11時から、郵便局の近くに10人が集まり、「憲法を改悪させない」
「9条を守ろう」と署名を呼びかけました。
「九条を守る署名にご協力…」「大丈夫です」と若き女性は
これは数年前に詠んだ歌ですが、きょうも見られた光景でした。
お母さんは署名をしてくださったんですが、その娘さんには、
「大丈夫です」と断られました。
何にも大丈夫じゃないんですけど・・・と心の中の声。
終わって、すぐ近くの市役所支所に行くと、この絵が飾られていました。
小さな四角がいっぱい集まって、絵になっていました。
この近くの中学校の3年生が描いたものでした。
なんと言っても、平和がいいです!
岸田首相には「聞く力」があるそうですが、安倍さんや菅さんの声を
聞いているんだと思います。
庶民の声には、耳を傾けないんでしょう、きっと。
広島の出身なのに・・・。
きょうの潮流
それは恥辱とも汚名とも呼ばれた演説でした。日本軍による真珠湾攻撃をうけ、米国のルーズベルト大統領は国民に訴
えました。「将来、この日は恥辱として記憶に刻まれるであろう」
▼対日戦の士気が高まるなかで、ルーズベルトはある大統領令に署名しました。日系人を「敵性外国人」とみなし、移住
を強いる根拠となった命令です。それによって、およそ12万人が強制収容所におくりこまれました。
▼報道写真家の米国人女性レジーナ・ブーンさんの祖父もそのひとりでした。長崎で船員となり、10代で渡米。米海軍
の基地があった街で食堂を営んでいました。しかし日本の攻撃直後に拘束され、収容所へ。幸せなくらしも、家族も一変
しました。
▼レジーナさんが、これまで消息不明だった祖父の足跡を追うテレビ番組で伝えていました。それによると、その後も祖
父は違う街に移され、監視下で働かされていたと。そして、肺結核を患い、終戦から1年後に49歳の若さで亡くなって
いました。家族にも知らされず。
▼突然、生活も自由も奪われ憎悪と差別の対象とされた人びと。あの戦争の傷痕はここにもあり、いまも苦しみはつづい
ています。開戦80年の式典でバイデン大統領はこう呼びかけました。真珠湾がわれわれの国にとって何を意味したの
か、世代をこえて記憶を。
▼世界中にもたらした悲劇。その犠牲となったファミリーヒストリーを明らかにするため、長崎の親族の元まで訪ねたレ
ジーナさん。「これは私たちみんなの歴史なのです」
(しんぶん赤旗より)
龍です🐉
父が広島出身なので原爆ドームは懐かしいです。
子供の頃には帰省の度に行っていました。
本当に平和が一番ですよね😉
お父様のお体の具合はいかがですか?
広島の出身でいらっしゃるんですね!
広島の平和公園には、娘が小6のときに行ったきりです。
平和記念館の見学では、焼け野原になった街にさまよう
人々の姿を想像して、辛くなりました。
私の父は、召集されて佐世保にいたらしいのですが、
戦地に出ることなく帰ってきました。
その途中に通った広島の町が、真っ黒で怖かったと言っていました。
憲法9条は大事にしたいですね。