細菌戦の系譜!!

2021-04-28 11:19:48 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に

 

江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。

 

もう許さんぞ。「突けッ」初年兵が突き飛ばされた。ウウッ・・・悲鳴とも判らぬ声が松林をぬった。みるみる体は蜂の巣のように引き裂かれ、真っ赤な血が足を伝って大地にしみ込んでいった。

それを満足そうに笑いを浮かべながら見ていた坂下は、きゅっと唇を吊り上げると、さっと軍刀を引き抜いて女の下腹めがけて突っかかっていった。鮮血は辺りを染めた。松がごうごうと鳴り、枯れ葉が叩くように降って来た。その女は張子良隊長の夫人であった。夫の神出鬼没の遊撃に備えて夫人は村落に残り、日本兵の惨行を細かく調べ、夫に報告していたのだった。そして農民たちは陰に日なたに夫人を守り、祖国の為に闘っていたのだ。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

2  シビリアン・コントロールの欺瞞

 イチジクの葉の国防会議

 政府のいう文民統制とは、先に述べたような実質的意味をもつものではなく、全く形式的なものにすぎない。それは防衛庁内局(文官)、国防会議、政府、そしてほんの名目的に国会によるコントロールして規定されている。これらがすべて完全に機能したとしても、真の市民統制からは遥かにへだたっている。しかも現実は、こうした擬制としてのシビリアンコントロールでさえ形骸化していることを示しているのである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

 

 予報は、地形及び化学剤の野外における作用の評価と相まって、次の事項を決定する基礎になる。

a、いかなる化学剤をいつ、どこで用いるべきか。

b、弾薬の消費量。

c、使用方法。

d、風下の危険地域の範囲(毒ガスを使用する場合)

e、有効な障害を保存するには、いつ汚染を強化しなければならないか」

教範『野外における化学剤の使用』が書いているように、生物・化学戦争にとって、その計画と実施に当たっては、気象概況と微気象の予測を綿密に行なわなければならない。

 

 

 

 

 

 

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



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細菌戦の系譜!!

2021-04-28 11:12:40 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

結局、26人の被告だけが起訴されることとなった。そのなかには、軍国主義や民族的狂信を煽るのにひと役買った実業家、大学の知識人、仏教徒、裁判官、ジャーナリストなどは含まれていなかった。4月13日、ソビエト代表団が遅れて来日すると、彼らは戦争経済の確立に指導的役割を果たした3人の実業家を被告に加えようと試みたが、結局、梅津美治郎大将と外交官である重光葵のふたりを追加できただけだった。他方、裁判が終結するまでに、元外務大臣の松岡洋右と元海軍軍令部総長、永野修身のふたりの被告が死亡した。さらに、被告のひとり―大川周明―は精神障害と診断された〔その結果審理から除外〕。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

小泉親彦と昭和天皇

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

アメリカ合衆国

ニューメキシコでの核実験

1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。

爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。

実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。

詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照

 

 



 

 

 

 

 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 

 

 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
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細菌戦の系譜!!

2021-04-27 11:16:20 | Weblog
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4月30日(金)~5月10日(月)ブログお休み

 

中国侵略戦争

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

ミャンマー情勢巡るASEAN合意、市民から批判の声


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

 

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



 

 
 

 
 

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 

 

 

 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

 

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


 

 



 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-04-27 11:15:20 | Weblog

         昭和への挽歌   野崎忠郎


 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 



 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか

○予防接種法の制定と相次ぐワクチン訴訟

我が国では、戦後、感染症による死者が多数発生したことなどから、1948年に「予防接種法」が制定され、12疾病のワクチン接種が義務化された。その後、感染症による死者は大きく減少したが、一方で1960年代半ば頃からワクチンによる健康被害等がクローズアップされるようになった。特に、1989年から開始されたMMRワクチンについては、ムンプスワクチンの成分による無菌性髄膜炎が多発したことで訴訟が各地で起き、国の敗訴が相次いだ結果、わずか4年で中止されるという事態になった。

 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-04-27 11:12:58 | Weblog

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)


 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

菌の毒力に関する実験的研究(第1報)

特に試験管内の毒力増強方法について

真柄正直

次は試験管内の毒力増強法であるが、自分は培養基として血液を選んだ。この理由は、以前、血液の殺菌作用に関する実験の時認めた事実、即ち、同一の菌株について見る時、毒力の高いものほど血液の殺菌作用に影響され難い等、毒力と血液との間に密接な関係があると云う事実に依るのである。

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

判決の反応と情報公開

 

近藤昭二(ジャーナリスト)

 

 また、情報公開についてですが、これまで、日本政府は細菌戦部隊に関してわすか10件足らずの資料しか公開していませんでした。調査に関しては、いつまでも「調査中である」「それに関する資料は見つかっていない」等の回答しか返って来ませんでした。これまでは中国、ロシア、アメリカで発見された資料を突き合わせて、1つ1つの事実を洗い出していくという作業しかできませんでした。

