●ニュース
北朝鮮、弾道ミサイル発射中止=核実験場廃棄、経済建設に集中 イラク日報、調査が難航 結果報告、大幅遅れか 「柳瀬唯夫氏面会」メール公表 文科省、内閣府から送信 金子勝:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.4.20 ●靖国問題!! 何で、標本木が靖国神社にあるのか??おかしいと思う!! 東京の桜が開花宣言!靖国神社の標本木を見てきた ・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!) 裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか? 「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」 安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴 ●侵略戦争!! 日中戦争全史年表 ・1937年(昭和12) 11月3日 米英の提案により、日本の9ヵ国条約違反を問うブリュッセル会議開催 11月5日 第10軍(司令官柳川平助)杭州湾に上陸、上海戦の中国軍の背後をつく トラウトマン駐華ドイツ大使、日本の和平条件を蒋介石に伝える(トラウトマン和平工作) 11月7日 上海派遣軍と第10軍を合わせ中支那方面軍編成(司令官松井石根) 11月15日 第10軍幕僚会議、独断で中国軍の南京追撃を決定 11月20日 日本政府、軍部、大本営を設置、別に大本営政府連絡会議設置 国民政府、重慶への首都移転を宣布 11月24日 ブリュッセル会議閉幕、日本の国際法違反を非難決議するも、対日経済制裁決定は回避 11月下旬 中支那方面軍、独断専行により、南京攻略戦発動 12月1日 大本営、南京攻略を下令 12月2日 蒋介石、トラウトマン駐華ドイツ大使に対日和平交渉受諾を談話 12月4日 中支那方面軍の前線部隊、南京防衛陣地(南京戦区)突入、南京大虐殺事件起こす 12月10日 日本軍、南京城市を総攻撃 重慶大爆撃パネル展 2017年10月 「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 中国侵略にまっしぐら!! 無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!! 空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃> 重慶爆撃 アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした?? カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。 米軍による日本への無差別爆撃 本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル 重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!! 昭和天皇が戦争狂になった訳 ・安倍晋三の祖父は岸信介 岸信介という人 以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より 岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。 国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。 岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。 岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。 岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。 そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。 このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。 戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。 強制連行の決定 満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略 ●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター 感想 ・昨年(2016)も来たので、今回はアウトライン的に見学、読みました。百人斬り競争の、原告側弁護士が稲田朋美だと知りました。見事に最高裁で敗訴!南京占領、大虐殺は消すことのできない事実なのに、右翼は平然と「無かった」と言い、世間に流布されていることは恐ろしいことだ。うそが事実を超えて人々を覆い、虚構の上に世の中が動いていく風潮を正さなければなりませんね。Post truth が話題になってますね。70代男性 ●731の実態 特に目についたのは高い煙突です。篠塚さんの見た煙突はロ号棟の北西側にあった、その下につながれているのは、実験者の遺体を燃やす焼却炉だった。1945年8月、731部隊が撤退したとき、徹底的に破壊された。その後ろには、動物の遺体を燃やす焼却炉と日本人の遺体を燃やす専用焼却炉が並んでいた。少年隊員の日常は間もなく、様々な授業に占められた。基礎的授業以外に防疫給水や消毒殺菌、人体構造、細菌学の授業もあった。・・・・ ・・・・ 731 (2) 第4回 日本軍による人体実験 闇に消された虐殺~731部隊 731部隊のドキュメンタリー ・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!! 悪魔の飽食:復号731 ●本の紹介 ●特移扱(とくいあつかい)資料 原美臻の特移扱資料8 ●今、731を問う!! 日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。22 謝恩と巡礼訪中報告会 謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話) 731部隊の展示会(中国) 特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 一 戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 5、いまどんな議論が必要か ■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪 ―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。 日本の医学者・医師の先の戦争における医学犯罪があまりにも知られていないことがまずあげられるでしょう。 ナチス・ドイツの戦争医学犯罪のように国内外で、あるいは医学界・医療界で議論が広く活発に行われているかというと、残念ながらそうではありません。 私たちは、その都度論点整理をしながら、問題提起をし、それなりの前進があったと思いますが、国の内外あるいは医学界・医療界で世論を動かすほどにはいたっていないように思います。 国際的には、前述したように、米国政府が、極秘の取引により共犯者となり、隠蔽してきた歴史があります。ナチス・ドイツの戦争医学犯罪の検証が進められているドイツでも日本の戦争犯罪・人道に反する罪についてはほとんど議論にはなっていません。 日本の医学界・医療界が60年以上隠蔽し、今もって自省の動きが見られないというのは国内外の世論、議論の程度や国が戦争責任を果たしていないことを反映しているともいえます。 (月刊『前衛』より) 旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます! ●731部隊本部(平房) ●731部隊遺跡を世界遺産に!! ●福沢諭吉 福沢諭吉について6 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。 ──福澤が明治15年に立ち上げた時事新報は、当時の新聞が政党機関紙化していたなかで独立を掲げ、一躍日本を代表する新聞になりました。 ところが福澤はその新聞発行の趣旨で、自分が一番やりたいことは国権皇張だと言っています。これは日本の権力を他の国に及ぼすという意味。つまりアジア侵略です。侵略される側からしたらたまったものではありません。日本最大の新聞を発行し、慶応の塾長も務めた人間がこんなことを堂々と述べていたのです。もともと福澤の大本願は日本を「兵力が強く」「経済の盛んな国にする」こと。そのために天皇を国民の求心力の象徴として利用しました。 ●戦争に反対した人々 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日- 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。 外部リンク 小林多喜二:作家別作品リスト - 青空文庫 多喜二ライブラリー 小樽文学館 白樺文学館 小林多喜二文学碑 プロレタリア文学芸術研究連盟小林多喜二特集 小林多喜二蔵書寄託図書(小樽商科大学附属図書館) 多喜二奪還事件研究室 コラム小林多喜二(三星公式ホームページより) 今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている) ●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発) 天皇の権限は絶大であった!! 日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕 ・昭和天皇の戦争責任は? 「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。 (『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店) ・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より 第2部 仁愛の政治 1922(大正11)年―1930(昭和5)年 第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機 Ⅳ 一方、シベリアでのボリシェビキに対する事実上の戦争(1918-22年)で再度表面化した軍紀と士気の低下は、20年代を通して続いた。命令への無条件服従の気風が弱まり、軍隊内の抗命事件が増加した。留守師団司令官から陸軍大臣にあてた1919年3月の「帰還兵の思想及言動に関する報告」は、「一般知識の向上と新聞雑誌等より受くる社会的教育に依り国民思想の推移と相伴ひ暗点裡に下士以下の思想盲目的ならざるに至り」と指摘している。2年後の1921年、陸軍大臣田中義一は師団長会議で下級者の規律の弛緩を警告し、「近来・・・・露骨となり反抗的態度に出で遂に刑辟に触るるもの増加し殊に結党暴行せしものあり」と述べた。 ※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!! ※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!! 戦争の記憶は消えない!! 英仏では昭和天皇がトップだった。 ※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!! 日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!! 「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア 井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている) ※井本熊男 ・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる ・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀) 寧波(ニンポー)細菌戦 麗水細菌 日本軍の毒ガス戦・細菌戦!! ・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!! 中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!! 夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻 ここで焼却されたマルタは虚空に消えた その無念の粒子を今なお人々は呼吸する この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける だが誰もそのことを声高に語ろうとしない 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア 混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮) 『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■ある大学講師のおこなった人体実験 「秘密」というスタンプの押された『ソビエトの捕虜に行われた臨床調査についての暫定報告書』と、これに先行する、同じように秘密の『暫定的報告』に、ベルニングの実験の指示内容が示されている。彼の結果報告によれば、飢餓水腫が発生するようにするため、かなり長期にわたって、与えられるタンパク質は日に30グラムを下回るようにされなければならない、とされていた。ベルニングは本物の飢餓水腫が始まるのを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少していき、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまをメモしている。彼は、捕虜の下腹部が膨張するのを観察している。寒さが、また労働が水腫を強めた。彼にとってとりわけ貴重な研究は、実験の結果死亡した患者であった。 「検死に見られる胃・腸=管の変化は特に興味深いものである。」 強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査 旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」 強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは? |
●731部隊について
BS1 「731部隊」 西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説 前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容 「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。 後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。 731部隊展 ABC企画委員会 NHKの解説 戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。 番組内容 戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。 BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編) BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編) NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 ※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!! 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし ナレーション 医学者のなかには、731部隊に送られた経緯を詳細に書き残していた人もいました。 京大医学部の講師、吉村寿人です。基礎医学の研究で多くの命を救いたいと医学者を志したといいます。国内で研究を続けたいと思いながらも教授の命令には抗えなかったと回想しています。 吉村の回想【「喜寿回顧」】 軍の方とすでに約束済みのようであった。先生は突然、満州の陸軍の技術援助をせよと命令された。せっかく熱を上げてきた研究を捨てることは身を切られるほどつらいことであるから私は即座に断った。 ところが先生は、今の日本の現状から、これを断るのはもってのほかである。もし軍に入らねば破門するから出て行けと言われた。 ナレーション 吉村らが送られた731部隊の秘密研究所。実験のために運び込まれた囚人は年間最大600人に上ったと言われています。 ※吉村寿人 ※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。 731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!! 今の日本医学界に、この影響がないのだろうか??? 戸田正三 長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。 この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。 長與又郎 東大総長(1934年~1938年) 総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。 果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか?? 1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。 民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、 石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。 荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか? 1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。 1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか? 1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。 荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。 荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。 戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。 また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか?? 軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。 1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。 小泉親彦 第5代伝研所長 宮川米次 ※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!! ※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!! 当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!! ※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。 「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」 ※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。 また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。 講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって ※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!! ※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。 ※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!! 中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。 ※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。 天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか??? unit731 ※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・) ※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。 ロ号棟の建設について設計図を出してください!! 大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責 黒い太陽731 国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!! つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。 「みんなが知るべき情報/今日の物語」より 日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!! 目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」 教えてゲンさんより 防疫給水部(細菌戦部隊) 細菌戦部隊員の戦後 *岩田茂 (当時)満洲医大 (戦後)阪大微生物研究所 *加藤勝也 (当時)731部隊 (戦後)名古屋公衆医学研究所 *川島清 (当時)731部隊第4部細菌製造・軍医少将 (戦後)八街少年院 *貴宝院秋雄 (当時)731部隊第1部で天然痘研究 (戦後)京都微生物研究所 *清野謙次 (当時)防疫研究所嘱託 (戦後)京大病理学教室教授 海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日 ・731問題 ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する?? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!! ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!! 裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、 今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!! 人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。 日本国民だって例外ではない!! ・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた?? 実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。 1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英) 1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。 紅白の殺戮者 1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか? 事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故 また当時の新聞記事や調査において、 三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと 2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと 患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない) 市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること などが分かっている。 