3月16日 かいせんくんが虹の橋へ旅立ちました。
保護してからちょうど1年4か月 頑張りぬいた日々でした。
うっかり?入ってしまったトラップケージから始まったかいせんくんの家猫修行生活。
もともと触れる子ではなったから、時間はかかるだろうなぁ…と思っていたが、流石!のかいせんくんは
自分の流儀を貫き通した。
今思えば、保護当時が一番体力的にも安定していたのだろう。
ケージの上段でしゃーしゃー言いながらも本当に良く食べ、飲んだ。本格的な寒さが来る前の保護だったが
おそらく初めてのホカペの温かさにとろけた表情が、外にいた時とは全く違って嬉しかったな。
トイレも失敗することなくすぐに使いこなすようになり、水入れもゴハンのお皿も一度だってひっくり返すこともなく
ワタシとの距離は全く縮まることはなかったが、かいせんくんは保護ケージでの暮らしにすぅーっと馴染んでいった。
当初の予定では体調の観察も兼ねて1か月位ケージで、その後は陽当りの良いふわり部屋でケージフリーに。
大好きな日向ぼっこをして、できればふわりと仲良くなってもらえたらいいなと思っていた。
でも…かいせんくんは頑としてケージから出なかった。扉をフルオープンにしておいても出なかった。
外に出るといっても所詮は保護部屋の中だ。かつて闊歩していた庭とは風も匂いも違う、けれど狭いケージより
良いだろう?と思ったのはワタシだけだったのか…。
保護してみて初めて知ったことがたくさんある。殊に驚いたのはかいせんくんがとてもビビリな猫だったということ。
迫力ある面構えなのに、ニンゲンが怖くてビビリしょんまでしてしまうほど怖がりだということ。
百戦錬磨の子だと思い込んでいたけれど、実際はそうではなく、争いを好まず避けて通っていたのかもしれない。
少なからず、我が家の庭にたどり着いた晩年の彼は。
ようやく手にした自分だけの場所。
暖かく涼しく、探さなくても食べるものがあって、大嫌いなニンゲンが時々覗くのは嫌だけど、敷物を替える時以外は
特段こわいこともされないから「まぁいいか」って思える、そんな場所。
二段ケージの、上段の、四つ折りのケットで一杯になっちゃうような、ほんのわずかなスペース。
そこはかいせんくんにとって、外への興味を凌ぐほどの安心できる場所になったのだろう。
体調の波は激しかった。保護後調子よく食べることができていたのはほんの1か月足らずで、そこから先は薬を変えたり
その薬をどう飲んでもらうか、食べられるものはどれか、好きなものはなにか、どうしたら食べられるか…思考の日々。
かつて同じ難治性口内炎で苦しんだぎんちゃんのことが頭をよぎった。
口腔内潰瘍の痛みと出血と排膿。食べられないことで栄養不良となり、緩徐に貧血が進み、じわじわと体力を落とす悪循環。
食べて体の中に栄養を取り込むという、当たり前にしていることにも実は相当なエネルギーと体力が必要だ。だから本当に
体力が落ちてしまうと食べられないし、貧血が進み低酸素で機能低下した消化管組織では消化吸収することができなくなる。
食べることは生きること。食べてくれることは希望。けれど、食べさせることが苦痛を招く状況も存在する。
かいせんくんの最期の日々をどうすごしてもらうか…考え続けた最後の平成の3か月。
目指したのはソフトランディングであり、死への行程に逆らわない ということ。それがしろりん家流のおくりかた。
かいせんくん。
陽だまりのマシュマロクッションで昼寝してる姿、見たかった。
お刺身ワシワシもっと食べて欲しかった。
ミルクまみれの顔で「にゃ」って声聞かせてほしかった。ホントはとってもかわいい声なんだよね。
おひさまの匂いのするふわふわケット大好きだったね。
ホントはね、もっともっと仲良くなりたかったよ。
食べてもらおうと思って買い込んだゴハンがたくさん残っちゃったじゃないか…全部、全部持っていくんだよ。
ミルクも焼きかつおも銀スプも。大好きなもの全部。お腹いっぱいになってゆっくり眠るんだよ。
そして、かいせんくん。いつの日か、またね!
