先週の「カーネーション」
そろそろぼけてきたおばあちゃんがお父さんが生きてると思っているのに、
糸子が怒鳴りそうになって、お店の経理のめぐみさんが
「怒ったらあきません。怒ったってわからへん。笑ってきいといたってください」
と柔らかい口調で諭してた。
それがなかなかできない。
頭ではわかってる。
よくわかってないんだし、笑ってきいてあげようって。
すぐ忘れちゃうんだし、うんうん言っててあげようって。
でも、つい「違う」って言ってしまう、反論してしまう・・・
私は、冷たい娘だ。
うちの母も、写真だけになった父が
「何も食べないの」と心配そうに言う。
え?生きてると思ってるの?どう返していいかわからない。
妹に言うと、「ああ、かわいいもんやん。
大丈夫、やせてないやろ?元気やろ?って返しといたらええやん」と言う。
あんた、すごいわ・・・
私は、ふがいない姉だ。
以前、友達に「病気で苦しんで死ぬのと、認知症でわからなくなって死ぬのと
どっちがいい?」と聞かれた。
病気で苦しんだ姑を看取った友達は、「認知症の方が楽でいい」と答えたが、
ちょうど父の介護に戸惑っていた私は、即答できなかった。
ある日突然、目が覚めたら、何もわからなくなっているわけじゃない。
忘れたり、思い出したりの繰り返しで、自分がどうなっていくか不安でたまらないはずだ。
身体の痛いのは薬で抑えられるけど、不安や絶望感は抑えられない。
穏やかだった父が、「何にもわからないんや」と子供みたいに泣きじゃくる様子や
「私の気持ちなんてわからない」とヒステリックになる母を見ていて、
認知症の方がいいなんて、絶対に思えなかった。
自分が自分じゃなくなっていく・・・
長い人生積み上げてきたものを、根こそぎ壊していく・・・ なんて残酷な病気なんだろう。
母が認知症になってから、もう何年経つだろう。
認知症には、現在進行を抑える薬しかない。
それがそろそろ効かなくなって来たのか、目に見えて頼りなくなってきた。
去年の今頃と比べて、できないことがどんどん増えている。
もう料理は全くしなくなってしまった。
食材を見ても、どういう料理になるかわからないらしい。
手順もよくわからない。
火を使うのも怖いので、冷蔵庫におかずを置いておいて、食べてもらうことにしたら、
電子レンジの使い方が何度言っても覚えられない。
ある日、「何も食べるものがない」と泣きながら電話がかかってきた。
あわてて行ってみると、冷蔵庫の中にはおかずがそのまま置いてある。
食べ方がわからないから、パンばかり食べていて、パンが切れたので
パニックになったらしい。
パンばかりじゃ栄養偏るだろ・・・と、平日はヘルパーさんに来てもらって
夕食を食べさせてもらうことにした。
土日は、私が行く。
世間話をして、ご飯食べさせて、片付けて、帰ってくる。
だけど、曜日がわからない。
平日に、「今日あんた来るって言うてたやん・・・」と泣きながら電話がかかってくる。
土日は、「今日はヘルパーさん来なくて・・・」と文句を言う。
「いや、今日土曜日やし、来ないし」と言い切ると、また泣く。
なんだかな・・・ なんで、もうちょっとやさしくできないんだろ。
すごい自己嫌悪。
働いてる私のやってる介護なんて、たかがしれたものだと思う。
もっと介護に追われて、疲れきってる人はいっぱいいるだろう。
仕事をして日々ばたばたしてる私には、これが精一杯かと思いながら、
あんなに大事に育ててもらったのに、私は冷たい娘だ・・・との罪悪感が
いつもつきまとう。
でも、仕事を減らして介護に向き合うことにも、まだ大丈夫か?と踏み切れない。
なんだかもやもやしたものが、いつも心のどこかにある。
そんな心を抱えて、土日絶対に行かなくちゃいけないのが、正直つらい。
逃げ出したくなる。
母は器用で、手芸全般何でもできる人だった。
去年ぐらいまでは、編み物などなんとかできていたが、
今年になって、ほんとに何もできなくなってしまった。
何度教えても全然覚えられない。
この間は、ズボンの丈を直すのを毛糸でまつっていて、かなりショックだった。
あんなに何でもできたのに、こんな風になっちゃうのか・・・と。
だが、何かしないと・・・と思うらしい。
これは、物を作る人の本能かもしれない。
ぼんやり時間を過ごすことができないみたいだ。
週末行くと、今まで貯めていた色々な材料ややりかけの刺繍などが
座っている廻りにごちゃごちゃと並べてある。
「そろそろ、何かしなくちゃと思って」
専業主婦だった母にとって、手芸は唯一の自己表現だったのかもしれない。
妻、母じゃなく、一個人として自分を認めてもらうコミュニケーションツールだったのだと思う。
何か作らなくちゃ、何かみんなに教えなくちゃと思うらしい。
だけど、やり方がちっともわからない。
これはできるんじゃないか?とまた探してる。
行く度に、材料や布が廻りに増えている。
片付けても片付けてもきりがない。
私もこうなってしまうのかもしれない。
認知症って、なりやすい人となりにくい人がいると聞くけど、
両親ともにそうなってしまった私は、なりやすいんじゃないの?
