生徒にとればどっちも割り算だというのが大切ですのにw
小学生というのは断じて哲学者ではない、それこそ志向として真逆だとお伝えしたい限り、そうですのや。かつて非行する現代数学者だった森毅がですね、いみじくも甘やかしたというかなんていうか、とにかく学校の先生てのはサボりだから何もしないよりはマシだ、なんて呑気かましてくれてたのが等分徐と包含徐なんです、ほい。ワシらアル中から帰還して断酒を余儀なくされておる身からしたら丸わかりな「酒が入っているうちが正気でしらふでは酔っぱらっている」という自覚何ぞは「おいアル中、エエ加減にせえ~」と一喝くれてやりたくなります、はい。
たまに断酒抜きに一生を終えられる場合があるだけですw
酒を止めて考え直しても同じことを言ってるとしたらドクターの言う「カラ酔っ払い」ですな、酒を飲まずに飲んだと同じくハイになってるという、ま、ここ最近のワシとてちょっとだけ言えマヘンけど、そう。卑しくも仕事の話で、大して賛同せんとって、言うに事欠いて「何もせんよりはまし」とは、呆れ果てて二の句が告げマヘンがな、そう。ただ、責を負う気は多少はあるらしく「数学者にどの程度まで算数を薦めるべきかどうか迷っている」とは言ってたですのや、へえ。
おい、そんならご自分で研究して結果を出して物を言えw
ワシの見解では、そう。そこで結果がどう出てもそれらは哲学的な数学かもしくは数学基礎論的な仕事であって算数教育ではない、そう思いますのや、そう。いま、教育界では飛び級がないことの弊害としてのギフテッドの扱い問題などで悩んでいる、そうですやろ、そうやないか。同じく割り算計算であることがすぐワカル者にとって、それらを分類せねばならぬのは苦痛以外の何事でもなく、無理無駄そのものでしかない、そうやないか。