当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。 しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。 一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの?? (参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年) 『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より 大牟田「爆発赤痢」事件 日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業 小島三郎 紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件 作者:久保 親弘 紅白の殺戮者 くぼちかひろ 第三章 やがて校庭はきれいに掃除され,生徒たちは各学年,各クラスごとに整列した。校長の錦織兵三郎は,簡単に運動会の感想を述べ,生徒たちの健闘をたたえた。ついで,教職員も生徒たちも,見学の家族たちも起立して,高らかに万歳三唱を唱えると陸上大運動会は無事に終了した。時計は四時に近かったが,春の陽射しはまだまだ暑い。 千人を超える生徒たちは,各教室に入って汗をぬぐい,制服に着替えた。汗で火照った体には,いまだ冬服の制服は,誰しも暑苦しさを感じていた。 運動会の熱気は教室に入っても冷めやらず,生徒たちは,「何某はクラスリレーで大活躍をした」とか「何某は,どたんばで惜しいことをした」などと,しきりに運動会の感想を声高にしゃべりあっていた。 やがて担任の教師が教室に入ってきても,生徒たちのおしゃべりはなかなか止まなかった。教師が,何回か生徒たちに注意を与えると,ようやく教室内はいつものように静粛になった。教室には,日直の生徒によって,すでに生徒に配る菓子の包みが用意されていた。 ※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか? ※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか?? 1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。 ※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している? 小島三郎の記述 小島三郎(ウキペディア) 小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。 岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。 『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より メリットと業績 北里柴三郎が1892年に創設した伝染病研究所は、内務省の研究機関だったが、1914年に文部省・東大に移管されていた。そのため内務省には自前の研究・検査機関がなかった。他方陸軍は機動力もあり、徴兵検査を受け持ち、大量の兵隊を抱えてその健康維持・増進に責任を負っており、陸軍省医務局が公衆衛生に大きな役割を果たしていたのだった。その意味で、戦後伝研が改組され、一部が厚生省傘下の予研になったことは、公衆衛生行政からすれば当然のことだったかもしれない。 『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より) 小泉親彦と宮川米次の絆 「日本医事新報」1955年12月17日号で、「小泉親彦を語る」と題して、座談会が持たれているが、小泉について、宮川米次は次のように語っている。 「私が、小泉君と相知ったのは、高等学校時代である岡山六高で、私とちょうど2つ違いである。その交友のはじまりには、面白いことがある 。 1901年のことであるが、賄い(寮の食事)の問題を中心として学校騒動をやった。その時からである。当時小泉君は、2部(医学部)の3年で最上級、私は1年であったが私もやんちゃをやるのは、人後に落ちなかったし、叉ちょうど1 年生の総代をやっていたから,すなわち両人相知る機会をえて,本当に兄貴のように、尊敬と親しみを感じていた。彼は事あるごとに、よく面倒をみてくれた。それは、私が東大に行ってからも続き、その後も小泉君とは一生変わらない間柄であった。 ※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた? 結核予防接種と人体実験 ※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。 ※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過 1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。 5月11日午後、食中毒発病 軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。 「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。 ※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。 ※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。 ※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。 ※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか?? ※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。 ※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!! ※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。 8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。 ・三井という会社 毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている?? ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大 横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系 護衛艦などを作る!!軍需会社!! 三井造船が建造した船舶 ※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。 731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。 イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち 萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?) 2015年 偉人医 ・ 萩野昇 萩野昇(富山のシュヴァイツァー) 富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。 予期せぬアメリカの評価 もしイタイイタイ病の原因がカドミウムであれば、日本の他の亜鉛鉱山の河川にも同じイタイイタイ病患者がいてもおかしくはない。小林教授は日本中の川水の分析を行っていたので、可能性のある鉱山を知っていた。昭和39年9月、萩野と小林教授は、可能性の高い長崎県対馬にある東邦亜鉛対州鉱業所に調査に出かけた。3週間にわたる診察と調査から、その地区にもイタイイタイ病患者1人、死亡者2人、疑わしい患者数人を発見した。全身に疼痛を訴える患者は42人で、そのうちの21人から尿蛋白を検出した。また水田の土壌や井戸水から高濃度のカドミウムを検出した。対馬に患者が少なかったのは、亜鉛工場の規模が小さく、また水田が少なかったからである。この対馬の調査はイタイイタイ病のカドミウム説を裏付ける証拠のひとつとなった。 ※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。 731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。 三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞 ●日本軍が中国で行った細菌戦 ・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦) ・本の紹介 ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1) カスタマーレビュー おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、 最高の作品の一つ。 著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、 その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。 単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、 その事件を適切に文脈化している。 さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、 現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。 優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。 学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。 ・細菌戦被害地(中国)の旅 ●現代も受けるがれている731部隊の思想?? 話は今につながっている!! 731部隊という名前を御存知だと思います。先の大戦中に、捕虜に対して人体実験を行い、細菌戦を遂行した日本軍の特殊部隊です。部隊を率いた石井四朗隊長は、戦後、公には姿を現さず、どのような人生を送ったのかも謎とされてきました。その石井隊長の日記が、ノンフィクション作家青木富貴子さんによって発見されました。日記からは、731部隊がなぜ戦犯として訴追から免れたのかなど、さまざまな謎を解くヒントが浮かび上がってきます。 石井四郎の戦後 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影 堀田伸永 ※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!! プロローグ 京都帝大調査班にまぎれて 9月10日、陸軍のスタッフォード・ウォーレン大佐を含む日米原爆調査団が、 大野陸軍病院を訪間している。広島平和記念資料館のウェブサイト「バーチャル‘ミュージアム」には、9月11日に大野陸軍病院で撮影された京都帝大調査班と米軍人それぞれ2名の写真が掲載されている。被爆者の遺体の解剖結果を説明している様子だという。同じ日、大野陸軍病院で撮影されたもう1枚の写真には、 口髭をたくわえているスタッフォード・ウォーレンに良く似た米軍人と都築正男博士が写っている。杉山教授らは9月5日から17日までに22例の病理解剖をおこなった。解剖に関する資料は、2枚の写真にあるような場面で米軍側に提供されたのだろうか。 ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2) 宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、 東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された 世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督) 水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した 彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など 731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。 731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを 田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。 田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。 ※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!! ●軍学共同の道(「京都新聞」より) 軍事研究、前のめりだった京都帝国大 軍学共同の道(3) 京都帝国大教授が開発に関わり、米本土を狙って9300発が実戦投入された風船爆弾の模型(川崎市・明治大平和教育登戸研究所資料館) 京大側で、該当する資料は現存していない。 資料名は、陸軍兵器行政本部技術部と陸軍技術研究所の「研究嘱託名簿」。戦時中に集められた科学者の名簿だ。東京帝国大、慶応大…。1945年1月の名簿638人の研究者の中に、京大から38人の名があった。 名簿に、戦後間もなく京大総長を務めた鳥養利三郎(1887~1976年)の名前もあった。鳥養は電圧や電波が専門の電気工学の重鎮。先端技術で重きをなした「応用科学研究所」のトップも任されていた。 驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く ・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。 (以下敬称略) まずは長崎大学から。 ==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ==== 山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。 少なくとも次の4人が関係者だと言われている。 林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長 斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授 青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授 福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長 福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。 同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。 長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。 長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。 そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。 ※いろいろな医学系の研究所では今何が行われているのだろうか?? 子宮頸がんワクチン接種後の症状 政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解 ※神谷研二 2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。 被曝をめぐる御用学者の系譜 |
●原爆を投下された昭和天皇の責任は?(敗戦を引き延ばした)また原爆を投下したアメリカの責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影) 「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言) ニュース259号では、驚くことに被爆地広島に昭和天皇は行かず、侍従に行かせた。 そして、次のニュースには、GHQの報道管制の下で、米軍を好意的に紹介し、原爆批判は全く無い。 東京大空襲の時は視察している。 昭和天皇、東京大空襲後の御視察 日本への空襲 八王子平和・原爆資料館 昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』) 畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。 第2総軍は、全滅。 天皇は、事前に原爆投下を知っていた。 終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた?? 1975年昭和天皇記者会見 第5回 韓国・朝鮮人被爆者問題を考える 講師:高實康稔さん 「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版 ●原水爆禁止!! アメリカは非人道な広島・長崎の原爆投下では終わらず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。 アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!! 1月16日、ICANと国会議員との討論集会 核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!! 日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように) 放射能汚染地図「川で何が起きているか?」 被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか?? 海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集 水爆実験の影響はまだまだあるのではないか?? <水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染 ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年) 山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!! アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!! ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06 被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!! 水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!! 為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!! 1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!! 1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!! 2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!! ※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!! 原子力に悩む大国 アメリカ ●日本の科学者の核兵器への執念の系譜 ◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ 小路田泰直 かくて中曽根が1954年3月2日、原子力予算23,500万円を国会に緊急上程したとき、仁科のめざした、アメリカの核(水爆)の傘の下、原子力の平和利用を通じた潜在的核保有国化をめざすという考え方は日本の国是となったのである。 しかもその1954年3月2日という日は、1953年12月8日、国連においてアイゼンハワーアメリカ大統領が、原子力の平和利用と国際管理をめざすAtom for the peace演説を行った直後であり、何よりもアメリカが南太平洋ビキニ環礁において初の実用水爆実験に成功した1954年3月1日の翌日であった。仁科の考え方の国是化を内外に宣するのに、最もふさわしい日だったのである。 ※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!! 仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より) *墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。 【ハリー・シー・ケリーと朝永振一郎が仁科芳雄と共に眠る理由】 多磨霊園は都営であるため規制が厳しく、宗教関係で例外的に血縁以外の者たちと眠る墓所はあるが、基本的に一般墓地は6頭身の血縁までと定めている。よって仁科芳雄の墓所は血縁外の人物と眠る例外的な墓所である。 ハリー・シー・ケリーはマッカーサーの科学顧問として戦後すぐに来日し、GHQ経済科学局科学技術部長などを務めた人物である。戦後の日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にし、'50.4仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。'76.2.2ハリー・シー・ケリーが逝去し、仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。 仁科芳雄を師として仰ぎノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎も同墓に分骨されている。朝永振一郎が亡くなったのは'79であるため、ハリー・シー・ケリーの没後である。察するにハリー・シー・ケリーが仁科芳雄の墓所に分骨される納骨式に参列したと予測する。二人と同様に苦楽を共にした同志として同じ気持ちを抱き、生前に仁科家に遺言を託したと推測される。朝永振一郎の正墓は京都の東本願寺にあり、墓石に両親の名と並び刻む。仁科芳雄の墓には「師とともぬ眠る」と刻む。 何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない?? ※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!! 「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」 ※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか? アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか?? 現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する?? 核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!! ※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。 ※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。 ●核・生物化学兵器廃絶!! 「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」 核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え 広島市長、核の傘は「錯覚」=禁止条約 「Yes! I can!」2000人がノーベル平和賞受賞者の応援に駆け付けた オスロの冬の夜 ●世界の流れ、脱原発 ・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より) 基準値は安全か? もともと放射線は少ないほうが良いには決まっている事です。 どの位の放射線なら許容出来るか決めるのは難しい事です。 あまり厳しく設定すると私は地球上で生活出来なくなりますし、 緩くすると発ガンを始めとしたリスクが増えるからです。 国としてはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告をもとにして基準を決めています。 ICRP勧告は近年では1997年、1990年、2007年と出されています。 それにもとに国は基準を決めていますので、表にしてみました。 少し分かりづらいかもしれません。 