湯川のプロセスで不思議だったのは「原理的には無限の借金が可能」だということです・・。
ハイゼンベルクの不確定性原理ΔE・Δt≒h/2πから「Δt秒間にはΔEの借金が仮想粒子の出現という形で可能」だというのが《湯川のプロセス》なんです。例えば、ミュー粒子崩壊は、Wボソンとミューニュートリノという中間状態をもちますが、Wボソンの質量は極めて重いため、湯川のプロセスによる仮想粒子の形でしか出現しません。そのため、ミュー粒子の質量に合わせて、Δtが非常に小さくなることが自然から要請されます。
π中間子による核力を同じように考えるとエネルギー非保存過程のように見えるのです・・。
ΔEの借金を返却した直後に、同じことが出来たら、まるで「連続してπ中間子分の質量が増えたと同じ」ではないでしょうか。僕の浅はかな頭では「ああ、それで湯川ポテンシャルは井戸型をしているのか」と素っ頓狂に思いつくようにできている。これは、かなり以前から、しかし、大して温めてもいなかった、単なる小さな着想であった。だけど、今しがた思いついたのは「これは、かなり、イケてるのではないか」という嬉しい誤算です。
仮想粒子は自らは正エネルギーをもっているけど、井戸の深さは質量分のエネルギーだけ深いとしたら、
合わせて質量0の素粒子と同じように振る舞うことが期待できるのではないか、と思いついたからです。湯川のプロセスによって仮想π中間子が出現した折には質量0として振る舞うことができるのです。そうすれば若き日の南部論文(ノーベル賞授賞対象になった1960年論文)は「近似ではなく精密な計算だった」という話の折り合いをつけることができました。
仮想状態で出現した素粒子はL軌道に存在する質量0の基底状態だったのです・・。
ハイゼンベルクの不確定性原理ΔE・Δt≒h/2πから「Δt秒間にはΔEの借金が仮想粒子の出現という形で可能」だというのが《湯川のプロセス》なんです。例えば、ミュー粒子崩壊は、Wボソンとミューニュートリノという中間状態をもちますが、Wボソンの質量は極めて重いため、湯川のプロセスによる仮想粒子の形でしか出現しません。そのため、ミュー粒子の質量に合わせて、Δtが非常に小さくなることが自然から要請されます。
π中間子による核力を同じように考えるとエネルギー非保存過程のように見えるのです・・。
ΔEの借金を返却した直後に、同じことが出来たら、まるで「連続してπ中間子分の質量が増えたと同じ」ではないでしょうか。僕の浅はかな頭では「ああ、それで湯川ポテンシャルは井戸型をしているのか」と素っ頓狂に思いつくようにできている。これは、かなり以前から、しかし、大して温めてもいなかった、単なる小さな着想であった。だけど、今しがた思いついたのは「これは、かなり、イケてるのではないか」という嬉しい誤算です。
仮想粒子は自らは正エネルギーをもっているけど、井戸の深さは質量分のエネルギーだけ深いとしたら、
合わせて質量0の素粒子と同じように振る舞うことが期待できるのではないか、と思いついたからです。湯川のプロセスによって仮想π中間子が出現した折には質量0として振る舞うことができるのです。そうすれば若き日の南部論文(ノーベル賞授賞対象になった1960年論文)は「近似ではなく精密な計算だった」という話の折り合いをつけることができました。
仮想状態で出現した素粒子はL軌道に存在する質量0の基底状態だったのです・・。