やっぱり佐藤勝彦さんだったりして、怨むぞ、くそ真っ直ぐインフレーションのくそ砂糖って、あわわわっ・・w)
で、砂糖問屋のせがれは益川さんだったっけ、困ったなあ~、極微領域においてもエネルギー保存則を湯川の意味では成立させるように主張したって当然、ここぞとばかりに無視するだろーなー、困った奴ばっかりだ、いやいやいや、お偉いどころが払底する寸前の学問なんか嫌なモンだ。それもこの歳になって急に関与しなければ仕方がナイ、あ~あ、物理学会の事務局辺りはこれでも呑気だって言うんだろーなー、発表できるかどーかは未定だって、あー、嫌になった、くそ暑い!
ま、そこを気を取り直して『ファインマン否定論』と行きましょう、おいこら、くそ細かいくせして最後に間違い残しやがったいかれポンチめっ・・w)
確か、映画「カッコウの巣の上で」に出演してたっけな、笑顔がイカスとはあのことだ、まるで一流俳優みたいだったけど「ええーっと、あー、この人、物理学者だよな・・、ファインマンってゆー」という感じで飛行機(エアバス)の中で見てました。よーするに本当に正しい事に飽きたのだろー、飽き飽きしてたって変じゃない頃だ、肩の力を抜いて呑気に生きて行くことに決めたに違いないが、問題はファインマンのよーな古典古典した学者が豹変みたいに大雑把に直観論理を振りかざしたりすると周りは結果の当否に関して保証を願うばかりで当人の意向は生かされずに苦悩の日々を生きたのだと聞いている。
あの主人公だって呑気モノだというワケじゃナシに人類の全苦悩を背負ったよーな話じゃないか、忘れるなよ、ファインマンさん、あの世でも・・w)
僕ら、公立の学校の教師だったせいで「カッコウの巣の上で」とゆーのは「学校の頭の上で」のシャレか、と思って僻んだりしてたモンだが、大津市の中学校のよーな事件が起こると「それも大切な認識だなー」と思って泣けてきたりする。いや、僕は泣かないですよ、こんなとこじゃ、文章の為の文章ですが。だって「電子を時間反転させたら陽電子である」「そして騾馬電子と陽電子は同一物」だって、さ。こいつは嘘だ、やっぱり“ファイン-マン”だ、ゲル-マンをゲルマン呼ばわりしてたら済む話じゃない。
正エネルギー負電荷の電子を時間反転させたら負エネルギー正電荷の騾馬陽電子という別モノじゃないですか?
ファインマンはそこで「ファインマン図上において陽電子を含めて反粒子は時間の向きを表す矢印を逆にする」という《ファインマン規則》を打ち立てた。さらに「ファインマン図は経路積分をやってからでなければ描いてはいけない」とやった。いやー、これは“物凄いワナ”だったんだ、繁雑になって計算力のある大人には反駁できない心の仕組みってものを作っちまった。その場合に陽電子を計算するには「電子を時間を逆に経路積分する」ワケだよな、その際にエネルギーだけがプラスマイナス反転する奇妙な仕組みはないモノだろーか、こいつは点検しなければならぬ。
陽電子にしておいて時間を逆に積分したりするとエネルギーの観測者が時間反転した立場に立つ、とかが危惧されると思うのは僕だけなんだろーか?
まー、やたらと疑うなと言われてもねえー、例の名古屋大学の不始末(超光速ニュートリノの怪)も有ったことだし、理論だって子細に検討を加えられなければなるまい。証明しろって言われても僕には無理だよ、示唆するだけで仕事にしてよ、絵画真贋問題だってそうだけど疑うだけで、あるいは否定するだけで一段落したいという向きは存在する。それとはあべこべに「何らかの意味において本物だ」なんて変な判断の物があったりする。そんなこと言ってたらこっちが疑われるのかねえー、そんなこと一人でいっぺんに考えられるわけがナイじゃないか、べらぼーめ、権威の仕事として一つ一つお願いしたい。
ユニバーサルフロンティア理論の問題はプライオリティーとかじゃないよ、理論の持つ予言可能性についてことごとく実験に先行されていると言われても変じゃないって事にあるんだよ?