平成13年に作られた基準と今回の事故で訂正された基準(暫定基準値)です 注:空欄のところは従来基準と同じです。 どうする?これからのの日本のエネルギー ●脱原発6 [THE MANZAI 2017] 大注目を浴びたウーマン 時事ネタ漫才!賞賛の声 アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。 東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される? 日本は韓国を見習おう!! ・リニア新幹線反対!! ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは? 「リニア中央新幹線」問題に迫る! 知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由 物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか? →リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業 回収の見込みなしのプロジェクト、商品価値は? しかし問題は売れるかどうかです。安全だと認められるまでに何年を要するか。また他国が、営業速度500キロというスピードに魅力を感じてくれるのかどうか。もし売れなければペイできず、行く末は血税が注ぎ込まれる赤字路線になる可能性も。 真っ暗闇の中を時速500キロで走る、移動手段としての役割以外に何の楽しみもないようなリニア新幹線。「いかにも合理主義的な日本人らしい」と言われるだけで終わるような気もします。 トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に 第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く ●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!! この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!! 今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する?? 自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!! 自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか?? どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!! 戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す きちんとした資料の公開を求めたい!! アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、 日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!! これでは戦争の反省も何も出来ない!! 情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!! 大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける 「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち! 天皇制を考えよう!! 昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は? 政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり 眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味 天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上) 日本への空襲 天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!! 象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!! 池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1 ・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!! 戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!! 戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!! ●医療問題 H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究 「国に人生狂わされた」強制不妊手術、男性が実名公表 強制不妊手術「審査会はお墨付き与える場」元委員 群馬大病院 診療報酬を返還へ 不正・不当請求13億円 床下から胎児の遺体「ホルマリン漬け」か? ホルマリン漬けの胎児の遺体15体、廃病院から見つかる。鹿児島 医療闇 横浜市の病院 大口病院 点滴異物 殺人疑い 3ヶ月50人死亡!?「横浜はじめ病院」変更 医療事故で女児寝たきり=市立医療センター、チューブ誤挿入-大阪 石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」 水俣病 731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか? <私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正 実験「生データ」厳重保存も不正防げず 京大iPS研 聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生 ●自衛隊 地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員に係わり、化学学校の情報が洩れていなかったのか?? 執行時期、順序など慎重に検討か オウム死刑囚7人移送 三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな 自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製 オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。 また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!! 松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に サリンの毒性(ウィキペディアより) ・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである 。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。 ●サリン事件と自衛隊の関係は?? 陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年 1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正実 5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典 化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!! 自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!! 日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!! 大宮駐屯地5月28日 市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか??? 迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事 土呂久砒素公害 1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。 相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 北宏一朗 海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では? ・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!! 自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!! 『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!! 国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!! この事故は自衛隊が関係していませんか? 700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは?? 海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落 森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実 自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? ●憲法9条を守れ!! 大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条 “軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明 東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度 安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか? 日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
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●731部隊の実態 ●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 ●自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? ●サリン事件と自衛隊の関係は?? ●不二越強制連行問題!! ●「福島の今」 ●結核予防接種と人体実験 ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会 ●731部隊の構成全容明らかに!! ●731部隊将校の学位の取消しを!! ●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!! ・「衛生学校記事」情報公開裁判 次回は、4月24日(火)15:00~東京地裁419号法廷。 裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。 また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。 防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか?? 防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。 然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!! 自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。 防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。 30年経過したらきちんと情報を公開してください!! 米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。 日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理 公文書の在り方 自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか?? 北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか? 日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密?? 今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか?? 自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか?? 憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか?? 『衛生学校記事』情報公開裁判 森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする?? 国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!! 防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!! 時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!! 海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは?? 海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落 自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? 加計問題!!証拠を隠すな!! サリン事件と自衛隊の関係は?? 陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年 ・情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年4月18日(水)11:30~東京地裁522号法廷 防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強しているとしか思えない。 防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。 自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。 国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。 最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか? 実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には 『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。 陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い。「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。 1957年・・・化学学校創立 1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。 1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功 1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。 1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。 1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。 1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、) 1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。 又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている) 1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!! 1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。 だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。 現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項 ※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。 そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も) ※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。 「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」 オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。 また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!! 松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に 地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」 ●サリン事件と自衛隊の関係は?? 長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている?? ●731部隊関連資料の情報公開裁判 ・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。 『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。 防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より) ・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。 “日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」 命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない ●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示 4/14(土) 22:31配信 京都新聞 約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。 軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。 今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。 また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。 14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。 ●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判 内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!! 3月9日(金)10:30~東京地裁415号法廷 9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、 今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。 9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。 2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか? 外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか? それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!! 安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか?? ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 ・次回裁判 2018年6月8日(金) 10:30~東京地裁415号法廷 《ビザ発給拒否》裁判!! ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!! 外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否 当時の集会の模様 中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない? ●軍学共同反対!! 岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!! 軍学共同反対連絡会のニュースレター18号 防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ ●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!! 政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!! ・南京大虐殺の証言 1937年には家は九華山科学院の門の所でしたが、日本軍が入って来てから、家の部屋が3つある家屋が焼き払われ、科学院のそばの河辺にあった2部屋のも、日本軍に焼かれてしまいました。 ある日、弟の嫁が河辺に物を投げ捨てに行き、日本兵にぶつかって捕まり、強姦されてしまいました。その時彼女は身ごもっていて、ほんとに残忍非道なことでした。(李娜と鄭彬彦が記録) 驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!! 日中戦争全史年表 南京大虐殺80ヵ年 日本政府の今までの全く誠意のない対応!! ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた 村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国 2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!! 安倍晋三は、南京に行くべきだ!! かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!! 戦争の反省の無い頭!! 34、不動健治の南京事件写真『国際文化画報』(1952年9月号) 左ページ左上から「南京陥落直後の凄惨な南京城内」「女や子供の惨殺死体」「ハッキリわかる兵士の死体」「刑場に運ばれる人々」「人間の肉に群がる野猫」、右ページ左上から「南京攻略戦に従軍した当時の本誌不動編集長(中央)左は当時の部隊長中島16師団長(攻略軍戦闘指揮所にて)」「良民も非戦闘員も兵隊も区別のつかぬ捕虜収容所」(右上3枚に対する説明)「明日の運命を知らぬ捕虜の群」、右ページ下3枚のうち左上の写真に説明はなく、その右は「銃剣で刺殺した瞬間」、一番下は「街上にころがる非戦闘員の虐殺死体」。右ページ一番下の写真には、両手を後ろ手に縛られている遺体が何体かみられる。その左上の写真と同じ場所と思われるが、駅のプラットフォームと高架橋が写っている。南京の駅で撮影されたものであろう。 ●重慶大爆撃裁判 重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。 