CP「KsとしてK^0(反K^0)が観測された」 → 「出発地点に反K^0(K^0)が戻っていく」
CP「Klとして反K^0(K^0)が観測された」 → 「出発地点にK^0(反K^0)が戻っていく」
これが先だっての結論めいた事柄でしたけど、T=CPEおよびE対称性は自明(粒子と騾馬粒子とは質量の絶対値が等しい)といたしますれば・・
T「KsとしてK^0(反K^0)が観測された」 → 「出発地点に騾馬反K^0(騾馬K^0)が戻っていく」
T「Klとして反K^0(K^0)が観測された」 → 「出発地点に騾馬K^0(騾馬反K^0)が戻っていく」
ここから、さらにT変換を施しますと、T=CPEであり、TT=1(恒等変換)なので・・
T「出発地点に騾馬反K^0(騾馬K^0)が戻っていく」 → 「KsとしてK^0(反K^0)が観測される」
T「出発地点に騾馬K^0(騾馬反K^0)が戻っていく」 → 「Klとして反K^0(K^0)が観測される」
となるので、再び、メデタシメデタシなんですけど、これは「もっと広く一般にすべてのEPR相互連関の説明にもなっている」と主張しておきたいです!
これは《ベルの定理》が世の中に公表された瞬間に勝ち得ることの出来た“私の思想”だったのですから・・、で、フランス人には申し訳ないような感じがしますけれど、そのベルさんが亡くなった時には「あー、僕の反論じみた発想が彼を苦しめて死に追いやったのだなー」って本気で思いましたモン・・。
(合掌)
また、ここから「KsとKlとが混合したらどうなるか?」を論じる機会に恵まれたと考えても良いように思われました。なぜなら初期状態が2つのK^0(2つの反K^0)に帰着されるのは(CP破れの中でも)《直接破れ》と言われる特別な反応だからです。
対して《間接破れ》とされるのは反応全体にT変換を2回施した式の右辺において「KsとKlとが入れ違っている」モノを言い、そしてフィッチとクローニンとが観測した「Klの寿命をしたKs」とは(正に)この場合にあたるのです。
彼らは寿命の長い中性K中間子のグループから有意の数の2πに崩壊するモノを見ました・・。
「寿命が長い」とはKlであることを意味し、Klが複数のπ中間子に崩壊する際は、それは3πにしかなり得ません。
CP「Klとして反K^0(K^0)が観測された」 → 「出発地点にK^0(反K^0)が戻っていく」
これが先だっての結論めいた事柄でしたけど、T=CPEおよびE対称性は自明(粒子と騾馬粒子とは質量の絶対値が等しい)といたしますれば・・
T「KsとしてK^0(反K^0)が観測された」 → 「出発地点に騾馬反K^0(騾馬K^0)が戻っていく」
T「Klとして反K^0(K^0)が観測された」 → 「出発地点に騾馬K^0(騾馬反K^0)が戻っていく」
ここから、さらにT変換を施しますと、T=CPEであり、TT=1(恒等変換)なので・・
T「出発地点に騾馬反K^0(騾馬K^0)が戻っていく」 → 「KsとしてK^0(反K^0)が観測される」
T「出発地点に騾馬K^0(騾馬反K^0)が戻っていく」 → 「Klとして反K^0(K^0)が観測される」
となるので、再び、メデタシメデタシなんですけど、これは「もっと広く一般にすべてのEPR相互連関の説明にもなっている」と主張しておきたいです!
これは《ベルの定理》が世の中に公表された瞬間に勝ち得ることの出来た“私の思想”だったのですから・・、で、フランス人には申し訳ないような感じがしますけれど、そのベルさんが亡くなった時には「あー、僕の反論じみた発想が彼を苦しめて死に追いやったのだなー」って本気で思いましたモン・・。
(合掌)
また、ここから「KsとKlとが混合したらどうなるか?」を論じる機会に恵まれたと考えても良いように思われました。なぜなら初期状態が2つのK^0(2つの反K^0)に帰着されるのは(CP破れの中でも)《直接破れ》と言われる特別な反応だからです。
対して《間接破れ》とされるのは反応全体にT変換を2回施した式の右辺において「KsとKlとが入れ違っている」モノを言い、そしてフィッチとクローニンとが観測した「Klの寿命をしたKs」とは(正に)この場合にあたるのです。
彼らは寿命の長い中性K中間子のグループから有意の数の2πに崩壊するモノを見ました・・。
「寿命が長い」とはKlであることを意味し、Klが複数のπ中間子に崩壊する際は、それは3πにしかなり得ません。