YouTubeでチョッとした興味深い議論がおきましてね?
とあるクラシックの畑における通俗名曲につきまして、だけどね、誰かが「この曲は創られたというより発見された」という意味のことをね、まあ、発信した人がいましてね、そう。アインシュタインだって同じだと論じてあったので反応したのですけどね、んー「上手いこと言ってるが正しくはない」「アインシュタインの重力理論は創られたものだ」と返したのですけどね、ええ。
究極理論があったとしたら発見だという意見ですかね?
人が創ったと認めたくない人々がいてるのですよね、そう、ヤキモチ焼きなのかしらん、そうですな。で、ワシがツラツラ思うに宇宙は原理からデキている可能性ならありますけど、それだって非自明事項でして、理論は間違いなく人為的な作成物なんですわな、そうですねん。宇宙をその初期から解明するならば、例えば光速度一定原理にしてもね、あるいはプランク定数にしても起源を説明デキなけりゃウソだという立場に立って仕事をしておりますのや、そうですがな。
欧米の理論科学者はその意味で非常にサボりだと、そうw
肝心な箇所をサボって湯川命題に注力なさってた!
湯川命題とは「無限大問題をくり込みという逃げでなく解決すること」という話でしたやろ、そうやないか。で、その湯川命題にしてもね、なんか朝永先生に対するライバル意識によるとも思われましてね、そらワシなんかに言わせたらチョット頭を冷やした方がイイと思ったりもしますけどね、せやねんて。本来は専門外の事柄に関するこだわりと言えなくもないこだわりですやんか、そう。
ずーっと湯川中間子論の研究者だったら、と夢を見ます!
クォークにそんなに懐疑的になるのではなく、南部先生とかとも交流なさって、そしたら韓=南部模型にはパイ中間子論が必須だと直観なさって、ま、日本の素粒子の世界はもっと豊かだったという夢を見ますのや、そう。それらの夢をすべてなし得たと同じにするのが、他でもないユニバーサルフロンティア理論、そうですねんて。湯川秀樹は不勉強だったがために、かえってそれだけのことを逃したと、そう証言する機会に恵まれております、ええ。
ご自分の足元の堅持こそが大切だったという話ですがなw
プロの理論家にはむしろワカラナイ、素人に近いほどよくワカっていただける、そのよーな性質の話ですのや。なにしろ素粒子標準模型というのは世界標準として君臨しているに近い、ま、少なくともニュートンの国の人たちはそう言ってる、その知性と教養に阻害されてワシの話なんか聴けないという結末に終わっとる。ああー、悲し、ああー困った、そうやねんて。
論点がズレてしまった、科学と宗教の違いを論じるはず!
物理学理論は科学的真理ではあっても宗教上のそれではない理由とか、ワシらよくワカリマスのやでえ~、そうですねん。そもそもワシらは人間原理を採用しておりまっさかい、神の仮定は不用だとしたホーキングに近い、ま、それもそうですねん。