 

 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-04-27 11:11:07 | Weblog

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月十七日

下を通る散歩者の散歩者の姿は 内地のそれより華やかに陽気に見える。何分遊んでいる連中が多いんだから止むを得ないんだがなー入浴も行った、酒保も行った為幸いな一日が終わった。先日一寸書いたが小島が矢張平康里に酒を飲んできた。小島、手嶋、鈴木にいいようにいじめられてしまた。明日からまた将校集会所

 

 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

≪24年4月、峠君のひどい喀血は君をして死への恐怖のあがきをそそったことは否めない。・・・その死への危惧が同君をして日本共産党への入党の踏切りとなり、更に6月5日、あの船越町、日鋼事件への闘争参加となった≫と豊田清史氏は証言している。

 自分の悲惨な死への恐怖に打ち勝つためには、生き残る者たちが、彼らの悲惨な死を克服する為の手がかりに、自分の死そのものを役立てることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、後に残る生者の生命の一部分として生き延びる事ができる。

 唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

 

大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

 

“731”のことなど

 731”の中で本当は何をしていたのか、それを知ったのは日本に帰って来てからです。帰る前位に噂で一寸知っていましたが。わし等がやった死体運びも、箝口令が出ていたわけではないけど、他人に話さなかったし、他の連中からも“731”のことは聞きませんでした。うすうす分かっていたけど。何となく運んだ死体が研究の為の実験材料だってことはうすうすとね。

 

 

 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

2 731部隊とは何か

 

以上の4部の他に教育部、資材部、診療部があったが、診療部(部長は永山太郎)といえども人体実験を行なっていた(後述)、本書には、秦正氏、竹内豊、田村良雄らによる部隊の組織系統図が示されており、それぞれの間にはズレも見られるが、これはむしろ、隊員たちが当時の部隊の組織系統をどのようなものとして理解していたかを見る鍵になり得るものである。

 

 
 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

南京攻略戦で毒ガス戦に傾く

 

11月7日、上海派遣軍と第10軍を統一指揮するための中支那方面軍(方面軍司令官は松井上海派遣軍司令官が兼務。後に朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍に就任)が設置された。上海での激しい攻防戦の結果、11月9日以降に中国軍は退却を開始したので、上海派遣軍・第10軍は陸軍中央が設定した作戦範囲を無視して中国軍の追撃を開始、11月19日に柳川第10軍司令官は中国国民政府の首都・南京を攻略することを宣言した。陸軍中央はこれに驚いたが、結局現地軍の行動を追認し、12月1日に昭和天皇は「中支那方面軍は海軍と協力して敵国首都南京を攻略すべし」と正式に命令したので(奉勅伝宣「大陸名第8号」)、12月13日に日本軍は南京を占領するに至る。

 

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

秘密の軍事学校

 

 

 しかしこの学校内の大量の防毒マスクは秘密保持性のもので、ごく一部分だけしか貸し出されず、かつ厳重な監督が必要だった。学校の教材も大部分が機密とされ、表面に「軍事機密」、「軍事秘密」、「秘」、「部外秘」等の標記が加えられた。一冊の本の中で、内容が異なれば機密保持の等級も異なり、異なった色の紙を使って区分された。このような本を使用するにも厳格煩瑣な手続きがあって、紛失すると厳重な懲罰を受けた。 

 

 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-04-27 11:06:53 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に

 

江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。

 

「ウッ・・・」低いうめきと共に胸からダーッと血がほとばしった。やったな。不意をつかれて皆一様にドキッとした。

 その鼻先へ「鬼めっ」「打死(打ち殺せ)」

5人の口から一斉に押し付ける様な叫びが漏れた。

血を見て狂った坂下も私も大声を張り上げた。

「突け、突け!」

だが、喚けば喚くほど補充兵は後ずさりをした。藤本はそこに座り込んだまま動こうとしない。

「突け、突かんか・・・」その時女が叫んだ、

「中国は偉大だから必ず勝つ!!」

4人が答えた。

「鬼め、お前らこそ、この穴に入るべきだ・・・」「そうだ」瞬間、私はヒヤッとした。

脇の下からタラタラと冷や汗が流れた。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

2  シビリアン・コントロールの欺瞞

 イチジクの葉の国防会議

 アメリカをはじめ、すべてのブルジョア諸国でも、シビリアン コントロールは形骸と化し、たんなる文官統制にすぎなくなっている。だが、いくつかの国々では民主主義の伝統が人民と労働者兵士のなかに生きている。軍隊と政治の理念や制度にも、民主主義的枠組みが残されている。これにたいし、憲法とそれにもとづく政治体制とは別に、全く異質の存在として設置され、強化されてきた自衛隊には、そのような条件はひとかけらもない。51年以降、大量にその指導部に流入した旧軍人は、天皇の軍隊の伝統を継承させる人的パイプとしての役割を果たし、60年安保闘争をはじめとす階級矛盾の発展は、独占資本の私兵としての性格をますますつよめた。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