爆撃の効果 「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真 重慶爆撃のなかでも特に大規模な無差別爆撃であったのが、海軍主導によって行われた1940年5月17日から9月5日までの百一号作戦、および1941年5月から8月までの百二号作戦である。日本の軍中枢で日中戦争とは別に対アメリカ・イギリス・オランダとの開戦が取りざたされはじめたことから、海軍、特に中国方面で作戦指導にあたっていた井上成美支那方面艦隊参謀長らが、日中戦争の早期終結を目的に提言した作戦であった。 一方で陸軍ではこの百一号作戦と百二号作戦に対して飛行部隊を一時協同させたものの、効果が薄く無意味かつ非人道的・国際法に反する行為であるとして無差別爆撃に強く反対する声があり、第3飛行団長として重慶爆撃を実施していた遠藤三郎陸軍少将が中止を主張、上級部隊である第3飛行集団長木下敏陸軍中将に「重慶爆撃無用論」を1941年9月3日に提出している(遠藤第3飛行団長は実際に重慶を爆撃する九七式重爆に何度も搭乗し、その無意味さ・非人道性を確認している)。この「重慶爆撃無用論」は参謀本部作戦課にまで届き採用され、陸軍は重慶爆撃への参加を中止することとなった。 不当判決!! 中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京 2017.12.15(毎日) 日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支 持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。 判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。 祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。 ●憲法9条を世界へ普及させよう!! イラク日報、空幕にも オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から 9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む 9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする?? 隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか?? 自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!! 日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後 世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生 【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる 「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25) 米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25) 軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!) 自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!! 9条に自衛隊明記は不要で極めて危険 日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●「天皇制」を考える 昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか?? 大嘗祭反対!! 宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に <新天皇即位>式典準備委の議事概要公開 昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼 「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版 公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー 平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に |
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国会、全面停止へ 麻生氏辞任要求めぐり野党が協議拒否 テレビ朝日、福田事務次官のセクハラに正式抗議 イラク日報隠蔽問題の本質 <自衛隊統幕長>陳謝 「3佐の暴言許されぬ」 金子勝:安倍総理の「膿を出す」という発言と行政機関の崩壊 ●靖国問題!! 何で、標本木が靖国神社にあるのか??おかしいと思う!! 東京の桜が開花宣言!靖国神社の標本木を見てきた ・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!) 裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか? 「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」 安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴 ●侵略戦争!! 日中戦争全史年表 ・1937年(昭和12) 9月2日 近衛内閣、「北支事変」を「支那事変」と呼称することを決定 9月4日 第72回帝国議会衆議院開院式において昭和天皇、「対支宣戦布告」に代わる勅語を発する 9月19日 海軍航空隊、上海公大飛行場を基地として第1次南京爆撃を決行(9月25日まで第11次にわたり南京爆撃) 9月23日 蒋介石、共産党の合法的地位を承認する談話を発表(第2次国共合作成立) 9月28日 国際連盟総会、「都市攻撃に対する国際連盟の非難決議を全会一致で採択 9月 国民精神総動員運動開始 10月5日 ルーズベルト大統領、シカゴで日本を侵略国とする「隔離演説」 10月 企画院設置 重慶大爆撃パネル展 2017年10月 「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 中国侵略にまっしぐら!! 無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!! 空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃> 重慶爆撃 アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした?? カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。 米軍による日本への無差別爆撃 本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル 重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!! 昭和天皇が戦争狂になった訳 ・安倍晋三の祖父は岸信介 岸信介という人 以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より 岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。 国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。 岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。 岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。 岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。 そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。 このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。 戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。 強制連行の決定 満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略 ●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター 感想 ・シンガポールの華人虐殺の展示、同国には30数年前に滞在経験があり、事実そのものは当時から知っていたものの、今回初めて見る写真などもあり、現実は想像以上のものだったようですね。ちなみに、当時、当地の日本人学校では、こうした過去の事は授業等で全く触れることはなかったと記憶しています。40代男性 ●731の実態 汽車が背陰河(はいいんが)駅を通過するとき、まずはカーテンを下して、車内の人に外の状況がわからないようにしている。中馬城(背陰河の実験施設)から途切れ途切れの悲鳴が背陰河の夜を恐怖の色に染めた。その中で起きていることは、誰も知らない・・・・ 日本の『大日本帝国憲法』に「天皇は神である」と書かれています。実は神ですから、神の元に日本は統治、コントロールされていました。ですから世界で一番優れた民族であると教育で習っている。・・・石井四朗のような人物は偶然ではないですね。たくさん同じような人間が日本にたくさんいました。人を人とも思わない、特に他民族に対しては、中国人に対して、あるいは朝鮮人に対して日本は非常に蔑視をしていました。・・・・・・・・・ ・・・・ 731(1) 第4回 日本軍による人体実験 闇に消された虐殺~731部隊 731部隊のドキュメンタリー ・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!! 悪魔の飽食:復号731 ●本の紹介 ●特移扱(とくいあつかい)資料 原美臻の特移扱資料7 ●今、731を問う!! 日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。21 謝恩と巡礼訪中報告会 謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話) 731部隊の展示会(中国) 特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 一 戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■ドイツのとりくみと困難 それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならなぃことはあるのでしょうか 2012年5月にはニュルンべルク医師裁判が行われた地において開催されたドイツ医師会年次大会が、全会一致でナチ時代の医学犯罪について重大な共同責任を認め、ドイツ医師会の中に歴史研究を行う委員会を設けるという声明が出されました。 自らの過ちに関するDGPPNのドイツ内外での移動展示は、紆余曲折がありましたが、2015年に日本でも開催され、その間に2010年当時のDGPPN会長の講演も行われました。 (月刊『前衛』より) 旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます! ●731部隊本部(平房) ●731部隊遺跡を世界遺産に!! ●福沢諭吉 福沢諭吉について6 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。 ──「学問のすすめ」は、教育の大切さを説く本です。なぜ、そんなことを言ったのでしょうか。 教育といっても、福澤は政府が政治をしやすいような人間になるために学問を推奨し、その結果、国民に報国心を抱かせようとしていた。そうなると「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は単なるキャッチコピーに過ぎません。最初にこの言葉に興味を持った人を、民主主義とは反対の方向へ導こうとする。これでは思想的な詐欺と変わりありません。「学問のすすめ」では「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」など、人間本来の平等を説いている部分も何カ所かある。これは人が経済的、社会的に成功するかどうかは智を持っているかどうかで、生まれつきの違いはないと福澤が考えていたからです。こうした思想は、中津藩の下級藩士だった父親が身分格差から名を成すことができなかったことが影響しているといわれています。一方で智なき愚人は嫌悪の対象とし、当時の平民を「表向きはまず士族と同等のようなれども、(中略)その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし」と見下しています。 ●戦争に反対した人々 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日- 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。 関連項目 宮本百合子 山本宣治 安田徳太郎 - 医師。小林多喜二の遺体を検死。 葉山嘉樹 手塚英孝 - 小林多喜二の顕彰や全集作成に貢献した。 八島太郎 - 小林多喜二の死に顔をスケッチする。 千田是也 - 『一九二八年三月十五日』をドイツ語に訳した他、小林のデスマスクを製作した。 多喜二・百合子賞 小林多喜二祭(2月20日小樽市) 島村輝 - 小林多喜二に関する研究を行っている。 今井正 - 映画監督。1974年の映画『小林多喜二』を監督。 母 (三浦綾子の小説) - 三浦綾子 角川文庫、1996年6月、ISBN 4041437172 母 小林多喜二の母の物語 - 上記の映画化作品。2017年公開予定。 林兼商店 - 作品「蟹工船」に登場する「博光丸」のモデルになった船主。 北海製罐 - 作品「工場細胞」に登場する「H・S工場」のモデル。 藤倉工業 - 作品「党生活者」に登場する「倉田工業」のモデル。 池田博穂 - 映画監督。記録映画『時代(とき)を撃て・多喜二』の脚本・監督を担当。 治安維持法 三星 (菓子製造) - 創業者が小林多喜二の伯父であり、多喜二自身も学生時代に5年間の勤務経験がある 今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている) ●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発) 天皇の権限は絶大であった!! 日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕 ・昭和天皇の戦争責任は? 「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。 (『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店) ・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より 第2部 仁愛の政治 1922(大正11)年―1930(昭和5)年 第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機 Ⅳ 1923年の国防方針が採用されたのに続いて、陸軍は1922年から24年まで3回にわたる人員削減に着手した。海軍は主力艦の建造を中止し、現代的な航空隊、潜水艦隊を建設するために古い艦艇を廃棄し始めた。同年、首相加藤友三郎(ワシントン会議の日本代表団の首席)の非政党内閣は中国山東省からの日本軍の撤退を開始した。2年後の1925年5月、(加藤高明の政党内閣の)陸相宇垣は、4個師団を削減し、それで節約できた費用を将来の「総力戦」に備えた陸軍の現代化と再編成に回した。これらの結果、政府の歳出に占める陸海軍の軍事費の割合は、20年代を通じて確実に減少していった。 このような人員、兵器、軍事費の削減は将校団の失望と非難を呼び起こし、日本は経済的・社会的・政治的に大国に後れを取ってしまったという感情をもたらした。しかし陸軍も海軍も、20年代には根本的な制度改革を行わなかった。そして宇垣は、財政を心配する政治家や財界人に譲歩するあまり、国際的な圧力もないのに陸軍を縮小したとして、中級将校の激しい憤懣の的になった。 ※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!! ※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!! 戦争の記憶は消えない!! 英仏では昭和天皇がトップだった。 ※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!! 日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!! 「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア 井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている) ※井本熊男 ・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる ・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀) 寧波(ニンポー)細菌戦 麗水細菌 日本軍の毒ガス戦・細菌戦!! ・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!! 中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!! 夏草をふみしめ引込み線を歩いた 視界が不意に三角形に切り取られ やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる 見上げれば天を突く巨大な残骸 ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように 灰色の空の下で泣いている 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア 混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮) 『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■ある大学講師のおこなった人体実験 1941年の秋、ハンブルグ大学の私講師ハインリヒ・ベルニングは「水腫病の医学研究」を委託された。委託したのは、クゥルト・グートツァイトが管轄する軍衛生局総監督部であった。ベルニングの研究の「患者材料」はソ連軍の捕虜だった。研究の場所はハンブルグ=ヴァンツベックの「この目的のためにつくられた非公開の部局」であった。ベルニングは、飢餓病に関するこの研究成果を、1949年にゲオルク・ティーメ社から出版された論文に要約している。 強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査 旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」 強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは? |
●731部隊について
BS1 「731部隊」 西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説 前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容 「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。 後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。 731部隊展 ABC企画委員会 NHKの解説 戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。 番組内容 戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。 BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編) BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編) NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 ※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!! 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし ナレーション この時の記録には、東大から赴任した研究者たちの名前が記されていました。東大からは戦時中、少なくとも6人が集められたことがわかっています。 東大で開かれた微生物学会の集合写真、 石井を囲んでいるのは、全国から集まった名だたる教授たちです。大学の幹部と石井が結びつく中で、優秀な医学者が集められていったのです。 ※長與又郎(ウキペディアより) ながよ またお(またろう?)、1878年(明治11年)4月6日 - 1941年(昭和16年)8月16日)は日本の病理学者、男爵。癌研究の世界的権威。号は雷山 医学界の重鎮長與專齋の三男として東京神田に生まれる。慶應義塾幼稚舎、正則学校、一高を経て、1904年(明治37年)12月に東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)を卒業。・・・・ 伝染病研究所長や医学部長を経て、1934年(昭和9年)、東京帝国大学第12代総長に就任。1936年(昭和11年)帝国学士院会員。1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。同年12月28日、東京帝国大学名誉教授の称号を授与された[1]。 昭和初期には、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。 また癌研究所や日本癌学会を設立し、癌の解明に努力。父の遺志を継いで、公衆衛生院や結核予防会を設立した。自ら予言していた通りに癌となり、1941年(昭和16年)8月15日、死の前日に、医学への貢献により男爵となる。享年63。 長與專齋と福沢諭吉の繋がり・・・大村藩の藩校である五教館(長崎県立大村高等学校の前身)で学んだ後、安政元年(1854年)、大坂にて緒方洪庵の適塾に入門し、やがて塾頭となる(福澤諭吉の後任)。のち大村藩の侍医となった。 ※吉村寿人 ※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。 731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!! 今の日本医学界に、この影響がないのだろうか??? 戸田正三 長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。 この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。 長與又郎 東大総長(1934年~1938年) 総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。 果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか?? 1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。 民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、 石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。 荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか? 1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。 1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか? 1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。 荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。 荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。 戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。 また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか?? 軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。 1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。 小泉親彦 第5代伝研所長 宮川米次 ※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!! ※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!! 当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!! ※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。 「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」 ※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。 また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。 講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって ※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!! ※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。 ※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!! 中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。 ※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。 天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか??? unit731 ※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・) ※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。 ロ号棟の建設について設計図を出してください!! 大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責 黒い太陽731 国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!! つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。 「みんなが知るべき情報/今日の物語」より 日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!! 目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」 教えてゲンさんより 防疫給水部(細菌戦部隊) 細菌戦部隊員の戦後 *大田澄 (当時)731部隊第2部長細菌戦を指揮 栄1644部隊部3代目隊長 (戦後)山口県で開業 *高橋正彦 (当時)731部隊でペストの研究 (戦後)千葉で開業 *鈴木俊一 (当時)731部隊山西省分遣隊主計部 (戦後)東京都知事 *国行昌頼 (当時)731部隊病理研究班 (戦後)日本製薬株式会社で乾燥血漿の製造 *青木義勇 (当時)栄1644部隊(?) (戦後)長崎大学 海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日 ・731問題 ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する?? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!! ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!! 裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、 今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!! 人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。 日本国民だって例外ではない!! ・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた?? 実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。 1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英) 1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。 紅白の殺戮者 1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか? 事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故 また当時の新聞記事や調査において、 三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと 2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと 患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない) 市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること などが分かっている。 当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。 しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。 一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの?? (参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年) 『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より 大牟田「爆発赤痢」事件 日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業 小島三郎 紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件 作者:久保 親弘 紅白の殺戮者 くぼちかひろ 第三章 校庭のいたる所で,撃剣を受けた生徒たちの紙吹雪が散った。五年生から一年生まで,一八歳から一三歳までの生徒たちは,我を忘れて,この模擬合戦に校庭を駆けめぐった。あちこちで,審判をつとめる教師たちが,「生徒の討ち死」を宣言して,退場を命じる。合戦がまさに,たけなわになろうとしたときに,審判長の笛が高らかに鳴り,「三方ヶ原の合戦」は終了した。校庭の端にゴザなどを敷いて,食べることも忘れて観戦していた生徒の家族たちからも,応援の声や拍手,歓呼の叫びなどが一斉に挙がった。 審判長が,「徳川軍」の勝利を宣言すると,会場はどっという歓声につつまれた。退場する両軍の生徒たちは,破れた紙の旗指物を誇り高くかかげ,どの顔も興奮と激しい運動とで,真っ赤な頬をしていた。何百人もの観衆は,生徒たちの活躍をねぎらい,負けた生徒たちにも声援は惜しみなく贈られた。 ※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか? ※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか?? 1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。 ※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している? 小島三郎の記述 小島三郎(ウキペディア) 小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。 岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。 『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より メリットと業績 藤野恒三郎大阪大学名誉教授は、その著『藤野・日本細菌学史』で、小島が浜松でゲルトネル菌による食中毒を実地見聞してからサルモネラ委員会を作るまでの経過を「浜松大福餅食中毒事件からはじまって・・・わが国のサルモネラ学発展の基礎ができた」と書いている。 こうした歴史的な食中毒事件に小島が立ち会うことができたのは、彼が軍、特に石井と関係を持っていたからであろう。伝研の教授で浜松に出かけたのは小島1人である。食中毒は現在であれば厚生省の所管だが、当時は内務省が原因探求その他をすることになっていた。 内務省からも衛生課長と技師が現地に急行した。それは小島や石井が現地に到着したのと同じ日だった。ところがすでに陸軍ではその2日前の13日に、軍医学校の防疫学教室が原因がゲルトネル菌であることを突きとめていた。この事実は当時の日本の公衆衛生行政にとって、陸軍が大きな役割を果たしていたことを意味している。 『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より) 小泉親彦と昭和天皇 1934年3月5日小泉は陸軍軍医総監になった。彼は51歳で陸軍軍医として最高の地位に上り詰めたのである。 小泉親彦の甥小泉昂一郎(こういちろう)によると、戦後の1945年9月13日、夜8時過ぎ、目白警察署の署長が来訪。 明朝お迎えに来ますと言い、小泉はお役目ご苦労さまですと言った。それから変わったこともなく談笑し、11時頃立って仏間に入った。ここで香をたき、衣装を直し、備前久勝の軍刀で腹十字に切り、右頸動脈を切って絶息した。中国での生体実験の責任を、崇拝する天皇に累を及ぼさないために、自らの口を塞いだのであろう。 ※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた? 結核予防接種と人体実験 ※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。 ※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過 1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。 5月11日午後、食中毒発病 軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。 「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。 ※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。 ※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。 ※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。 ※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか?? ※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。 ※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!! ※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。 8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。 ・三井という会社 毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている?? ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大 横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系 護衛艦などを作る!!軍需会社!! 三井造船が建造した船舶 ※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。 731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。 イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち 萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?) 2015年 偉人医 ・ 萩野昇 萩野昇(富山のシュヴァイツァー) 富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。 予期せぬアメリカの評価 またカドミウム説を否定するためにつくられた「富山県地方特殊病対策委員会」、金沢大学の「イタイイタイ病研究班」も、萩野のカドミウム説を次々に支持する実験結果を示した。そして彼の学説は次第に認められるようになり、迫害の流れが賞賛へと大きく変わっていった。 ※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。 731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。 三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞 ●日本軍が中国で行った細菌戦 ・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦) ・本の紹介 ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1) カスタマーレビュー おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、 最高の作品の一つ。 著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、 その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。 単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、 その事件を適切に文脈化している。 さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、 現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。 優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。 学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。 ・細菌戦被害地(中国)の旅 ●現代も受けるがれている731部隊の思想?? 話は今につながっている!! 最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!! 石井四郎の戦後 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影 堀田伸永 ※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!! プロローグ 京都帝大調査班にまぎれて 原爆投下直後にただちに調査班を広島に派遺した京都帝大は、9月3日から4日にかけて、さらに第2次調査班として医学部と理学部の教投らを広島に派道した。班員は杉山繁輝、菊池武彦、真下俊一各教投ら40名にのぼり、2班にわかれて広島に入った。 広島市長崎市原爆災害誌編集委員会編『広島・長崎の原爆災害』(1979年、岩波書店)には、この京都帝大調査班に「後に金沢医科大学の石川太刀雄(病理学)らが加わった」 との記述がある。金沢大学文学部の古畑徹教授の講演(2006年12月16日、金沢大学サテライトプラザ)によれば、杉山教授は、731部隊の病理解割の顧問であった清野謙次教授の門下で、1943年まで金沢医科大学の教授を兼務し、陸・海軍への研究協カにも力を注いでいた。同年9月、杉山教投の後任として金沢医大病理学第2講座の教援に就任したのが清野の門下生のひとり、石川太刀雄丸だった。石川は、1938年3月10日から1943年7月まで、731部隊でぺストや流行性出血熱等の研究に携わる傍ら、病理解剖を担当していたため、解剖には慣れていた。 ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2) 宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、 東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された 世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督) 水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した 彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など 731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。 731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを 田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。 田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。 ※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!! ●軍学共同の道(「京都新聞」より) 軍事研究、前のめりだった京都帝国大 軍学共同の道(3) 京都帝国大教授が開発に関わり、米本土を狙って9300発が実戦投入された風船爆弾の模型(川崎市・明治大平和教育登戸研究所資料館) いつの時代も軍事研究は秘密裏で行われてきた。防衛省の研究公募は昨年度まで、特定秘密保護法上の「特定秘密」になりうるのか、要項上あいまいだった。軍事と多額の研究資金で科学はどうゆがむのか、戦時中の歴史を京都で追うと、秘密のベールが立ちふさがる。 「戦時中、京都帝国大は軍事研究に前のめりだった。かなり戦争に協力していた姿勢がみてとれる」 京都大大学文書館(京都市左京区)の西山伸教授は、防衛省防衛研究所にあった資料に目を落としながら語った。 驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く ・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。 (以下敬称略) 御用医学者たちが鼻血を必死で否定するのも、被ばく被害に気づかれて、"モルモット"が汚染地帯から逃げ出してしまうと困るからである。 私は、福島その他の汚染地帯にいる人たちに何度でもこう言いたい。 「あなたたちは、あの悪魔のような731部隊の末裔によってモルモットにされているのですよ。 彼らの言うことを信じてはいけません。 犠牲になりたくなければ、一刻も早くお逃げなさい」 ※いろいろな医学系の研究所では今何が行われているのだろうか?? 子宮頸がんワクチン接種後の症状 政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解 ※神谷研二 2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。 被曝をめぐる御用学者の系譜 |
●原爆を投下された昭和天皇の責任は?(敗戦を引き延ばした)また原爆を投下したアメリカの責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影) 「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言) ニュース259号では、驚くことに被爆地広島に昭和天皇は行かず、侍従に行かせた。 そして、次のニュースには、GHQの報道管制の下で、米軍を好意的に紹介し、原爆批判は全く無い。 東京大空襲の時は視察している。 昭和天皇、東京大空襲後の御視察 日本への空襲 八王子平和・原爆資料館 昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』) 畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。 第2総軍は、全滅。 天皇は、事前に原爆投下を知っていた。 終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた?? 1975年昭和天皇記者会見 第5回 韓国・朝鮮人被爆者問題を考える 講師:高實康稔さん 「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版 ●原水爆禁止!! アメリカは非人道な広島・長崎の原爆投下では終わらず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。 アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!! 1月16日、ICANと国会議員との討論集会 核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!! 日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように) 放射能汚染地図「川で何が起きているか?」 被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか?? 海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集 水爆実験の影響はまだまだあるのではないか?? <水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染 ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年) 山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!! アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!! ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06 被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!! 水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!! 為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!! 1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!! 1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!! 2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!! ※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!! 原子力に悩む大国 アメリカ ●日本の科学者の核兵器への執念の系譜 ◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ 小路田泰直 アイゼンハワーが「アトム・フォー・ピース」といい出してアメリカに原子力産業会議ができて、軍用から民間の平和利用に移行するときでした。