●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
(8) 被害者個人が加害国に対し損害賠償請求権を有することを内容とする国際慣習法の存否
次にヘ―グ陸戦条約3条の規定とは別に、本件細菌戦当時交戦相手国の行為により損害を受けた個人が当該交戦相手国に対し直接損害賠償請求権を有するとする国際慣習法が存在していたかどうかについて検討する。
国際慣習法とは「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習(国際司法裁判所規程38条1項b)をいうと解されるが、これが成立するためには、諸国家の行為の積み重ね(国家実行)を通して一定の国際慣行(一般慣行)が存在していることが必要である。
これを本件についてみるに、ヘーグ陸戦条約3条に関する国家実行例(前記(4)に照らすと、現時点においても、交戦相手国の行為により損害を受けた個人が当該交戦相手国に対し損害賠償請求権を有することを示す相当数の国会実行例の積み重ねによるによる国際慣行が存在するとは認められない。また、この他に、個人の請求権を認めた個別の条約(ベルサイユ平和条約等)の履行とは無関係に個人の損害賠償請求権を認めた相当数の国家実行例の積み重ねによる国際慣行があるとの証拠も存在しない。
したがって、本件細菌戦当時原告らの主張するような被害者個人の損害賠償請求権を認める国際慣習法が成立していたと認めることができない。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
![](https://1.bp.blogspot.com/-AFWZjTvpKMQ/XtW57QXa-PI/AAAAAAAAthM/-uj37aZ9f64ySdKQe6qBLI15YKxgFUMJQCK4BGAsYHg/s320/%25E5%25AE%2589%25E5%2580%258D%25E9%25A6%2596%25E7%259B%25B8731%25E3%2581%25AE%25E9%25A3%259B%25E8%25A1%258C%25E6%25A9%259F%25E3%2581%25AB%25E4%25B9%2597%25E3%2582%258B2.JPG)
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
日本の中国東北侵略から90年
![](https://1.bp.blogspot.com/-1-SXL71lSnY/XuLSSGkEmJI/AAAAAAAAt3k/vOUn6SasKJ8qIBHaX-xmAExqkB9oaSIiQCK4BGAsYHg/w500-h351/%25E6%2596%258E%25E8%2597%25A4%25E6%25BA%2596%25E5%25A4%25AA%25E9%2583%258E%25E3%2581%25AE%25E6%2597%25A5%25E8%25A8%2598_20200607_0001.jpg)
「1931」斉藤準太郎の日記
二月十四日
そして見出した物は単に精神の美を失した利己のみが眼前に浮いた。それでも自分は最善なる自己の進む本道とさえ思われたのは何故?若さの為のみではない?都会生活が育てた自己本位の本能の支配によるものか。
私は生意気の様であったが、主家の人たちとよく思想上(あまりに大きくなるが)または商売上に於て意見の衝突をし出かした事がある。其のたびに私の頭に浮かぶのは 封建制度の今なお時代に遂行して行く一事がある。私は封建制度によって育った男だ。そして其の矛盾を割合に良く知っているつもりだ。若さの至りで軍に制度上の欠陥を指摘しては 友とも主人とも話した事がある。今考えると赤面の至りだ。
唯悪きのみに引き付けられて此の攻撃する前に 此のアナグロニズムの長所をなぜ知ろうとしなかったのか。若さのみと云うてこれを捨てるのはあまりに危険な悲しみではないか。此の時代遂行の制度の中に 師弟の友和より生ずる親子に近き情は この制度上のみ生まれるのではあるまいか。一つの米を半分にして主家と共に育ち行った私が、此の尊い記録を悟らなかったがためであった。-然し私は之をほんとうに知り別人格に生まれ変わった。私の心は非常に晴れやかになった―其の変わるべき満期は?
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
≪3県連会議に限らず、8・6平和大会で一番大胆な発言、率直な真実を語る権利を持つ者は、被爆者であり、ことに死んだ被爆者でしょう。その空席を確認する儀式が1分間黙祷の類でしょう≫
金井氏は≪被爆者たちの人間的な呻き≫において、被爆して死んだ者たちの声において語ることを願っているジャーナリストなのである。≪原水爆被災白書を実現する具体策として一番困難な問題は、対保守政権の対策でしょう。根本的には、汚れた日の丸から清潔な勇気を、どうしたら引き出せるかということではないでしょうか。広島では、広島大学の教授たちが談話会というグループを作っており、これは日本原水協系と3県連と核禁会議系との三者が仲良く集まる数少ない会合です。この会の先日のスケジュールで、国連へ白書提出の提案について、席上、小生がもう一度報告し、その結果、小委員会というものを作って具体的なプログラムを練ることになりました ≫
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