やはりコペンハーゲン解釈では遺憾なのだ・・。
半減期という量子数というかマクロな意味における通俗語は、しかし素粒子もしくは複合粒子や複合粒子単体には、そのまま適用ばかりはしかねる概念であり、正しい量子数は「崩壊する粒子の寿命」である。そして寿命もまた、幅が狭くはあるが、観測値から比べたら平均値であるに過ぎない!中性子単体の平均寿命は10数分だが安定核種の中では完全に安定である。また、放射性核種の場合には寿命よりも半減期が選ばれる・・、半減期という数値は量子数とは異なっており、ただ単に統計的な概念であるに過ぎない。その面から来るパラドクスの解決が当ブログの前回において展開されているのだが、しっかりお読みいただけたであろうか?
さらに中性子の寿命は10数分であるが不確定性原理から来るバラつきならばある・・。
その場合に半減期の代わりとして崩壊の平均値として採用すれば新たな《シュレーディンガーの猫》パラドクスを構成することが可能だ。そのように統計的な要素を断ち切ってしまえば当初の意図通りにパラドクスだという気がする。そこを「しかし、そうではない・・」と言うためには何が必要なのだろうか?
その場合には小林および益川両氏を断ち切ってしまうほかに無くなる・・。
つまり「量子論的重ね合わせあるいは混ざり」という偽物理学的な発想を断ち切ってしまえばいいのである。K^0中間子と反K^0中間子もそうだが、ただ単に混ざり合っている物理的実在など存在させてはならないのであって、互いに遷移する過程をこそ明らかにしなければいけないのだ!
失礼ながら《小林=益川模型》ではdsbクォークの三種が混ざり合う根拠にかけている・・。
そこから「素粒子反応が起こったかどうか」は「観測されたかどうか」と同義であって、なにも知的生命の大脳による確認を経る必要などなかったことが知れるのである。知的生命が確認しなくたって物理現象は法則どおりに動いており、確率事象は確率事象で、素粒子反応が起きる以前と以後とを波動関数によって混ぜて論じることは許されることではない!
それは隠れたパラメーターとしての《存在に関する量子数0または1》によって防がれる・・。
一個の中性子がベータ崩壊を起こして陽子に変化したことは、中性子あるいはdクォークの存在に関する量子数が1から0に変化したことを意味し、陽子もしくはuクォークの量子数が0から1に変化したことを意味する。それは観測結果と同様であって、ハイゼンベルグの不確定性原理は、なにも素粒子の種類が変化するとか、電荷が変わることとか、を示しているのではなくて、ただ単に、一種類の素粒子または複合粒子に関して位置や運動量などに関して不確定だということを述べているに過ぎない!
素粒子の種類が変化することは不確定性でフォローできることじゃなくて観測同様の自然現象なのであった・・。
ニールス=ボーア、敗れたり・・。
知的生命の大脳は電磁場に起因する擾乱を引き起こすのみ、だったのだ!
半減期という量子数というかマクロな意味における通俗語は、しかし素粒子もしくは複合粒子や複合粒子単体には、そのまま適用ばかりはしかねる概念であり、正しい量子数は「崩壊する粒子の寿命」である。そして寿命もまた、幅が狭くはあるが、観測値から比べたら平均値であるに過ぎない!中性子単体の平均寿命は10数分だが安定核種の中では完全に安定である。また、放射性核種の場合には寿命よりも半減期が選ばれる・・、半減期という数値は量子数とは異なっており、ただ単に統計的な概念であるに過ぎない。その面から来るパラドクスの解決が当ブログの前回において展開されているのだが、しっかりお読みいただけたであろうか?
さらに中性子の寿命は10数分であるが不確定性原理から来るバラつきならばある・・。
その場合に半減期の代わりとして崩壊の平均値として採用すれば新たな《シュレーディンガーの猫》パラドクスを構成することが可能だ。そのように統計的な要素を断ち切ってしまえば当初の意図通りにパラドクスだという気がする。そこを「しかし、そうではない・・」と言うためには何が必要なのだろうか?
その場合には小林および益川両氏を断ち切ってしまうほかに無くなる・・。
つまり「量子論的重ね合わせあるいは混ざり」という偽物理学的な発想を断ち切ってしまえばいいのである。K^0中間子と反K^0中間子もそうだが、ただ単に混ざり合っている物理的実在など存在させてはならないのであって、互いに遷移する過程をこそ明らかにしなければいけないのだ!
失礼ながら《小林=益川模型》ではdsbクォークの三種が混ざり合う根拠にかけている・・。
そこから「素粒子反応が起こったかどうか」は「観測されたかどうか」と同義であって、なにも知的生命の大脳による確認を経る必要などなかったことが知れるのである。知的生命が確認しなくたって物理現象は法則どおりに動いており、確率事象は確率事象で、素粒子反応が起きる以前と以後とを波動関数によって混ぜて論じることは許されることではない!
それは隠れたパラメーターとしての《存在に関する量子数0または1》によって防がれる・・。
一個の中性子がベータ崩壊を起こして陽子に変化したことは、中性子あるいはdクォークの存在に関する量子数が1から0に変化したことを意味し、陽子もしくはuクォークの量子数が0から1に変化したことを意味する。それは観測結果と同様であって、ハイゼンベルグの不確定性原理は、なにも素粒子の種類が変化するとか、電荷が変わることとか、を示しているのではなくて、ただ単に、一種類の素粒子または複合粒子に関して位置や運動量などに関して不確定だということを述べているに過ぎない!
素粒子の種類が変化することは不確定性でフォローできることじゃなくて観測同様の自然現象なのであった・・。
ニールス=ボーア、敗れたり・・。
知的生命の大脳は電磁場に起因する擾乱を引き起こすのみ、だったのだ!