それで、これはたいへんだ、日本も早くやらないとたいへんなことになるぞ、とサンフランシスコに戻って、バークレーのローレンス研究所にいた理化学研究所の嵯峨根遼吉博士に領事公邸にきてもらって2時間ぐらい話を聞きました。嵯峨根さんはひじょうにいい助言をしてくれました。一つは、「国家としての長期的展望に立った国策を確立しなさい。それには法律をつくって、予算を付けるというしっかりしたものにしないと、ろくな学者が集まってこない」と。それから、一流の学者を集めるにはどうしたらいいかとか、そういう話を聞いて帰ってきました。[★15] ※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!! 仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より) *墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。 【ハリー・シー・ケリーと朝永振一郎が仁科芳雄と共に眠る理由】 多磨霊園は都営であるため規制が厳しく、宗教関係で例外的に血縁以外の者たちと眠る墓所はあるが、基本的に一般墓地は6頭身の血縁までと定めている。よって仁科芳雄の墓所は血縁外の人物と眠る例外的な墓所である。 ハリー・シー・ケリーはマッカーサーの科学顧問として戦後すぐに来日し、GHQ経済科学局科学技術部長などを務めた人物である。戦後の日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にし、'50.4仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。'76.2.2ハリー・シー・ケリーが逝去し、仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。 仁科芳雄を師として仰ぎノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎も同墓に分骨されている。朝永振一郎が亡くなったのは'79であるため、ハリー・シー・ケリーの没後である。察するにハリー・シー・ケリーが仁科芳雄の墓所に分骨される納骨式に参列したと予測する。二人と同様に苦楽を共にした同志として同じ気持ちを抱き、生前に仁科家に遺言を託したと推測される。朝永振一郎の正墓は京都の東本願寺にあり、墓石に両親の名と並び刻む。仁科芳雄の墓には「師とともぬ眠る」と刻む。 何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない?? ※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!! 「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」 ※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか? アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか?? 現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する?? 核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!! ※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。 ※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。 ●核・生物化学兵器廃絶!! 「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」 核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え 広島市長、核の傘は「錯覚」=禁止条約 「Yes! I can!」2000人がノーベル平和賞受賞者の応援に駆け付けた オスロの冬の夜 ●世界の流れ、脱原発 ・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より) 基準値は安全か? もともと放射線は少ないほうが良いには決まっている事です。 どの位の放射線なら許容出来るか決めるのは難しい事です。 あまり厳しく設定すると私は地球上で生活出来なくなりますし、 緩くすると発ガンを始めとしたリスクが増えるからです。 国としてはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告をもとにして基準を決めています。 ICRP勧告は近年では1997年、1990年、2007年と出されています。 それにもとに国は基準を決めていますので、表にしてみました。 少し分かりづらいかもしれません。 平成13年に作られた基準と今回の事故で訂正された基準(暫定基準値)です 注:空欄のところは従来基準と同じです。 どうする?これからのの日本のエネルギー ●脱原発5 [THE MANZAI 2017] 大注目を浴びたウーマン 時事ネタ漫才!賞賛の声 アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。 東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される? 日本は韓国を見習おう!! ・リニア新幹線反対!! ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは? 「リニア中央新幹線」問題に迫る! 知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由 物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか? →リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業 回収の見込みなしのプロジェクト、商品価値は? 品川-名古屋間で約5兆4300億円。大阪開業まで含める総額約9兆円の費用をかけてリニアを開通させても、リニア新幹線の乗車料金は現行の新幹線と同等に設定するそうです。当然ながら回収の見込みはありません。ペイしないことは当初からJR東海も認めていること。 恒久的に赤字運行になることがわかっているリニア新幹線になぜJR東海は着工することができたかというと、それは民間の形をとった国家プロジェクトだからです。政府は日本の技術の新しい象徴として、どうしてもリニアが欲しかった。そしてそれをパッケージングして海外に売りたかった。1つの国に売って1兆円稼げれば、10か国で10兆円。でも、リニア技術は無償提供するという話も出ています。儲けは出にくいですね。 トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に 第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く ●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!! この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!! 今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する?? 自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!! 自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか?? どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!! 戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す きちんとした資料の公開を求めたい!! アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、 日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!! これでは戦争の反省も何も出来ない!! 情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!! 大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける 「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち! 天皇制を考えよう!! 昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は? 政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり 眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味 天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上) 日本への空襲 天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!! 象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!! 池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1 ・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!! 戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!! 戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!! ●医療問題 強制不妊手術、都内で510人に 東京都調査 旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」 群馬大病院 診療報酬を返還へ 不正・不当請求13億円 床下から胎児の遺体「ホルマリン漬け」か? ホルマリン漬けの胎児の遺体15体、廃病院から見つかる。鹿児島 医療闇 横浜市の病院 大口病院 点滴異物 殺人疑い 3ヶ月50人死亡!?「横浜はじめ病院」変更 医療事故で女児寝たきり=市立医療センター、チューブ誤挿入-大阪 石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」 水俣病 731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか? <私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正 実験「生データ」厳重保存も不正防げず 京大iPS研 聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生 ●自衛隊 地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員に係わり、化学学校の情報が洩れていなかったのか?? 執行時期、順序など慎重に検討か オウム死刑囚7人移送 三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな 自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製 オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。 また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!! 松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に サリンの毒性(ウィキペディアより) ・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである 。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。 ●サリン事件と自衛隊の関係は?? 陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年 1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正実 5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典 化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!! 自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!! 日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!! 大宮駐屯地5月28日 市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか??? 迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事 土呂久砒素公害 1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。 相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 北宏一朗 海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では? ・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!! 自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!! 『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!! 国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!! この事故は自衛隊が関係していませんか? 700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは?? 海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落 森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実 自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? ●憲法9条を守れ!! 大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条 “軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明 東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度 安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか? 日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
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●731部隊の実態 ●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 ●自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? ●サリン事件と自衛隊の関係は?? ●不二越強制連行問題!! ●「福島の今」 ●結核予防接種と人体実験 ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会 ●731部隊の構成全容明らかに!! ●731部隊将校の学位の取消しを!! ●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!! ・情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年4月18日(水)11:30~東京地裁522号法廷 昨日、裁判があった。防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強しているとしか思えない。 防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。 自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。 国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。 最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか? 実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には 『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。 陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い。「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。 1957年・・・化学学校創立 1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。 1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功 1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。 1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。 1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。 1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、) 1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。 又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている) 1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!! 1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。 だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。 現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項 ※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。 そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も) ※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。 「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」 オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。 また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!! 松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に 地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」 ●サリン事件と自衛隊の関係は?? 長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている?? ●731部隊関連資料の情報公開裁判 ・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。 『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。 防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より) ・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。 “日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」 命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない ・「衛生学校記事」情報公開裁判 裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。 また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。次回は、4月24日(火)15:00~東京地裁419号法廷。 防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか?? 防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。 然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!! 自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。 防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。 30年経過したらきちんと情報を公開してください!! 米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。 日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理 公文書の在り方 自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか?? 北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか? 日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密?? 今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか?? 自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか?? 憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか?? 『衛生学校記事』情報公開裁判 森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする?? 国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!! 防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!! 時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!! 海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは?? 海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落 自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? 加計問題!!証拠を隠すな!! サリン事件と自衛隊の関係は?? 陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年 ●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示 4/14(土) 22:31配信 京都新聞 約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。 軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。 今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。 