右巻きで負エネルギーの反ニュートリノが時間を逆行して入ってきたら左巻き反応をして質量が減る、か?
だけど、その種の可能性は(もちろんのことだが)唯一無二ではなく、たとえば(UFTのいうように)「反ニュートリノもニュートリノも完全に同一であり、時間を順行している」とやっても(まったく対等な意味において)合理的である。UFTでは、さらに「右巻きニュートリノは弱い相互作用に関して不活性ということでニュートリノと弱アイソスピン対称対を成している」というところまでやっている・・。
標準模型の問題点は、他にも、陽電子が時間反転した電子だとしたら「出合った瞬間に無に帰する」と予想されることだ!
そこは、UFTのように「騾馬電子は時間逆行している電子だが陽電子は時間順行している」とやらなければ「出合った次の瞬間には静止エネルギーなどに見合った周波数のガンマ線を放出する」ということの説明がつかない。このことは、素粒子物理学の全域においてみられる論理的な構造欠陥であって、若い南部博士をして「クォークと反クォークとから成るπ中間子がどうして質量を持つのか分からない」と嘆かせしめていた!
真空に眠るクーパー対は粒子反粒子対なのではなくて粒子と騾馬粒子によって構成されているはずだ・・。
若き南部の悩みは「ノーベル賞論文となるはずだった1960年の論文ではπ中間子の質量を0と置かなければ解けない」という恨みだった。ま、最終的には、彼の2008年度における受賞論文は“それ”だったのだが、ちょっとしたオマケとでもいおうか、南部=ゴールドストンボソン(質量0でなくてはナラナイ)ではナイもの(π中間子のこと)を《カイラル対称性の自発的破れ》に伴って出現させているのは、ま、人類全員にとっての課題だが、手落ちの一種といおうか、いずれは訂正される近似的な認識だということに変わりなどナイ!
そこのところを、すべて解消しているのがユニバーサルフロンティア理論なのです、引き続きの応援よろしくお願いいたします・・。
カイラリティーを対称性と捉えること自体を止めてかからなければならないといったことも有ります、おそらく私以外の人には不可能な仕事だと思います・・。
だけど、その種の可能性は(もちろんのことだが)唯一無二ではなく、たとえば(UFTのいうように)「反ニュートリノもニュートリノも完全に同一であり、時間を順行している」とやっても(まったく対等な意味において)合理的である。UFTでは、さらに「右巻きニュートリノは弱い相互作用に関して不活性ということでニュートリノと弱アイソスピン対称対を成している」というところまでやっている・・。
標準模型の問題点は、他にも、陽電子が時間反転した電子だとしたら「出合った瞬間に無に帰する」と予想されることだ!
そこは、UFTのように「騾馬電子は時間逆行している電子だが陽電子は時間順行している」とやらなければ「出合った次の瞬間には静止エネルギーなどに見合った周波数のガンマ線を放出する」ということの説明がつかない。このことは、素粒子物理学の全域においてみられる論理的な構造欠陥であって、若い南部博士をして「クォークと反クォークとから成るπ中間子がどうして質量を持つのか分からない」と嘆かせしめていた!
真空に眠るクーパー対は粒子反粒子対なのではなくて粒子と騾馬粒子によって構成されているはずだ・・。
若き南部の悩みは「ノーベル賞論文となるはずだった1960年の論文ではπ中間子の質量を0と置かなければ解けない」という恨みだった。ま、最終的には、彼の2008年度における受賞論文は“それ”だったのだが、ちょっとしたオマケとでもいおうか、南部=ゴールドストンボソン(質量0でなくてはナラナイ)ではナイもの(π中間子のこと)を《カイラル対称性の自発的破れ》に伴って出現させているのは、ま、人類全員にとっての課題だが、手落ちの一種といおうか、いずれは訂正される近似的な認識だということに変わりなどナイ!
そこのところを、すべて解消しているのがユニバーサルフロンティア理論なのです、引き続きの応援よろしくお願いいたします・・。
カイラリティーを対称性と捉えること自体を止めてかからなければならないといったことも有ります、おそらく私以外の人には不可能な仕事だと思います・・。