ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

粒子物理学は素朴集合論的な論理の連鎖で証明して行けるのではなかったのか?(3)

2013年11月25日 | 究極理論
グラショウは電弱統一の枠組みを作ったと評されている、対してワインバーグとサラムは基本的には電弱統一理論の完成者だと日本では思われており、

その意味ではシェルドン(グラショウ)は親日派というわけではけっしてないのだと思う・・。

彼の自負は(当時から)「自分の電弱統一は足元が堅固で危なげがなく、ワインバーグやサラムは不明確な土台を持っていてぐらぐらしている」と誇っていた。ただ、1961年のグラショウ論文(南部のノーベル賞論文と同じ年!)では肝心だと思えるヒッグス機構が組み込まれていない、それとは逆にワインバーグ論文では《レプトンの理論》と題されていてクォーク反応が蔑ろにされていた。ここで「ならばアンタ(=私)のユニバーサルフロンティア理論は電弱統一をクォークの理論に修正した物なのか?」という意見が出てきてしかるべきかもしれない。まだそんなことを言われたことはないが、いまやそこからでも出来るだろう、だが私はそこから始めたのではないw)

だからこそデジタルインフレーションから始めることが出来たのだと正気で思っている・・。

私にとってクォークに関するゲルマン公式Q=I3+Y/2(Y=1/3:ハイパーチャージ)をY=±1(負号はレプトン,正号はクォーク)として対称的に書き替えることが出来たというのは大きな誇りなのだ!

このことは《超対称性ことSUSY》(super symmetry)を超越した《極超対称性ことHISY》(hipper symmetry)の成立を示唆しており、そこからスピン0の湯川中間子が強い相互作用における主役となる可能性を秘めているので、おそらくアメリカとかドイツとか湯川疎ましさで仕事をしてきた連中には不可能な仕事だと思うのだw)

だって1979年のグルーオン発見を放棄せざるを得ないのだぞ、発見?国ドイツにも、そして前提としている量子色力学発祥の地アメリカにも思い付かれる道理がナイ・・。

私見では《グルーオン発見?》ではノーベル賞が出ておらないのは何よりの証拠だと思います!

南部先生はその通俗的?あるいは啓蒙的!書物である講談社ブルーバックスの『クォーク』において「Wボソンとフォトンとは質量だけの違い?」と評しておいてシーソーに同一人物の痩せた姿と食べ過ぎて太った姿が乗っている挿絵で気持ちを表現していらっしゃった。私にとってなんだか自分がシーソーに乗らされているような妙な気分になったものだ。「えっ?電荷からして異なるのに質量だけの違いだって?」とびっくらこいたものだったが、それがノーベル賞授賞理由とは違う領域における南部の特徴だったと言ってイイ・・。

そしてCP破れ(授賞理由)における【小林=益川模型】ではそのままエネルギー保存則やぶりを敢行しておったものだ!

つまり2008年度ノーベル物理学賞は日本人二人と日本産一人による保存則に対するアンチテーゼという共通項があったように覚えているw)

しかし電弱統一においても「W粒子とフォトンとが質量の違いだけで同じ物」という認識は(確か)なかったはずだし、彼らのノーベル賞だって少し遅れて1979年だったし、当時のハーバード大学の理論物理は秘密主義だったとも聞いているから、ひょっとしてあるいはひょっとしなくても南部先生は知らなかった、ちゃんと知らされておらなかったという公算が高い。いや、論文はずーっと以前だったから参照すればわかるはずなんだが、あるいはシュウィンガーの風変わりな?(とグラショウが評した)電弱統一理論をより評価していたという可能性もある、おそらくそうだったのではなかろうか?

だとしたら「Wボソンのスピンを最初から1だったと報告しておればシュウィンガーがすべてを手中にしたはずうんぬんかんぬん~」というのはかなり的外れな批評だったことになる、日本評論社は虚心坦懐に素直に反省してくれていいだろう・・。

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