それも、ね、実験家が《実験の独立性》を夢見るのと同じことでね、実験で先にしっぽであるとか、ま、影であるとか、を先に見ていよーと、ね、理論だって時間変数的にそんなモノに先行しなければナラナイ義理なんか無くってさ、よーするに「純粋に理論として予言領域を広げた」こと自体を評価してもらいたいモンだと、まー、そんな話になるワケ。
ど ー だ 、 こ っ ち の こ だ わ り だ っ て 意 外 だ っ た だ ろ ー ・ ・ ・
で、砂糖問屋のせがれは益川さんだったっけ、困ったなあ~、極微領域においてもエネルギー保存則を湯川の意味では成立させるように主張したって当然、ここぞとばかりに無視するだろーなー、困った奴ばっかりだ、いやいやいや、お偉いどころが払底する寸前の学問なんか嫌なモンだ。それもこの歳になって急に関与しなければ仕方がナイ、あ~あ、物理学会の事務局辺りはこれでも呑気だって言うんだろーなー、発表できるかどーかは未定だって、あー、嫌になった、くそ暑い!
ま、そこを気を取り直して『ファインマン否定論』と行きましょう、おいこら、くそ細かいくせして最後に間違い残しやがったいかれポンチめっ・・w)
確か、映画「カッコウの巣の上で」に出演してたっけな、笑顔がイカスとはあのことだ、まるで一流俳優みたいだったけど「ええーっと、あー、この人、物理学者だよな・・、ファインマンってゆー」という感じで飛行機(エアバス)の中で見てました。よーするに本当に正しい事に飽きたのだろー、飽き飽きしてたって変じゃない頃だ、肩の力を抜いて呑気に生きて行くことに決めたに違いないが、問題はファインマンのよーな古典古典した学者が豹変みたいに大雑把に直観論理を振りかざしたりすると周りは結果の当否に関して保証を願うばかりで当人の意向は生かされずに苦悩の日々を生きたのだと聞いている。
あの主人公だって呑気モノだというワケじゃナシに人類の全苦悩を背負ったよーな話じゃないか、忘れるなよ、ファインマンさん、あの世でも・・w)
僕ら、公立の学校の教師だったせいで「カッコウの巣の上で」とゆーのは「学校の頭の上で」のシャレか、と思って僻んだりしてたモンだが、大津市の中学校のよーな事件が起こると「それも大切な認識だなー」と思って泣けてきたりする。いや、僕は泣かないですよ、こんなとこじゃ、文章の為の文章ですが。だって「電子を時間反転させたら陽電子である」「そして騾馬電子と陽電子は同一物」だって、さ。こいつは嘘だ、やっぱり“ファイン-マン”だ、ゲル-マンをゲルマン呼ばわりしてたら済む話じゃない。
正エネルギー負電荷の電子を時間反転させたら負エネルギー正電荷の騾馬陽電子という別モノじゃないですか?
ファインマンはそこで「ファインマン図上において陽電子を含めて反粒子は時間の向きを表す矢印を逆にする」という《ファインマン規則》を打ち立てた。さらに「ファインマン図は経路積分をやってからでなければ描いてはいけない」とやった。いやー、これは“物凄いワナ”だったんだ、繁雑になって計算力のある大人には反駁できない心の仕組みってものを作っちまった。その場合に陽電子を計算するには「電子を時間を逆に経路積分する」ワケだよな、その際にエネルギーだけがプラスマイナス反転する奇妙な仕組みはないモノだろーか、こいつは点検しなければならぬ。
陽電子にしておいて時間を逆に積分したりするとエネルギーの観測者が時間反転した立場に立つ、とかが危惧されると思うのは僕だけなんだろーか?
まー、やたらと疑うなと言われてもねえー、例の名古屋大学の不始末(超光速ニュートリノの怪)も有ったことだし、理論だって子細に検討を加えられなければなるまい。証明しろって言われても僕には無理だよ、示唆するだけで仕事にしてよ、絵画真贋問題だってそうだけど疑うだけで、あるいは否定するだけで一段落したいという向きは存在する。それとはあべこべに「何らかの意味において本物だ」なんて変な判断の物があったりする。そんなこと言ってたらこっちが疑われるのかねえー、そんなこと一人でいっぺんに考えられるわけがナイじゃないか、べらぼーめ、権威の仕事として一つ一つお願いしたい。
ユニバーサルフロンティア理論の問題はプライオリティーとかじゃないよ、理論の持つ予言可能性についてことごとく実験に先行されていると言われても変じゃないって事にあるんだよ?
それも、ね、実験家が《実験の独立性》を夢見るのと同じことでね、実験で先にしっぽであるとか、ま、影であるとか、を先に見ていよーと、ね、理論だって時間変数的にそんなモノに先行しなければナラナイ義理なんか無くってさ、よーするに「純粋に理論として予言領域を広げた」こと自体を評価してもらいたいモンだと、まー、そんな話になるワケ。
ど ー だ 、 こ っ ち の こ だ わ り だ っ て 意 外 だ っ た だ ろ ー ・ ・ ・