標準理論のおけるカイラリティーとはSU(2)R×SU(2)Lと書くらしく、しかも、それは「uクォークとdクォークの間における世界」なのだというw)
さて、確かに式の形としたら、これでR(右)とL(左)とで対称だが、それだけでは《カイラル対称性》という言葉の意味にはつながらないように思う。化学の世界だと同じ綴り(kirarity)で「キラリティー」と読んで訳語は「対掌性(たいしょうせい)」であるのだし、おまけに意味づけをすれば「対称性がナイこと」といった具合であるから、こりゃ、始末に負えない・・。
ここは《カイラル排他性の喪失》ぐらいでどうなんだろうか?
つまり、ゲージ場に元から存在するのは『カイラル排他性』だということにするのである・・。
そうするとヒッグス場が「南部=ゴールドストン定理に反する出現をした例外的な存在」という扱いを受けなくて済むじゃないか!
(数学上の定理に例外があるワケがない・・)
結局のところ、次のように言うことが許された、すなわち「いわゆるカイラル対称性の破れという現象は質量の獲得と同義であるに過ぎない」ということだが、それは「その両者の間に因果関係は成立しない」ということであって、つまるところ「ニワトリが先か、タマゴが先か?」という空しい論争だったことになる。
あ~あ、いっそのこと右と左とが男女で喩えられるのだったら、さぞかし面白い大人のギャグになるのになあ~w)
「左右が混ざる」で「世界平和に貢献」ってのはいまいちピンとこないものがある・・。
すべては「ゲージ場に元から存在したのはカイラルに関しては対称性ではなくて排他性だった」といういうなれば武士の一文に尽きるという話なのである、南部先生ごめんなさい(?)
さて、確かに式の形としたら、これでR(右)とL(左)とで対称だが、それだけでは《カイラル対称性》という言葉の意味にはつながらないように思う。化学の世界だと同じ綴り(kirarity)で「キラリティー」と読んで訳語は「対掌性(たいしょうせい)」であるのだし、おまけに意味づけをすれば「対称性がナイこと」といった具合であるから、こりゃ、始末に負えない・・。
ここは《カイラル排他性の喪失》ぐらいでどうなんだろうか?
つまり、ゲージ場に元から存在するのは『カイラル排他性』だということにするのである・・。
そうするとヒッグス場が「南部=ゴールドストン定理に反する出現をした例外的な存在」という扱いを受けなくて済むじゃないか!
(数学上の定理に例外があるワケがない・・)
結局のところ、次のように言うことが許された、すなわち「いわゆるカイラル対称性の破れという現象は質量の獲得と同義であるに過ぎない」ということだが、それは「その両者の間に因果関係は成立しない」ということであって、つまるところ「ニワトリが先か、タマゴが先か?」という空しい論争だったことになる。
あ~あ、いっそのこと右と左とが男女で喩えられるのだったら、さぞかし面白い大人のギャグになるのになあ~w)
「左右が混ざる」で「世界平和に貢献」ってのはいまいちピンとこないものがある・・。
すべては「ゲージ場に元から存在したのはカイラルに関しては対称性ではなくて排他性だった」といういうなれば武士の一文に尽きるという話なのである、南部先生ごめんなさい(?)