗戦直後から翌年の8月に日本に帰還するまでの体験を、紙芝居にしていました。滿さんの体験を是非多くの方に知ってもらいたいと、パートナーである仁子さんが朗読した紙芝居のDVDを、この日、お披露目しました。

 
 

2024.9.29  少年Mの記憶ー「満州」からの帰還  感想

4、この集会を何で知りましたが?  日中友好協会チラシ (日中友好協会港支部)

(感想)早速購入します。

 

*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。


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