北海道や関東北部地方で行われている防霜作戦もその例外ではあり得ないだけでなく、民生協力という名によって、自衛隊の生物・化学戦争のための研究や訓練が蓄積されて、後で述べるように成長してきたというべきであろう。

 「担当化学係幹部は、化学戦に対する勧告を計画する前に、予想作戦地域に対する予定作戦時刻における気象班の一般気象予報と微気象予報を確保しておかねばならない。化学係幹部はまた詳細な偵察、地図、空中写真または放出する化学剤の作用に影響すると思われる予想作戦地域内及びその周辺の地形状態のモザイク写真による研究に関連して、これらの予報を評価しなければならない。化学係幹部はなるべく自ら直接観測して、気象班の予報を確かめなければならない。

●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 

 

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細菌兵器を実戦に使用した!!

2021-04-27 11:04:21 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 執行委員会は、被告の人数を28人まで絞り込んだ。満州事変の立案者であった石原莞爾もほかの容疑者とともに被告から除外された。石原は起訴準備段階においても事情聴取を受けていなかった。石原が被告リストから除外されたのは、彼が東条と対立し、東条政権の打倒を試みたというキーナンの好意的印象大きく作用した結果と考えられる。しかし、それはまた、中堅幕僚層はアメリカの場合と同様、侵略を主導する原動力ではありえないという、アメリカ検察陣の誤った思い込みも反映していたのかもしれない。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

歴史的重要度の高い核爆発・核実験

 

年月日          名称(実験名)            核出力 (kt)     実施国 重要性

1998年5月11日 シャクティ II 12 インド インドによる初の原子爆弾実験

1998年5月28日 チャガイ-I 9-12? パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験

2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年) 1.5-15? 北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験

2010年11月18日 ポルックス ? アメリカ合衆国 アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている

2013年2月12日 北朝鮮の核実験 (2013年) 10-45? 北朝鮮 北朝鮮による初の強化原爆実験?

2016年1月6日 北朝鮮の核実験 (2016年1月) 10? 北朝鮮 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある)

各国の核実験[編集]

「核実験の一覧」も参照

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

 水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
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細菌戦の系譜!!

2021-04-26 09:17:53 | Weblog
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4月30日(金)~5月10日(月)ブログお休み

 

中国侵略戦争

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

ASEAN 特使をミャンマー派遣で対話仲介へ 議長声明を発表


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

 

日本でワクチンが出来ない訳は



 

 
 

 
 

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 

 

 

 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

 

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


 

 



 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-04-26 09:16:08 | Weblog

         昭和への挽歌   野崎忠郎


 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 



 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

(写真は、ドイツが実施したバイオ攻撃に対応するための訓練)=AP

生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日(国連:ウ・タント事務総長)

環境への影響予測不能

1、この報告の総括的な結論は数行に要約することができる。即ち、もしこのような兵器が戦争で大規模に使用されるならば、その力がいつまで持続するか、また、それらが我々の生活している社会構造や環境にどんな影響を与えるかは誰も予測することが出来ないということである。この圧倒的な危険は、これらの兵器を先に使用した国にも、攻撃された国にも同じように伴うであろう。その危険は、その国が攻撃能力の開発と並行していかなる防御手段を講じたかどうかに関係がないだろう。費用がかさむことがはっきりしているにも関わらず、どの国でもこの種の戦争の能力を何とかして開発し、獲得できるということからも、特殊な危険性が生じている。この種の兵器が急増する危険性は先進国同様、低開発国にもあるのである。

1、これらの兵器の生産が効果的かつ無条件に禁止されたならば軍備競争の勢いは明らかに弱まるであろう。多数の人命を奪うこうした兵器の使用は、1925年のジュネーブ議定書、最近では国連総会の決議など国際的な合意によって既に非難され、禁じられている。もし、戦争を目的とした化学薬品、細菌の開発、製造、貯蔵がなくなり、すべての兵器庫からそうしたものが消えうせれば効果的な国際管理のもとでの一般完全軍縮、ひいては世界平和への展望は大いに明るいものとなろう。

1、以上のことが実現すれば、国際的な不安や緊張は全般的に弱まるだろう。この報告によって、これらの兵器が使用された場合のきけんな結果が一般に知られ、目覚めた民衆が各国政府に対し早急に生物・化学兵器をなくすよう活動することを求め、その保証を得ることが、この報告書を書いた人たちの願いである。

(1969年7月5日 朝日新聞)

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

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