時々ものすごく怖くなる。
私も母みたいに、材料、廻りにごちゃごちゃ並べまくってるかもしれない。
今の在庫状況じゃ、それはそれは恐ろしいことになる。
最近、追い詰められたようにまじめに製作中なのは、
やばい、減らしておかないと・・・との潜在意識が働いているのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・
長くなってしまった。思いきり暗くなってしまった。
ごめんなさい。
なんだか、たまってるものを吐き出したかった。
重苦しい気持ちにさせてしまったかも。
ほんとにごめんなさい。
ああ、らしくないな。
吐き出して、ちょっと心が楽になったら、いつも通り前向いて、ぶいぶい行こう。
前向きに、貪欲に、体力の続く限り、人生楽しんで行こう。
思い悩んでいてもしょうがない。
明日は明日の風が吹く。
なんとかなる、なんとかしたると、自分を信じて、歩いて行こう。
なんとかならんかっても、きっと誰かが支えてくれる。
私は一人じゃないと思って、顔上げて、笑って行こう。
そろそろぼけてきたおばあちゃんがお父さんが生きてると思っているのに、
糸子が怒鳴りそうになって、お店の経理のめぐみさんが
「怒ったらあきません。怒ったってわからへん。笑ってきいといたってください」
と柔らかい口調で諭してた。
それがなかなかできない。
頭ではわかってる。
よくわかってないんだし、笑ってきいてあげようって。
すぐ忘れちゃうんだし、うんうん言っててあげようって。
でも、つい「違う」って言ってしまう、反論してしまう・・・
私は、冷たい娘だ。
うちの母も、写真だけになった父が
「何も食べないの」と心配そうに言う。
え?生きてると思ってるの?どう返していいかわからない。
妹に言うと、「ああ、かわいいもんやん。
大丈夫、やせてないやろ?元気やろ?って返しといたらええやん」と言う。
あんた、すごいわ・・・
私は、ふがいない姉だ。
以前、友達に「病気で苦しんで死ぬのと、認知症でわからなくなって死ぬのと
どっちがいい?」と聞かれた。
病気で苦しんだ姑を看取った友達は、「認知症の方が楽でいい」と答えたが、
ちょうど父の介護に戸惑っていた私は、即答できなかった。
ある日突然、目が覚めたら、何もわからなくなっているわけじゃない。
忘れたり、思い出したりの繰り返しで、自分がどうなっていくか不安でたまらないはずだ。
身体の痛いのは薬で抑えられるけど、不安や絶望感は抑えられない。
穏やかだった父が、「何にもわからないんや」と子供みたいに泣きじゃくる様子や
「私の気持ちなんてわからない」とヒステリックになる母を見ていて、
認知症の方がいいなんて、絶対に思えなかった。
自分が自分じゃなくなっていく・・・
長い人生積み上げてきたものを、根こそぎ壊していく・・・ なんて残酷な病気なんだろう。
母が認知症になってから、もう何年経つだろう。
認知症には、現在進行を抑える薬しかない。
それがそろそろ効かなくなって来たのか、目に見えて頼りなくなってきた。
去年の今頃と比べて、できないことがどんどん増えている。
もう料理は全くしなくなってしまった。
食材を見ても、どういう料理になるかわからないらしい。
手順もよくわからない。
火を使うのも怖いので、冷蔵庫におかずを置いておいて、食べてもらうことにしたら、
電子レンジの使い方が何度言っても覚えられない。
ある日、「何も食べるものがない」と泣きながら電話がかかってきた。
あわてて行ってみると、冷蔵庫の中にはおかずがそのまま置いてある。
食べ方がわからないから、パンばかり食べていて、パンが切れたので
