クロズリーデリラというパリのカフェ
ずいぶん昔、高村光太郎記念会の事務局長・北川太一さんから、
今年の連翹忌はパリのクロズリーデリラというカフェでやりま
すと伺ったことがある。連翹忌(れんぎょうき)は毎年、光太
郎の命日である4月2日に開催されている。
その年の暮れにパリのカフェを訪ねることにした。本来なら
「花のパリ」と言われるくらいだから季節の良い初夏に訪れた
いところだが、自分の懐はいつも涼しいので12月の旅になっ
た。クリスマスを除いて冬のパリを訪れる人は少ない。従って
旅費も安い。
光太郎は、いわゆる良いところの息子で(父は日本屈指の木彫
作家・高村光雲)父の援助で3年ほど遊学するときには大勢の
門弟達が横浜港まで見送ったという。
光太郎はパリ滞在中に同じ彫刻家であるロダンの作品を見て衝
撃を受けることになる。日本人には無い、図太く豪快な作風に
圧倒され「俺はやはり一人のモンゴロイドに過ぎない」と滞在
日記に書き残したという。
クロズリーデリラはリュクサンブール公園を南に下がった辺り
にあり、モンパルナス駅からは歩いても400米位だ。巴里派
の文人や画家が集まった有名なカフェで、モンマルトルから物
価の安いモンパルナスに集まってきたのだという。その中には、
ヘミングウェイやピカソ、藤田嗣治らも居た。写真は店でもら
った立派なパンフレットの部分だが、もしもこのカフェが無け
れば、キュビズムは生まれなかったかも知れないという。
少し歩いて、アンバリド宮(ナポレオンの墓所)を訪ねた後に
隣のロダン美術館にも行ってみた。ロダン美術館はロダンのア
トリエであった館で、作品を数千点を収蔵している。収蔵品に
は接吻、カレー市民、地獄門などがある。展示品は館内と中庭
に置かれている。
つづく
ずいぶん昔、高村光太郎記念会の事務局長・北川太一さんから、
今年の連翹忌はパリのクロズリーデリラというカフェでやりま
すと伺ったことがある。連翹忌(れんぎょうき)は毎年、光太
郎の命日である4月2日に開催されている。
その年の暮れにパリのカフェを訪ねることにした。本来なら
「花のパリ」と言われるくらいだから季節の良い初夏に訪れた
いところだが、自分の懐はいつも涼しいので12月の旅になっ
た。クリスマスを除いて冬のパリを訪れる人は少ない。従って
旅費も安い。
光太郎は、いわゆる良いところの息子で(父は日本屈指の木彫
作家・高村光雲)父の援助で3年ほど遊学するときには大勢の
門弟達が横浜港まで見送ったという。
光太郎はパリ滞在中に同じ彫刻家であるロダンの作品を見て衝
撃を受けることになる。日本人には無い、図太く豪快な作風に
圧倒され「俺はやはり一人のモンゴロイドに過ぎない」と滞在
日記に書き残したという。
クロズリーデリラはリュクサンブール公園を南に下がった辺り
にあり、モンパルナス駅からは歩いても400米位だ。巴里派
の文人や画家が集まった有名なカフェで、モンマルトルから物
価の安いモンパルナスに集まってきたのだという。その中には、
ヘミングウェイやピカソ、藤田嗣治らも居た。写真は店でもら
った立派なパンフレットの部分だが、もしもこのカフェが無け
れば、キュビズムは生まれなかったかも知れないという。
少し歩いて、アンバリド宮(ナポレオンの墓所)を訪ねた後に
隣のロダン美術館にも行ってみた。ロダン美術館はロダンのア
トリエであった館で、作品を数千点を収蔵している。収蔵品に
は接吻、カレー市民、地獄門などがある。展示品は館内と中庭
に置かれている。
つづく
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