物理現象における実験結果(effect)に対する根本原因(cause)をそれぞれEとCとで表すことにします・・。
1)通常の因果関係「原因→結果」を数式C>Eだとすると、逆「結果→原因」は数式C<Eであり、
2)量子観測は両者が一致しているから数式C=Eになる。(後で説明します)
3)因果律を定義「C<Eがありえない」によって等号で結んだら文章「量子力学には因果律が成立している」が得られるのです!
3)さらに観測者による観測行為をOで表すことに決めますと量子観測は数式(C=E)Oとなるのです。
4)3)の結論は文章「観測は創造行為である」と翻訳できます。
5)それ以外の場合ですと、C>E(O)もしくはC<E(O)です。
《シュレーディンガーの猫》という物語は「たった一個の放射性原子による崩壊現象が量子力学の定式では猫を殺す装置を作動させる原因にもなりうる」ことから始まっております。量子力学による影響は微視的現象から幾らでも大きな巨視的現象にまで拡大できる、と言うわけでした。微視的な世界の法則性と評された量子力学における粒子性と波動性の二重性だとか、あるいは確率解釈が必要となるような非実在性は、単に微視的な現象に止まることは無く幾らでも大きな世界にまで適用できて、その間には、アインシュタインがしきりに指摘したがっているような継ぎ接ぎなど存在しない、と言うのですね。ですから微視的な世界だけに存在するとしか思われていなかった「たった一個の放射性原子が崩壊前と崩壊後の半々の状態である」という定式は「一匹の猫が半死半生の半々の状態である」という非現実的な描写にまで持ち越されるという不条理は防ぎようがない真実だ、というところに至ってパラドクスであると認識されたのです。
問題の答えは「放射性原子の定式そのものが一個の原子を表現していない」というわけでした。
なにしろ隠れたパラメーターが半減期なんですから!
正に、この問題に確率解釈を与えてノーベル賞を受賞したボルンが正しかったわけですね。まあー、なんというか・・、なんというあっけない答えだったろう・・、と驚きます。ボルンはソルヴェイ会議の座長でしたが、シュレーディンガー問題「針の穴を通して波動化させた電子がフィルムに到着した瞬間において広がった波動関数が瞬時に一点に収縮する現象」によって会議が紛糾した際に「ああ、私はディレッタント(素人)だ」と叫んで、批判まみれの難を逃れたという伝説的な行動の後で、家に帰ってそのときの考えをこっそりまとめてノーベル賞をせしめた、という勇敢なる武勇伝の持ち主です。
一個の素粒子の話になっておるのは途中だけであって初期状態は多数の原子だから物語そのものが成立できません!
ま、おかげさまで一匹の猫が半分死んでいて半分ぴんぴんしている状態など無くて済みます・・。
そのことと量子観測とが「結果=原因」であることの関係は、また次に、では、チャオ!
1)通常の因果関係「原因→結果」を数式C>Eだとすると、逆「結果→原因」は数式C<Eであり、
2)量子観測は両者が一致しているから数式C=Eになる。(後で説明します)
3)因果律を定義「C<Eがありえない」によって等号で結んだら文章「量子力学には因果律が成立している」が得られるのです!
3)さらに観測者による観測行為をOで表すことに決めますと量子観測は数式(C=E)Oとなるのです。
4)3)の結論は文章「観測は創造行為である」と翻訳できます。
5)それ以外の場合ですと、C>E(O)もしくはC<E(O)です。
《シュレーディンガーの猫》という物語は「たった一個の放射性原子による崩壊現象が量子力学の定式では猫を殺す装置を作動させる原因にもなりうる」ことから始まっております。量子力学による影響は微視的現象から幾らでも大きな巨視的現象にまで拡大できる、と言うわけでした。微視的な世界の法則性と評された量子力学における粒子性と波動性の二重性だとか、あるいは確率解釈が必要となるような非実在性は、単に微視的な現象に止まることは無く幾らでも大きな世界にまで適用できて、その間には、アインシュタインがしきりに指摘したがっているような継ぎ接ぎなど存在しない、と言うのですね。ですから微視的な世界だけに存在するとしか思われていなかった「たった一個の放射性原子が崩壊前と崩壊後の半々の状態である」という定式は「一匹の猫が半死半生の半々の状態である」という非現実的な描写にまで持ち越されるという不条理は防ぎようがない真実だ、というところに至ってパラドクスであると認識されたのです。
問題の答えは「放射性原子の定式そのものが一個の原子を表現していない」というわけでした。
なにしろ隠れたパラメーターが半減期なんですから!
正に、この問題に確率解釈を与えてノーベル賞を受賞したボルンが正しかったわけですね。まあー、なんというか・・、なんというあっけない答えだったろう・・、と驚きます。ボルンはソルヴェイ会議の座長でしたが、シュレーディンガー問題「針の穴を通して波動化させた電子がフィルムに到着した瞬間において広がった波動関数が瞬時に一点に収縮する現象」によって会議が紛糾した際に「ああ、私はディレッタント(素人)だ」と叫んで、批判まみれの難を逃れたという伝説的な行動の後で、家に帰ってそのときの考えをこっそりまとめてノーベル賞をせしめた、という勇敢なる武勇伝の持ち主です。
一個の素粒子の話になっておるのは途中だけであって初期状態は多数の原子だから物語そのものが成立できません!
ま、おかげさまで一匹の猫が半分死んでいて半分ぴんぴんしている状態など無くて済みます・・。
そのことと量子観測とが「結果=原因」であることの関係は、また次に、では、チャオ!