私の研究によってこれまで過剰に評価されてきたことが分かってもらえたように思いますが、
ヒルベルトのプランを粉々に打ち砕いたという史実が真実だとしたら、それはなにより大きな功績だったと存じます。ですから学術研究におけるライバルの存在と役割ということに関して深く思いめぐらさせないでおきませんw)
たとえゲーデル命題がけっして内容を否定させないカリー命題でありクォーク命題であろうと、それが数論の命題として存在することを示し、さらに数学の無矛盾性と同値だということを証明したゲーデルの功績は小さくはないでしょう。しかし、その内容はあっと驚くモノであった、ヒルベルトプランを覆す以外にはちんぷんかんぷんな内容であった、ようするにヒルベルトの計画した数学の無矛盾性は証明されないと明確に予言したのである。
残念ながら彼のいう数学の無矛盾性とは背理法で公理を覆してしまう矛盾の排除の話ではなかった・・。
彼の言う数学の無矛盾性とは「任意の数学命題の無矛盾性が証明できれば数学体系の無矛盾性を示したことになる」であり、公理の保身?に役立つ相互矛盾の排除のことではない。ただ数学基礎論は進展して定理として「間接法で証明できるものはすべて直説法で証明できる」を得ているので、公理の無矛盾性としても背理法を必要とするわけではない。
ペアノ公理の反例というか、非常に紛らわしい例ならば次のような数列を挙げれば十分であるw)
an=n+[1/N] (Nは非常に大きな自然数)
[ ]はガウス記号である。
私はこの数列を自然数と区別がつかないであろう数列の例として数学セミナーに送ったことがある。ちょうど30年前の話だが覚えておられると思うが、もちろん当時としては数学基礎論に深くかかわることなど思いもよらなかった、高校時代のちょっとした手柄の延長としてモノしたまでである。
こうなると天才ヒルベルトを外してみると案外と詰まらないのが努力家ゲーデルという図式であると思うw)
ゲーデルマニアやファンにはひどい内容になったが、なにしろ私自身がやってきたことがこのように絡んでいるので、それが理由なことなのでご容赦願いたい・・。
ヒルベルトのプランを粉々に打ち砕いたという史実が真実だとしたら、それはなにより大きな功績だったと存じます。ですから学術研究におけるライバルの存在と役割ということに関して深く思いめぐらさせないでおきませんw)
たとえゲーデル命題がけっして内容を否定させないカリー命題でありクォーク命題であろうと、それが数論の命題として存在することを示し、さらに数学の無矛盾性と同値だということを証明したゲーデルの功績は小さくはないでしょう。しかし、その内容はあっと驚くモノであった、ヒルベルトプランを覆す以外にはちんぷんかんぷんな内容であった、ようするにヒルベルトの計画した数学の無矛盾性は証明されないと明確に予言したのである。
残念ながら彼のいう数学の無矛盾性とは背理法で公理を覆してしまう矛盾の排除の話ではなかった・・。
彼の言う数学の無矛盾性とは「任意の数学命題の無矛盾性が証明できれば数学体系の無矛盾性を示したことになる」であり、公理の保身?に役立つ相互矛盾の排除のことではない。ただ数学基礎論は進展して定理として「間接法で証明できるものはすべて直説法で証明できる」を得ているので、公理の無矛盾性としても背理法を必要とするわけではない。
ペアノ公理の反例というか、非常に紛らわしい例ならば次のような数列を挙げれば十分であるw)
an=n+[1/N] (Nは非常に大きな自然数)
[ ]はガウス記号である。
私はこの数列を自然数と区別がつかないであろう数列の例として数学セミナーに送ったことがある。ちょうど30年前の話だが覚えておられると思うが、もちろん当時としては数学基礎論に深くかかわることなど思いもよらなかった、高校時代のちょっとした手柄の延長としてモノしたまでである。
こうなると天才ヒルベルトを外してみると案外と詰まらないのが努力家ゲーデルという図式であると思うw)
ゲーデルマニアやファンにはひどい内容になったが、なにしろ私自身がやってきたことがこのように絡んでいるので、それが理由なことなのでご容赦願いたい・・。
その「己自身」にこだわるという姿勢が表現力や自己言及にこだわっていて本質に至らなかったゲーデルという形につながっていて非業の死を遂げた男というイメージに重なるが、
それにしても、その変遷こそゲーデル命題がカリー命題「この命題が真ならば証明できない」だったことの反映だと思えばそのなんたるか、なんだよね?