作品によせて
1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。
疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。
居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。
本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。
8,「それ排便だ」
列車は、時々排便のために停車した。進行中に我慢できない時は、車両の片隅に置いている石油缶に排泄した。
1946年7月
少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。
9・29アミダステーション(八王子)
近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)
最初に、当時の「満州」の様子を描いた、『満蒙開拓にかけた夢』(ユーキャン)を上映しました。 日本軍が侵略して、傀儡国家「満州国」を樹立し、日本人を徐々に「満洲」に移民として送り出していきました。開拓とは名ばかりで、その土地は、元々中国人が耕していた土地を取り上げたのです。満鉄(南満州鉄道)職員は、中国人を使用人として雇い、優雅な生活をしている場面も映し出されました。
2024.9.29 少年Mの記憶ー「満州」からの帰還 感想
1、この集会を何で知りましたか? 近藤仁子さんから
(感想)戦争を知らない私、私の両親は、戦争の話をほとんどしてくれませんでした。DVDを見てとても良かったです。かかわって下さった皆様、ありがとうございました。
*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。
1972年9月29日 日中共同声明調印!!
1、日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
2、日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
3、中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
上野動物園のパンダ リーリーとシンシンが中国に返還「日本に笑顔をありがとう」
9.25『化学学校記事』情報公開裁判
どこまで、防衛省は、自分たちで作った機関誌の存在を隠し続けるのか!!
自衛隊内部で作成した貴重な機関誌がなぜ無いの??
自衛隊は、戦後どんなことをやってきていたのだろうか?
みんなで追及しよう!!「衛生学校記事」「化学学校記事」
次回判決『化学学校記事』、3月19日13:15~東京地裁522号法廷
地球沸騰化!問われる現代人の生活様式、原発、戦争等!!
石川 能登地方 “土砂が川に堆積 氾濫リスク高い”専門家
日本政府は、真摯に過去に向き合っているのだろうか?
戦争の加害者は過去を忘れても、被害者は覚えている!!
平頂山事件92年追悼集会
731部隊元少年隊員、清水英男さんが見た悪夢
元731部隊員清水英男さんの記者会見
青山貞一さんのXにこんなことが書かれていました。
https://x.com/TeiichiAoyama/status/1831478953967821090
ロシアで機密解除された日本の731部隊のアーカイブ文書をロシアメディア(AIF)が公開した。今朝、そのうちの6本を概訳したが、その内容の凄まじさは前例がない日本初出のものが多い。近日中に各全文を一挙掲載する予定である。
元731部隊員清水英男さんの訪中が意味するもの
リニア新幹線反対!!
民家の庭から水、リニア工事中断 style="color: red;">軍隊をなくそう!!
推せんメッセージ
☆☆平和が文化となった国、理想を現実にした国コスタリカ style="color: #274e13; "> サンディニスタ民族解放戦線
キューバ革命の影響を受けて、1961年にニカラグアで創設。63年からソモサ独裁政権に対する武装闘争を開始。 style="color: #274e13; ">
米州総合援助条約
1949年に発効した、北米・中米・南米諸国間の防衛に関する相互支援条約。その締結地から、リオ条約とも呼ばれている。
第1章 class="p" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; mso-line-height-alt: 12pt; mso-pagination: widow-orphan;">2 class="p" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; mso-line-height-alt: 12pt; mso-pagination: widow-orphan;"> 実はこの10日後の8月22日は、中曽根政権発足1000日の記念すべき日であった。その時新聞各紙が報じた軽井沢町でのコメントの一部を抜粋する。
『今日まで政治を遂行できて望外の幸せである』とし、『防衛問題については、非常に慎重に手続きを尽くしてやっていきたい。(略)新しい防衛計画は何しろ財政が厳しいので、質的効率化を中心に計画が練られるべきだ。文民統制を全うする手順、内容を考えて進めていくことが大事だ。防衛費の対国民総生産(GNP) class="p" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; mso-line-height-alt: 12pt; mso-pagination: widow-orphan;">
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