
庭のゆすら梅の木に、今年は実がたくさんついた。
小さいけれど、今、赤く色づき始めている。
ゆすら梅を見ると、やっぱり母を思い出す。
母は、狭いけれども畑を作っていた。
その畑の端っこに、ゆすら梅の木があった。
実の色づく6月なんていつも帰れない時だけれど、母は6月になくなったので、
その年は初めて6月に帰ることになった。
葬儀が終わって少しだけ落ち着いて、外に出て畑を眺めていると、赤い実が目に
飛びこんできた。
そばに行って見ると、ゆすら梅の大きな赤い実、取って口に入れるとみずみずしくて甘い!
たくさん取って、洗って父と食べた。
また涙が浮かんでいた。
今は、畑もゆすら梅の木もない。
母の大事にしていたものがなくなるのは寂しい。
けど、あの実の色とおいしさは、わたしの心に残っている。
小さいけれど、今、赤く色づき始めている。
ゆすら梅を見ると、やっぱり母を思い出す。
母は、狭いけれども畑を作っていた。
その畑の端っこに、ゆすら梅の木があった。
実の色づく6月なんていつも帰れない時だけれど、母は6月になくなったので、
その年は初めて6月に帰ることになった。
葬儀が終わって少しだけ落ち着いて、外に出て畑を眺めていると、赤い実が目に
飛びこんできた。
そばに行って見ると、ゆすら梅の大きな赤い実、取って口に入れるとみずみずしくて甘い!
たくさん取って、洗って父と食べた。
また涙が浮かんでいた。
今は、畑もゆすら梅の木もない。
母の大事にしていたものがなくなるのは寂しい。
けど、あの実の色とおいしさは、わたしの心に残っている。
形あるものはいつか、なくなります。
でも、そのときの思いはいつまでも、いつまでも。
時を経ればますます輝いてみえてきますね。
だれにも奪われない宝物ですね。
やっぱり母のことは、いつまでたっても忘れられません。
忘れる必要もないことですが…。
母の元気だった頃の笑顔を思い浮かべて、生きていこうと思います。
畑も、ゆすら梅も富山にはなくなったけど、おかあさんの心が魂が、庭のゆすら梅に実っているような気がしますよ。
母が大事にしていたものをわたしは、いっぱい運んで来ました。はじめはつらかったけど、母の生き方や気持ちが、今頃になって少しづつしみこんで来るような気がします。
そうや、笑顔や!あなたのいわれる通りですよ。わたしもそのようにします。
もっともわたしはあんまりいい子じゃなかったから母の怒り顔のほうがよく覚えてるけど・・・・でもわたしがほんとにへこんでる時は、何も言わず見ていてくれる人でした。
母の形見としては、花や木がほしかったわ、わたし。
ずっとあそこにあってほしかったな。
わたしが帰ってできる訳じゃないし、父や弟にお願いするわけにもいかないしね。
思い出の中にずっと残しておくのが一番ですね。
あじさいさん、いつもありがとう!