大袈裟と笑う、のかもしれないが「スピン行列に時間変数が含まれていない事」と《基本的な対称性》とは驚くほどの関わりが残っていました!
素粒子の標準模型が正しいためには「T変換とCP変換とが同一」でなければ為らないのです・・。
つまり、左巻き主体の質量を持ったニュートリノがCP変換によって対称であるためには、全体の時間変数を逆転させた場合に、同じ質量を持った右巻き主体の反ニュートリノに変換されてくれないことには論理の平仄が合いません!
ところが、
弱い相互作用は《V-A相互作用》ですから左巻きとしか反応してくれません・・。
そこで素朴思考に立ち返ってみますれば「ねじを締める過程を時間逆転させたらねじを緩める過程と同一」であり「ヘリシティーに関して両者は同一」だという結果が得られます。つまり「素朴には粒子を時間反転させた存在が反粒子だとしたら巻きが変化することはない」という事なんです!
ここでハタと気がつきました・・。
スピン行列には確か時間変数は含まれていなかった、と!
素朴にはニュートリノを時間反転させた物が反ニュートリノだとしたならば左巻き主体であるはずなんです。それを、スピン行列には時間変数が含まれておらないせいで、反ニュートリノに変換されたあかつきには右巻き主体に変わるように誤認してしまっている。
スピンの数値は(不確定性原理の)《プランク定数》の整数倍かあるいは半整数倍です・・。
ですから不確定に埋もれる時間における物理現象だと存じます!
さて「不確定に埋もれる」としても、その過程にも時間軸の矢印が存在するとしたら全体の結論が変わってくることを、私はここ数日の考察によって確信いたしました。もしも、スピンに時間変数そのものでないとしても、矢印の向きさえ存在したならば、反ニュートリノは右巻き主体である必要はどこにもなくなります。
反ニュートリノだって左巻き主体でよくなります、またCP=TではなくてC=Tに変わります。そうしたら《CPT定理》など陳腐になってしまって、CPT=Pであり、ニュートリノはPが完全に破れているのじゃなくてパリティーの正負で解決する問題であり、むしろCPが完全に破れている(右巻き主体の反ニュートリノなど宇宙には存在しない)という次第に《理論物理学の革命》が成立してしまうのです!
素粒子の標準模型が正しいためには「T変換とCP変換とが同一」でなければ為らないのです・・。
つまり、左巻き主体の質量を持ったニュートリノがCP変換によって対称であるためには、全体の時間変数を逆転させた場合に、同じ質量を持った右巻き主体の反ニュートリノに変換されてくれないことには論理の平仄が合いません!
ところが、
弱い相互作用は《V-A相互作用》ですから左巻きとしか反応してくれません・・。
そこで素朴思考に立ち返ってみますれば「ねじを締める過程を時間逆転させたらねじを緩める過程と同一」であり「ヘリシティーに関して両者は同一」だという結果が得られます。つまり「素朴には粒子を時間反転させた存在が反粒子だとしたら巻きが変化することはない」という事なんです!
ここでハタと気がつきました・・。
スピン行列には確か時間変数は含まれていなかった、と!
素朴にはニュートリノを時間反転させた物が反ニュートリノだとしたならば左巻き主体であるはずなんです。それを、スピン行列には時間変数が含まれておらないせいで、反ニュートリノに変換されたあかつきには右巻き主体に変わるように誤認してしまっている。
スピンの数値は(不確定性原理の)《プランク定数》の整数倍かあるいは半整数倍です・・。
ですから不確定に埋もれる時間における物理現象だと存じます!
さて「不確定に埋もれる」としても、その過程にも時間軸の矢印が存在するとしたら全体の結論が変わってくることを、私はここ数日の考察によって確信いたしました。もしも、スピンに時間変数そのものでないとしても、矢印の向きさえ存在したならば、反ニュートリノは右巻き主体である必要はどこにもなくなります。
反ニュートリノだって左巻き主体でよくなります、またCP=TではなくてC=Tに変わります。そうしたら《CPT定理》など陳腐になってしまって、CPT=Pであり、ニュートリノはPが完全に破れているのじゃなくてパリティーの正負で解決する問題であり、むしろCPが完全に破れている(右巻き主体の反ニュートリノなど宇宙には存在しない)という次第に《理論物理学の革命》が成立してしまうのです!