また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。 14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。 ●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判 内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!! 3月9日(金)10:30~東京地裁415号法廷 9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、 今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。 9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。 2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか? 外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか? それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!! 安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか?? ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 ・次回裁判 2018年6月8日(金) 10:30~東京地裁415号法廷 《ビザ発給拒否》裁判!! ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!! 外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否 当時の集会の模様 中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない? ●軍学共同反対!! 岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!! 軍学共同反対連絡会のニュースレター18号 防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ ●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!! 政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!! ・南京大虐殺の証言 日本軍は南京を占領した後、引き続き周りの農村地域を掃蕩したので、私たちは又もや安徽省(あんきしょう)全椒県の望銀子という農村まで逃げました。翌年の陰暦5月に、南京が割に平静になったと聞いて、全椒の田舎から300里歩いて帰りました。着いた時は、両足とも腫れてすねが腿と同じくらいの太さになり、足の裏にはまめがいっぱい繋がって、痛くてたまりませんでした。城内に入って来る時、日本軍がみんなに2つずつびんたをなぐりました。家に着いて初めて、両親と兄と兄嫁とがとっくに帰っていたと知り、伯父が死んで屍すら見つかっていないと知りました。哀れにも私たち一家の老いも若きも、身の置き所がなく、古くからの隣人の助けで、やっと何とか落着いたのでした。 日本軍が南京にいた間に、家では父と上の兄と2番目の兄とが驚きの余りに前後して世を去りました。逸仙橋に住んでいた上の姉の家も我が家の向かいに住んでいた2番目の姉の家も家屋が焼き払われてしまいました。(以上:申全英と章厚之が記録) 驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!! 日中戦争全史年表 南京大虐殺80ヵ年 日本政府の今までの全く誠意のない対応!! ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた 村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国 2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!! 安倍晋三は、南京に行くべきだ!! かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!! 戦争の反省の無い頭!! 33、村瀬守保の写真集 村瀬守保は、1937年7月に応召して上海派遣軍兵站自動車第17中隊に従軍し、中国を約2年間転戦した。その間、2台のカメラを持つ彼は中隊の非公式写真班員として、様々な光景を撮影し、写真の数は3000枚ほどになったという。 村瀬守保の写真で、南京事件に関するものは6枚ある。撮影場所は揚子江岸と、城壁外の壕あるいは支流の土手である。写真28~31は、そのうちの4枚である。村瀬は写真を撮影した時の様子を次のように述べている。 当時、陸軍第2連合航空隊に所属していた奥宮正武は、飛行搭乗員の遺体捜索のため南京各所を巡り歩いた。その際、下関で12月25日と27日の2度、両手を後ろ手に縛られた中国人が10数名ずつ江岸に引き出されて軍刀や銃剣で惨殺され、揚子江に投棄されているのを目撃した。奥宮は中国人が運び込まれたトラックの台数から、このとき少なくとも500人以上が処刑されたものと推計している。 村瀬の写真は、写真店から流出したような写真と異なり、撮影の時期・場所・撮影者が明らかであり、南京事件に関する貴重な資料である。 ●重慶大爆撃裁判 重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。 爆撃の効果 「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真 作戦の実行 重慶爆撃を主導した井上成美支那方面艦隊参謀長 爆撃は主に1939年から1941年の、視界が確保できる春から秋の間に行われ、投下した爆弾は1940年には4333トンに達した。爆撃は海軍航空隊、陸軍航空隊それぞれが日程調整のうえ実施した。爆撃目標は「戦略施設」であり、1939年4月の現地部隊への指示では、「敵の最高統帥、最高政治機関の捕捉撃滅に勤めよ」とあり、アメリカ、イギリスなど第三国の施設への被害は避けるようにと厳命されていた。しかし重慶の気候は霧がちで曇天の日が多いため目視での精密爆撃は難しく、目標施設以外に被害が発生する可能性があった。そのため後期からは完全な無差別爆撃・絨毯爆撃となった。 不当判決!! 中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京 2017.12.15(毎日) 日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支 持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。 判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。 祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。 ●憲法9条を世界へ普及させよう!! イラク日報、空幕にも オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から 9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む 9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする?? 隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか?? 自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!! 日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後 世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生 【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる 「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25) 米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25) 軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!) 自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!! 9条に自衛隊明記は不要で極めて危険 日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●「天皇制」を考える 昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか?? 大嘗祭反対!! 宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に <新天皇即位>式典準備委の議事概要公開 昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼 「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版 公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー 平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に |
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「辞任カード」温存できず=信用失墜、後任人事で混乱も―財務省 イラク日報から抜け落ちている自衛隊宿営地への迫撃砲攻撃 南北首脳会談で「平和協定」への転換協議 「自衛隊員の誘拐・拉致の脅威あり」 イラク日報詳細 日本外務省ホームページ「韓国は最も重要な隣国」削除 金子勝:安倍総理の「膿を出す」という発言と行政機関の崩壊 ●靖国問題!! 何で、標本木が靖国神社にあるのか??おかしいと思う!! 東京の桜が開花宣言!靖国神社の標本木を見てきた ・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!) 裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか? 「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」 安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴 ●侵略戦争!! 日中戦争全史年表 ・1937年(昭和12) 8月7日 「日華停戦条件」決定(外、陸、海相が花押) 8月9日 船津辰一郎(在華日本紡績同業会総務理事)と高宗武(国民政府外交部亜州司長)による和平・停戦交渉開始。 上海海軍特別陸戦隊隊長大山勇夫(いさお)、上海郊外の虹橋飛行場前にて射殺される(大山事件) 8月10日 海軍軍令部、「大山事件対処方針」「時局処理方策」決定 8月13日 海軍陸戦隊と中国軍との間で戦闘開始、第2次上海事変始まる 近衛文麿内閣、陸軍の上海派兵決定 8月14日 中国空軍機、第3艦隊旗艦出雲と上海特別陸戦隊本部を爆撃 鹿屋航空部隊台北を発進、台風の荒天をおして杭州、広徳を渡洋爆撃。 8月15日 近衛内閣、暴支膺懲(暴戻なる支那軍を膺懲)の「帝国声明」発表 木更津航空隊長崎の大村基地を発進、中国の首都南京を渡洋爆撃 鹿屋航空隊台北を発進、南昌を渡洋爆撃(日本軍機の被害多発のため以後、夜間の渡洋爆撃) 陸軍、上海派遣軍(司令官松井石根)の「編組」を決定 8月21日 中ソ不可侵条約調印 8月22日 国民政府軍事委員会、紅軍を国民革命軍に改編(総司令朱徳) 8月24日 近衛内閣「国民精神総動員実施要綱」決定 重慶大爆撃パネル展 2017年10月 「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 中国侵略にまっしぐら!! 無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!! 空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃> 重慶爆撃 アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした?? カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。 米軍による日本への無差別爆撃 本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル 重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!! 昭和天皇が戦争狂になった訳 ・安倍晋三の祖父は岸信介 岸信介という人 以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より 岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。 国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。 岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。 岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。 岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。 そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。 このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。 戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。 強制連行の決定 満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略 ●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター 感想 ・森友学園の教育を賛美する安倍晋三が、取り戻すと言っている日本がこの展示で明らかです。もっともっと若い方々に来場して欲しいと思いました。60代男性 ●731の実態 ・ソ連軍が満州に侵入したという情報が入って、上へ下への大騒ぎでしょ。それから私 1日も経たないうちにドカーン、ドカーンとやり出したと思いますけどね。 ・・・・ソ連軍が攻めてきた時ですね、その日の朝にですね、朝の飯に毒を入れましてね、皆殺しを図ったわけですけれどもね、それで死なない、苦しんでいる人を、それに機関銃を向けて射殺したわけですね。・・・・・・・・・ ・・・・ 731(5) 第4回 日本軍による人体実験 闇に消された虐殺~731部隊 731部隊のドキュメンタリー ・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!! 悪魔の飽食:復号731 ●本の紹介 ●特移扱(とくいあつかい)資料 原美臻の特移扱資料6 ●今、731を問う!! 日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。20 謝恩と巡礼訪中報告会 謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話) 731部隊の展示会(中国) 特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 一 戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■ドイツのとりくみと困難 それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならなぃことはあるのでしょうか ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)は、2010年11月26日に、70年間の沈黙を破り約3000人の精神科医が参加した追悼集会が開催され、ナチス時代に精神科医によって25万人以上の精神障害者が死に追いやられたことを認める追悼講演を会長が行い、精神医学や学会としての思想や組織のあり方を振り返り、「施設的および個人的な罪や精神科医および専門学会の巻き込まれ」を問題にしました。 (月刊『前衛』より) 旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます! ●731部隊本部(平房) ●731部隊遺跡を世界遺産に!! ●福沢諭吉 福沢諭吉について6 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。 ──「まさか」ですね。 まさに、まさかの連続でした。「学問のすすめ」だけを読んでも「分限(身の程)を知れ」「(自分の)身分に従え」など、およそ自由平等とは程遠い言葉が次々に出てくる。教育のない者を「無知文盲の愚民」と呼び、そうした人々を支配するには力ずくで脅すしかないと言いきっています。独裁者でもここまで露骨なことは言えません。 ●戦争に反対した人々 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日- 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。 関連文献 倉田稔『小林多喜二伝』論創社、2003年12月、ISBN 4846004082 ノーマ・フィールド『小林多喜二 21世紀にどう読むか』(岩波新書)、岩波書店、2009年1月、ISBN 4004311691 多田茂治 『満洲・重い鎖』-牛島春子(昭和初期の女性共産党活動家)の昭和史-弦書房、2009年、ISBN 978-4-86329-024-2 長谷田直之『「多喜二奪還事件」の記録』伊勢崎・多喜二祭実行委員会、2010年9月、ISBN 4990481917 杉山直樹『血をわたる』自由国民社2011年発行 ISBN 978-4-426-10888-5 今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている) ●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発) 天皇の権限は絶大であった!! 日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕 ・昭和天皇の戦争責任は? 「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。 (『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店) ・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より 第2部 仁愛の政治 1922(大正11)年―1930(昭和5)年 第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機 Ⅳ まず同年2月17日、両統帥部長は沼津の御用邸で彼に改定帝国国防方針の草案を報告した。摂政は翌日これを最高軍事諮問機関である元帥府に諮問した。2月21日、元帥奥保鞏(おくやすかた)が沼津を訪ねて摂政に奉答し、25日、彼は総理大臣の加藤に草案を内覧させた。そして最終的に28日、摂政は両統帥部長を再度沼津に呼び、草案への許可を与えた。このように、彼は改定国防方針にむやみに判を押したのではなく、「十分に納得したうえで」裁可したのである。この納得のゆく説明を受けなければ裁可しないという姿勢は、天皇になったのちも彼の基本的な手法になった。 ※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!! ※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!! 戦争の記憶は消えない!! 英仏では昭和天皇がトップだった。 ※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!! 日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!! 「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア 井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている) ※井本熊男 ・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる ・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀) 寧波(ニンポー)細菌戦 麗水細菌 日本軍の毒ガス戦・細菌戦!! ・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!! 中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!! 聞け、この沈黙の慟哭を 平房の涙、地底の叫びを 見よ、この虐げられた大地を 名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている 記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア 混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮) 『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 「ドーレン博士は医療器具カバンから1本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してザウル・ホルンフェルトの背後に近づき、指で彼の背後を探りました。そしてゾンデを当て、子どもの背中の筋肉を通して深く身体の中まで突き刺しました。ザウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いでわたしは彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろといいました。涙で見えない目で彼はわたしを見ました。すると再び医者がゾンデを突き刺しました。わたしは不安と疑いの目でオフデダール博士を見詰めました。『肝臓穿刺だ』と彼は小声でわたしに言いました。その後、わたしは、ドーレン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も―たぶん肝臓の一部だったのでしょう―少しその中に混じっていました。 外のバラックの通路でわたしは、ちょうど立ち去ろうとしているドーレン博士に会いました。わたしは彼の足を留め、彼の良心に訴えようとしました。わたしは言いました。わたしは召集されており、前線へ行かなければならない。ただ子どもたちと別れるのはつらい。どうか、彼らのここの恐ろしい生活を少し楽にやってはくれまいか、と。彼は何も返事をしませんでした。」 強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査 旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」 強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは? |
●731部隊について
