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●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●「北東アジア国際関係の激変と日中関係」 大西広慶応義塾大学教授
●4月18日(木)18時~「ビザ発給拒否国賠裁判」報告会
●731と米国の核戦略
●防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
●原子爆弾症研究者都築正男と米の核戦略
●武見太郎と金原節三の関係
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●催し物
●沖縄
海は命!!
シバサシ-安里清信の残照- ダイジェスト
沖縄は、核と枯葉剤で汚れている!!
「天皇メッセージ」 (てんのうめっせーじ)
枯れ葉剤を浴びた沖縄とベトナム戦争
沖縄と核
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●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●戦争とは何だろうか??
隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~
戦争神経症・・・戦争は、被害者も加害者も大きなトラウマになる
治安維持法10万人の記録
治安維持法と長野県
NNNドキュメント「防衛大学校の闇 連鎖した暴力…なぜ」
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●ニュース
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
危険性高いウイルスの取り扱い 住民に伝達 国立感染症研究所
危険性高い病原体扱えるBSL4稼働へ 武蔵村山の施設
香港政府、逃亡犯条例棚上げ論も デモで「審議困難」
日本が米国から105機購入 ステルス戦闘機F-35が抱える11の問題点
鳩山元首相「日本は韓国の最高裁判決に従って強制徴用について賠償すべき」
川内原発1号機、来年3月停止へ テロ対策施設遅れ
津波対策の必要性認める 陸上イージス、国の説明一転
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・中国に出征していた兵士に慰安婦のことは聞いていた。軍の中におりサックを渡された。(男性、70代)
●横浜「731部隊・100部隊・毒ガス戦パネル展の感想(4月29日~5月3日)
5/3(金)
6.男.50.板橋.来て良かった。興味深かった。
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
魔の廃墟のあとに
彼らがもし、研究所への出入を許されていたのだったら、当然殺されてしまっていたろうに・・・・と、私は複雑な気持でその光景を眺めた。
食糧品を八分目くらいの高さに積んでから、その上に畳をかぶせた。そしてわずかな、貨車の天井との間に、私達が乗るのである。
ハルビンの郊外にソ連の落下傘部隊が降下したのは、その夜半であった。照明弾照下に、20km以上離れているはずの忠霊塔が、意外な近さでくっきりと浮き出し、そぼ降る雨を通して、舞い降りる落下傘の群がまるで大粒な牡丹雪のように見えた。上空での空中戦は、ますます熾烈を極め、照明弾が恐怖に青ざめている私達の顔を意地悪く照らし出した。
私達は、もはや逃げられないものと秘かに観念のほぞを固めた。部隊に留まって最後まで戦うんだと力む雇員もいた。そのために積込みはしばらく忘れられたかたちであった。
そうした最中に、1人の軍属姿の者が軍刀を杖にして石炭の小山の上に上り、塑像のようにじっと立ち尽くしていた。この凛々しさが、ことさら人目を惹く美しさに見えたのだろうが、よく見ると、それは女であった。事務員のほかには女の軍属がいるとは聞いていなかったので、私達は誰だろうと不思議がっていた。浜中は総務部にいたのだから知っているだろうと思ってたずねてみたが、彼も知らなかった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
関東軍化学部
凶悪残忍な化学戦演習
実験中に中国人民に与えた傷害については、渡辺国義さんがさらに詳細な資料を提供している。渡辺さんは516部隊の隊員で、1940年には同部隊の特種自動車第1連隊資材廠に所属する新兵訓練担任の伍長だった。1942年連隊炊事係曹長、1945年、練習隊第1大隊第1中隊の曹長となり、日本降伏後抑留された。
1954年8月8日、戦犯として行った彼の供述を以下に記す。
・・・・・
1945年6月上旬、黒竜江省フラルギ部隊演習場で、訓練隊放毒訓練時、私は砲のそばで、あか筒30発を発射、中国人に対して放毒するのを監督した。ガスはそこから300m離れたフラルギ及びチチハルの道路に向かって流れ、通行中及び耕作中の10名の中国人が呼吸器官に傷害を受けた。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
2)天皇裕仁の免罪・免責を目的とした憲法1章と2章9条の設定
マッカーサーがもう1つ懸念していたのは、前年1945年12月に、米英ソ3国のモスクワ外相会議で、日本占領の最高政策決定機関として、新たに「極東委員会」なるものを設置し、46年2月26日にワシントンで正式発足することが決定されていたことである。この極東委員会の構成国は、米国、英国、ソ連、中国、フランス、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの連合国諸国の上に、インドとフィリピンを加えた11か国、すなわち、東京裁判の構成国と全く同じであった。これらの構成国の中では、オーストラリアだけではなく、ソ連、ニュージーランド、カナダ、オランダも、裕仁の戦争責任免責や天皇制温存に否定的な考えを持っていた。しかも、同委員会の権限には、戦犯裁判の政策決定や、「憲政機構の根本的変更」、つまり憲法改正案の作成なども含まれていたのである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 田中利幸
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
1999年以降の有事法制により、有事の際に全国の医療機関や医師が担うべき役割が規定されました。政府が「有事」とみなせば、病院などを管理下に置き、医師・看護師などには公用令書(かつての召集令状、赤紙)が届けられ、医薬品等も調達物資の対象となり、命令に反すると罰則の対象にもなります。
私たちが同法に従うことになれば、「いつか来た道」をたどることになりかねません。それでも「命令には従わざるを得ない」 という声が多数であったという結果を示す調査もあります。良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会のような国際機関では基本的人権「良心の自由」として認知され、推奨されており、法制化が図られている国もあります。日本国憲法では許されていない国の武力による威嚇または武力の行使のもとでの医療従事者への命令を拒否する権利の保障についても議論されねばならないのではないでしょうか。日本の医学界・医療界が国の内外で、軍縮、戦争放棄に取り組むことも医学者・医師の戦争医学犯罪の防止につながると改めて思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
金原節三衛生学校長 1955.8.1~1957.12.15
1957、1 増田美保訪米3か月間
1957、7 『衛生学校記事』刊行
1957、9.24~11.30 ヨーロッパ・米国(金原)
突如として転任されたので、見る目も痛ましい程に悲しみにうち萎れておりましたが、編集員一同の悲しみも同様で・・・・
1957,10 化学学校(創設)
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第9章 聖戦
8月31日の天皇の命令、「北支那方面軍を北支那に派遣す」は、戦争はすぐ終わるとの見地で、「敵の戦争意志を挫折せしめ」、「中部河北省の敵を撃滅すべし」と好戦的に命じた。しかし、この大命では天皇の意思に従い、青島に部隊を派遣することは取りやめとした。次いで2週間の間に、天皇は戦闘が泥沼化してきた上海地区への増派準備のため6次にわたる動員を裁可した。9月7日、天皇は3個師団と台湾駐屯軍の上海戦線への派遣を裁可し、同時に、昭和天皇はソ連を懸念し、満州防備のため他の部隊を送るように命じた。第1部長(作戦)石原莞爾少将は部隊増強に強く反対していたにもかかわらず、それを止めることができなかったため、辞任し、関東軍参謀副長に転任した。
憲法9条を生かそう!!