保護してからちょうど1年4か月 頑張りぬいた日々でした。
うっかり?入ってしまったトラップケージから始まったかいせんくんの家猫修行生活。
もともと触れる子ではなったから、時間はかかるだろうなぁ…と思っていたが、流石!のかいせんくんは
自分の流儀を貫き通した。
今思えば、保護当時が一番体力的にも安定していたのだろう。
ケージの上段でしゃーしゃー言いながらも本当に良く食べ、飲んだ。本格的な寒さが来る前の保護だったが
おそらく初めてのホカペの温かさにとろけた表情が、外にいた時とは全く違って嬉しかったな。
トイレも失敗することなくすぐに使いこなすようになり、水入れもゴハンのお皿も一度だってひっくり返すこともなく
ワタシとの距離は全く縮まることはなかったが、かいせんくんは保護ケージでの暮らしにすぅーっと馴染んでいった。
当初の予定では体調の観察も兼ねて1か月位ケージで、その後は陽当りの良いふわり部屋でケージフリーに。
大好きな日向ぼっこをして、できればふわりと仲良くなってもらえたらいいなと思っていた。
でも…かいせんくんは頑としてケージから出なかった。扉をフルオープンにしておいても出なかった。
外に出るといっても所詮は保護部屋の中だ。かつて闊歩していた庭とは風も匂いも違う、けれど狭いケージより
良いだろう?と思ったのはワタシだけだったのか…。
保護してみて初めて知ったことがたくさんある。殊に驚いたのはかいせんくんがとてもビビリな猫だったということ。
迫力ある面構えなのに、ニンゲンが怖くてビビリしょんまでしてしまうほど怖がりだということ。
百戦錬磨の子だと思い込んでいたけれど、実際はそうではなく、争いを好まず避けて通っていたのかもしれない。
少なからず、我が家の庭にたどり着いた晩年の彼は。
ようやく手にした自分だけの場所。
暖かく涼しく、探さなくても食べるものがあって、大嫌いなニンゲンが時々覗くのは嫌だけど、敷物を替える時以外は
特段こわいこともされないから「まぁいいか」って思える、そんな場所。
二段ケージの、上段の、四つ折りのケットで一杯になっちゃうような、ほんのわずかなスペース。
そこはかいせんくんにとって、外への興味を凌ぐほどの安心できる場所になったのだろう。
体調の波は激しかった。保護後調子よく食べることができていたのはほんの1か月足らずで、そこから先は薬を変えたり
その薬をどう飲んでもらうか、食べられるものはどれか、好きなものはなにか、どうしたら食べられるか…思考の日々。
かつて同じ難治性口内炎で苦しんだぎんちゃんのことが頭をよぎった。
口腔内潰瘍の痛みと出血と排膿。食べられないことで栄養不良となり、緩徐に貧血が進み、じわじわと体力を落とす悪循環。
食べて体の中に栄養を取り込むという、当たり前にしていることにも実は相当なエネルギーと体力が必要だ。だから本当に
体力が落ちてしまうと食べられないし、貧血が進み低酸素で機能低下した消化管組織では消化吸収することができなくなる。
食べることは生きること。食べてくれることは希望。けれど、食べさせることが苦痛を招く状況も存在する。
かいせんくんの最期の日々をどうすごしてもらうか…考え続けた最後の平成の3か月。
目指したのはソフトランディングであり、死への行程に逆らわない ということ。それがしろりん家流のおくりかた。
かいせんくん。
陽だまりのマシュマロクッションで昼寝してる姿、見たかった。
お刺身ワシワシもっと食べて欲しかった。
ミルクまみれの顔で「にゃ」って声聞かせてほしかった。ホントはとってもかわいい声なんだよね。
おひさまの匂いのするふわふわケット大好きだったね。
ホントはね、もっともっと仲良くなりたかったよ。
食べてもらおうと思って買い込んだゴハンがたくさん残っちゃったじゃないか…全部、全部持っていくんだよ。
ミルクも焼きかつおも銀スプも。大好きなもの全部。お腹いっぱいになってゆっくり眠るんだよ。
そして、かいせんくん。いつの日か、またね!
その時の猫はそろそろ旅立っていくわけで、
近頃はその死の報告+過ぎた若かりしき時の自分達の思い出を、
あわせもった追悼のような気分で、読んでしまう。
ただ、かいせんくんは、新顔の部類で、
これから幸せになると思っていたので、残念でありますが、
あの状態で外というのも過酷だったと思うので、
本当に感謝している!!
人になれない猫だから外にリリース、
余りに人に慣れ過ぎて、心配なので保護、里親募集。
そういうパターンでないと、抱え込んでしまうけど、
いつも、弱った子を助けてくれてありがとうございます!
絶対に言える、
かいせんくんはお家で快適だったと思う、
人間苦手でも。
ホントにね、あの頃お手本にさせていただいてた猫の先輩方も保護の仲間たちも
猫と一緒に歳をとり、その役割は保護から看取りにシフトしているよね。
最期まで看取って送ることが自分たちの次の仕事と分かっていても
毎日がわちゃわちゃだった保護の日々ようにはblogを綴ることもできない。
だから皆一様に綴ることから離れていったのだろうと思う。
かいせんくんは、本当に弱ってからだけど顔を拭かせてくれてね、
気持ちよさそうに私の手に頭をぐりぐりさせてね…なんにもしてあげられなかったけど
保護してよかったんだろうな、きっと…と思った。
逡巡はいくらもあるけれど、ホカペで爆睡していたかいせんくんの寝顔は
幸せそうだったとやっぱり思う。
あの時、リリースしないと決めたことが正しかったのかどうかわからないけれど
後悔はしていない。
うまく言えないけど、外の子を保護できるときって、絶対に巡りあわせって
あると思うんだよね。どんなに望んでもできない子もいれば、ふとその時が巡ってくる子と。
かいせんくんは後者だったのだと、あのタイミングがそうだったのだと
私は信じたいと思います。
いつも心を寄せてくださってありがとうございます。
かいせん君、虹の橋に渡ってしまったんですね。
一進一退の日々…後ちょっと…なんて思ってるとつれなかったり…それでも喜んでいるんだな~って思う事も。
かいせん君、ほんと強面で怖いものなし!って思っていましたが、ビビリさんなのですね(笑)
心優しい子だったんでしょうね★
あの辛い状況から手を差し伸べてくれたしろりんさんには感謝していることと思います。
かいせん君、たくさん頑張ったね。
美味しいおみやげたくさんで嬉しいね~いっぱい食べてウマウマしてゆっくり休んでね。
コメ嬉しかったです。
かいせんくんは、外にいたときから表情の読めない子でしてね、まさか超びびり猫だったとは!
彼にとってニンゲンは、最期まで苦手な存在だったのだろうけど、
それでもホカペに横倒しになって爆睡している姿に恐怖の存在はなかったと思う。
家猫生活を楽しんでもらうつもりだったんだけどね、結局なんにもしてあげられなかった。
ただ、オペ後にリリースしてすぐに風になってしまったとしたら、
私はものすごく後悔しただろうと思う。なんにもしてあげられなかったけど
かいせんくんは共に暮らして逝くことで、私に安心を残してくれた。
私の方こそ、かいせんくんに感謝しかありません。