BS1 「731部隊」 西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説 前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容 「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。 後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。 731部隊展 ABC企画委員会 NHKの解説 戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。 番組内容 戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。 BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編) BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編) NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 ※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!! 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし ナレーション 京大に次いで多くの研究者が731部隊に集められた東京大学。 取材に対し、組織として積極的に関わったとは認識していないと回答しています。 取材を進めると東大の幹部が石井と交流していた事実が明らかになりました。医学者で東大の総長を務めた長與又郎(ながよまたろう)です。 遺族の許可を得て入手した長與の日記です。 そこには総長時代から石井と接点があったこと、そして、退任後の昭和15年、731部隊の本部を視察していたことが記されていました。 長與の日記 関東軍司令部に赴き、軍医部長を訪い(おとない)、さらに司令官に面会す。平房(注:731部隊のあった所の地名)に石井部隊を訪い、石井大佐の案内にて事業の一般を見学、水だき(水炊き)の饗応を受く。 ※吉村寿人 ※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。 731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!! 今の日本医学界に、この影響がないのだろうか??? 戸田正三 長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。 この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。 長與又郎 東大総長(1934年~1938年) 総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。 果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか?? 1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。 民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、 石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。 荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか? 1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。 1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか? 1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。 荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。 荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。 戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。 また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか?? 軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。 1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。 小泉親彦 第5代伝研所長 宮川米次 ※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!! ※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!! 当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!! ※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。 「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」 ※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。 また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。 講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって ※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!! ※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。 ※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!! 中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。 ※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。 天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか??? unit731 ※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・) ※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。 ロ号棟の建設について設計図を出してください!! 大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責 黒い太陽731 国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!! つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。 「みんなが知るべき情報/今日の物語」より 日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!! 目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」 教えてゲンさんより 防疫給水部(細菌戦部隊) 細菌戦部隊員の戦後 *藤野恒三郎 (当時)シンガポ-ル岡9420部隊 (戦後)大阪大学生物学研究所教授 *山田秀一 (当時)満鉄衛生技術廠細菌第一部長 (戦後)熊本大学教授 *土屋毅 (当時)同仁会南京診療班長 (戦後)順天堂大学名誉教授 *早川清 (当時)731部隊第4部 9420部隊、ノモンハン事件に参加 (戦後)早川予防衛生研究所経営 *増田知貞 (当時)京都帝国大学医学部卒業、731で石井の片腕、 栄1644部隊部2代目隊長 (戦後)千葉で開業 海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日 ・731問題 ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する?? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!! ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!! 裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、 今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!! 人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。 日本国民だって例外ではない!! ・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた?? 実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。 1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英) 1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。 紅白の殺戮者 1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか? 事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故 また当時の新聞記事や調査において、 三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと 2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと 患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない) 市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること などが分かっている。 当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。 しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。 一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの?? (参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年) 『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より 大牟田「爆発赤痢」事件 日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業 小島三郎 紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件 作者:久保 親弘 紅白の殺戮者 くぼちかひろ 第三章 この競技は「野仕合」と呼ばれ,生徒にもっとも人気がある華やかな戦いで,生徒の多くは郷里の英雄に思いを馳せて,「徳川軍」に参加することを希望していた。全校生徒がひとり残らず参加する競技は,この種目だけであり,運動会最大の見せ場でもあった。 見物の父兄も,生徒の弟や妹たちも,自分たちの息子や,兄の姿を見つけると,夢中で応援の叫び声をあげた。幼い弟や妹たちにとって,秀才として市民から一目置かれる,浜松一中生の兄を持つことは,なによりの誇りでもあった。 笛の音とともに,敵陣に向かって突進する生徒たちは,紙の剣を振り上げて,敵兵に武者振りついていった。あちこちで,紙で作られた五色の「徳川軍」の幟旗と,「武田軍」の幟旗とが,一進一退の激戦を続けている。 ※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか? ※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか?? 1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。 ※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している? 小島三郎の記述 小島三郎(ウキペディア) 小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。 岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。 『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より メリットと業績 第11回の学会では、サルモネラその他のこれに類する報告は陸軍のものが目立ったが、その後は大学や研究所の研究者によっても数多く行われるようになった。 石井とともに浜松に行った小島も、第11回の学会には「腸炎菌主としてゲルトネル菌免疫学的研究」を発表している。助教授時代とそれ以前の小島は、「日本細菌学会」では第4回に「抗毒血清の濃縮法に就て」を、第6回に「化学的に観たる微生物」いう報告を行っており、食中毒やサルモネラやゲルトネル菌についての発表はない。ところが第11回の学会以後、彼は日本各地の各種の食中毒とその原因となる菌について精力的に調査収集を行い、その結果を発表するようになった。そして1939年には、弟子の八田貞義と共著で『食中毒菌』(金原書店)を発表した。この本は日本でのサルモネラ学の基礎を築いたといわれる。またこの頃に小島は「日本国サルモネラ委員会」を作り、サルモネラ研究で日本と外国とを結ぶ役割を果たすようになっていた。この委員会は、コペンハーゲンの国際サルモネラ・センターから診断用血清のための株を多数贈られ、国内の研究の進展に貢献した。小島の主要業績であるサルモネラの分類も、この国際協力のひとつとして、学術振興会の援助を受けて行われた。 『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より) 小泉親彦と昭和天皇 1933年4月工事費20万円をもって着工し、10月に完成した。建物は鉄筋コンクリート2階建てで、延べ1750㎡あった。建物の大きさは、北海道庁赤レンガ館1階フロアとほぼ同じである。このくらいの床面積があれば、背蔭河の実験材料の保存が可能であると推定した。 遠藤二郎の日記、1934年8月11日には、背蔭河訪問時には、良好な飛行場ができていたと記載されていた。陸軍防疫研究室ができると同時に狭くなり、急遽新築したということは、背蔭河の実験が順調に進んで、実験材料が急増し、陸軍防疫研究室に空輸されていたと思われる。 ※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた? 結核予防接種と人体実験 ※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。 ※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過 1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。 5月11日午後、食中毒発病 軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。 「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。 ※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。 ※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。 ※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。 ※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか?? ※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。 ※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!! ※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。 8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。 ・三井という会社 毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている?? ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大 横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系 護衛艦などを作る!!軍需会社!! 三井造船が建造した船舶 ※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。 731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。 イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち 萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?) 2015年 偉人医 ・ 萩野昇 萩野昇(富山のシュヴァイツァー) 富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。 予期せぬアメリカの評価 岡山大学の小林教授の実験室でも、ネズミを用いた実験が平行して行われていた。そしてついに成功した。カドミウムを混ぜた餌を与えたネズミでは、食べた以上のカルシウムが尿から排出され、骨が薄くなることが証明されたのである。1年間でネズミの骨の30%以上が溶け出し、225匹のネズミがイタイイタイ病と同じ症状を示した。この実験結果は昭和42年の日本医学会総会で発表され、逆もまた真なりを証明したのだった。イタイイタイ病のカドミウム説の一番の弱点であった動物実験に成功したのである。アメリカが萩野の研究を認め、研究費を与えたことがイタイイタイ病の原因としてのカドミウム説を証明したのだった。この研究により日本の研究者たちも萩野の学説を支持し、萩野は地元住民たちからも認められるようになった。 ※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。 731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。 三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞 ●日本軍が中国で行った細菌戦 ・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦) ・本の紹介 ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1) カスタマーレビュー おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、 最高の作品の一つ。 著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、 その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。 単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、 その事件を適切に文脈化している。 さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、 現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。 優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。 学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。 ・細菌戦被害地(中国)の旅 ●現代も受けるがれている731部隊の思想?? 話は今につながっている!! 最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!! 石井四郎の戦後 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影 堀田伸永 ※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!! プロローグ 赤茶けた小冊子 「石川太刀雄」とは石川太刀雄丸の別名だ。発行人は1937年12月まで金沢医科大学の講師を務めた後、731部隊で結核と梅毒の研究班を率いていた二木秀雄。出版元の「興論社」の本社の住所を見ると、「金沢市石浦町28」と印刷されてぃる。石川の論文には、原爆が爆裂した上空の距離、キノコ雲の高さ、熱線量などが実数で示されているが、全員即死の爆心からの半径、重症化する患者が多いエリアの半径の数値等は伏せ字になっている。1945年10月1日、都築正男が原爆症についての論文を「総合医学」2巻14号に発表しているが、伏字の分量は都築論文のほうが数倍多い。 原爆に関する記述が徹底的な検閲によって、 あらゆるメディアから削除されていた米軍占領下の日本で、なぜ、石川は、原爆の物的・人的被害の許細を把握することができたのだろうか。謎を解くカギは、原爆投下直後から数度にわたって広島に派道された京都帝大の原爆調査班の成り立ちにあった。 ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2) 宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、 東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された 世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督) 水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した 彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など 731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。 731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを 田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。 田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。 ※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!! ●軍学共同の道(「京都新聞」より) 揺らぐ70年前の教訓 軍学共同の道(2) 防衛装備庁「安全保障技術研究推進制度」への対応状況 昨年から科学者の倫理とのジレンマに、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」は揺れた。秘密にされること、研究の方向性が政府介入でゆがめられることへの懸念の一方、軍事研究の定義や、民生研究との境界でも異論があった。自衛目的なら認めるべきとの声もあった。今年4月。軍事研究をしないと掲げた50年と67年の声明を「継承する」との声明を出した。 「軍学共同反対滋賀連絡会」共同代表の成瀬龍夫・元滋賀大学長は「気をつけるべきは理工系だけではない。防衛装備庁の研究テーマではビッグデータの活用も入っていた。滋賀大はデータサイエンス学部をつくっている。心理学も戦争に応用でき、文系学部も無関係ではない」と警鐘を鳴らす。 【2017年11月25日掲載】 驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く ・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。 (以下敬称略) 国家のため医学のためという大義名分の下に、何千人もの捕虜や住民を丸太(マルタ)と称して使い、血も凍るような凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の思想・精神は、脈々と後進に受け継がれているのだ。 そして今、その何百倍、何千倍という規模の人体実験が福島を中心に行なわれているのである。 731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。 彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。 ※いろいろな医学系の研究所では今何が行われているのだろうか?? 子宮頸がんワクチン接種後の症状 政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解 ※神谷研二 2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。 被曝をめぐる御用学者の系譜 |