パニックになったらしい。
パンばかりじゃ栄養偏るだろ・・・と、平日はヘルパーさんに来てもらって
夕食を食べさせてもらうことにした。
土日は、私が行く。
世間話をして、ご飯食べさせて、片付けて、帰ってくる。
だけど、曜日がわからない。
平日に、「今日あんた来るって言うてたやん・・・」と泣きながら電話がかかってくる。
土日は、「今日はヘルパーさん来なくて・・・」と文句を言う。
「いや、今日土曜日やし、来ないし」と言い切ると、また泣く。
なんだかな・・・ なんで、もうちょっとやさしくできないんだろ。
すごい自己嫌悪。
働いてる私のやってる介護なんて、たかがしれたものだと思う。
もっと介護に追われて、疲れきってる人はいっぱいいるだろう。
仕事をして日々ばたばたしてる私には、これが精一杯かと思いながら、
あんなに大事に育ててもらったのに、私は冷たい娘だ・・・との罪悪感が
いつもつきまとう。
でも、仕事を減らして介護に向き合うことにも、まだ大丈夫か?と踏み切れない。
なんだかもやもやしたものが、いつも心のどこかにある。
そんな心を抱えて、土日絶対に行かなくちゃいけないのが、正直つらい。
逃げ出したくなる。
母は器用で、手芸全般何でもできる人だった。
去年ぐらいまでは、編み物などなんとかできていたが、
今年になって、ほんとに何もできなくなってしまった。
何度教えても全然覚えられない。
この間は、ズボンの丈を直すのを毛糸でまつっていて、かなりショックだった。
あんなに何でもできたのに、こんな風になっちゃうのか・・・と。
だが、何かしないと・・・と思うらしい。
これは、物を作る人の本能かもしれない。
ぼんやり時間を過ごすことができないみたいだ。
週末行くと、今まで貯めていた色々な材料ややりかけの刺繍などが
座っている廻りにごちゃごちゃと並べてある。
「そろそろ、何かしなくちゃと思って」
専業主婦だった母にとって、手芸は唯一の自己表現だったのかもしれない。
妻、母じゃなく、一個人として自分を認めてもらうコミュニケーションツールだったのだと思う。
何か作らなくちゃ、何かみんなに教えなくちゃと思うらしい。
だけど、やり方がちっともわからない。
これはできるんじゃないか?とまた探してる。
行く度に、材料や布が廻りに増えている。
片付けても片付けてもきりがない。
私もこうなってしまうのかもしれない。
認知症って、なりやすい人となりにくい人がいると聞くけど、
両親ともにそうなってしまった私は、なりやすいんじゃないの?
時々ものすごく怖くなる。
私も母みたいに、材料、廻りにごちゃごちゃ並べまくってるかもしれない。
今の在庫状況じゃ、それはそれは恐ろしいことになる。
最近、追い詰められたようにまじめに製作中なのは、
やばい、減らしておかないと・・・との潜在意識が働いているのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・
長くなってしまった。思いきり暗くなってしまった。
ごめんなさい。
なんだか、たまってるものを吐き出したかった。
重苦しい気持ちにさせてしまったかも。
ほんとにごめんなさい。
ああ、らしくないな。
吐き出して、ちょっと心が楽になったら、いつも通り前向いて、ぶいぶい行こう。
前向きに、貪欲に、体力の続く限り、人生楽しんで行こう。
思い悩んでいてもしょうがない。
明日は明日の風が吹く。
なんとかなる、なんとかしたると、自分を信じて、歩いて行こう。
なんとかならんかっても、きっと誰かが支えてくれる。
私は一人じゃないと思って、顔上げて、笑って行こう。