π中間子やK中間子のような物はスピンが0ですが偽スカラーボソンといわれる存在です・・。
Wikipediaには「一般に、パリティ奇であるスカラーは擬スカラー、ベクトルは擬ベクトル(もしくは軸性ベクトル)と呼ばれる」と記載されており、私の持つイメージでは「剛体壁にぶつけて往復させた際に位置関係やヘリシティーが変化する物」と理解してきた。しかし波動関数の符号がマイナスになるぐらいでP|Ⅹ>=-|X>と表記してしまっていいのだろうか。「波動そのものは物質ではない」というのは近代量子力学の常識である。
よくいわれる解釈は「K^0はその場所には存在できない」だが一時的にも「無」になるのだろうか?
あるいは|K^0>+P|K^0>なる物質は「無」に帰する帰無仮説のような存在なのだろうか?
私が定式そのものから受ける印象は後者であるが、それはおかしなことではないだろうか、なにしろ反sクォークとdクォークの位置関係を逆にして重ね合わせたら無に帰するなんて、やっぱりとても考えられない。こりゃ、dクォークにもsクォークとしての対等の意味と立場が存在すると考えたら解消するんだけど、今、言いたいのはそんなことじゃない。
反sクォークとdクォークとを足してどうして「無」に帰するのだろうか?
量子力学という物がどうしても総体の波動を考えるせいで狂ってしまっているとしか思えない!
反sクォークとdクォークのそれぞれの波動を考えてそんな事になるのだろうか?
私およびUFTの意見では、それはP変換そのものを甘く考えているせいであるように思っているのだ、すなわちUFTによる論理的帰結によれば、鏡像変換とは違った本物のP変換というものは実はT変換そのものしかあり得ない、ということだから。
P変換ではスピンの上下は反転するけれどもヘリシティーやカイラリティーは不変です・・。
私が綿密に考察して得た結論であるUFTによれば自然界に起こり得るP変換とは時間逆転です!
すなわち(P=T)なんだけど、まあ、いうなれば、それでここまで来た。そうしたらホーキングによるブラックホール蒸発は嘘だと証明できた。元から、ホーキングオリジナルには難点があって、ベケンスタインの指摘によって修正したのだけれども、それでも修正しきらない彼の思い込みの過ちを私としては訂正できたように思っている。
|K^0>+P|K^0>というのは「二つの中性K中間子」だというのが私の意見だ・・。
そもそも《ルート法》なる“如何わしい定式”の根源そのものが、アメリカの大学における南部先生の「だまし舟によるK^0反K^0振動の説明」にあったに違いない、という“ほとんど事実関係”を(いくら講談社によるブルーバックスによる浅はかな知識であったとしても)知っている当方にとって見れば「粒子と反粒子の関係にあるK^0と反K^0とをベクトルとして90度の座標に擬(なぞら)えるというルート法の手段は哲学に合致すべき理論物理学の基礎としてふさわしくない」という感想を物するばかりであった!
Wikipediaには「一般に、パリティ奇であるスカラーは擬スカラー、ベクトルは擬ベクトル(もしくは軸性ベクトル)と呼ばれる」と記載されており、私の持つイメージでは「剛体壁にぶつけて往復させた際に位置関係やヘリシティーが変化する物」と理解してきた。しかし波動関数の符号がマイナスになるぐらいでP|Ⅹ>=-|X>と表記してしまっていいのだろうか。「波動そのものは物質ではない」というのは近代量子力学の常識である。
よくいわれる解釈は「K^0はその場所には存在できない」だが一時的にも「無」になるのだろうか?
あるいは|K^0>+P|K^0>なる物質は「無」に帰する帰無仮説のような存在なのだろうか?
私が定式そのものから受ける印象は後者であるが、それはおかしなことではないだろうか、なにしろ反sクォークとdクォークの位置関係を逆にして重ね合わせたら無に帰するなんて、やっぱりとても考えられない。こりゃ、dクォークにもsクォークとしての対等の意味と立場が存在すると考えたら解消するんだけど、今、言いたいのはそんなことじゃない。
反sクォークとdクォークとを足してどうして「無」に帰するのだろうか?
量子力学という物がどうしても総体の波動を考えるせいで狂ってしまっているとしか思えない!
反sクォークとdクォークのそれぞれの波動を考えてそんな事になるのだろうか?
私およびUFTの意見では、それはP変換そのものを甘く考えているせいであるように思っているのだ、すなわちUFTによる論理的帰結によれば、鏡像変換とは違った本物のP変換というものは実はT変換そのものしかあり得ない、ということだから。
P変換ではスピンの上下は反転するけれどもヘリシティーやカイラリティーは不変です・・。
私が綿密に考察して得た結論であるUFTによれば自然界に起こり得るP変換とは時間逆転です!
すなわち(P=T)なんだけど、まあ、いうなれば、それでここまで来た。そうしたらホーキングによるブラックホール蒸発は嘘だと証明できた。元から、ホーキングオリジナルには難点があって、ベケンスタインの指摘によって修正したのだけれども、それでも修正しきらない彼の思い込みの過ちを私としては訂正できたように思っている。
|K^0>+P|K^0>というのは「二つの中性K中間子」だというのが私の意見だ・・。
そもそも《ルート法》なる“如何わしい定式”の根源そのものが、アメリカの大学における南部先生の「だまし舟によるK^0反K^0振動の説明」にあったに違いない、という“ほとんど事実関係”を(いくら講談社によるブルーバックスによる浅はかな知識であったとしても)知っている当方にとって見れば「粒子と反粒子の関係にあるK^0と反K^0とをベクトルとして90度の座標に擬(なぞら)えるというルート法の手段は哲学に合致すべき理論物理学の基礎としてふさわしくない」という感想を物するばかりであった!
それが「宇宙の規則」だよ・・・。