太平洋戦争がもうすぐ終わるというとき、沖縄は大きな犠牲をはらいました。
住民の4人にひとりが亡くなったと言います。
生まれたばかりの赤ちゃんから、お年寄りまでです。
平和の碑のある糸満市で「沖縄全戦没者追悼式」が行われました。
宮古島市立西辺中学校2年生の上原美春さんの読んだ「平和の詩」です。
みるく世の謳
12歳。
初めて命の芽吹きを見た。
生まれたばかりの姪は 小さな胸を上下させ 手足を一生懸命に動かし
瞳に湖を閉じ込めて 「おなかすいたよ」「オムツを替えて」と
力一杯、声の限りに訴える
大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、平和だと思う。
赤ちゃんの泣き声を 愛おしく思える今日は 穏やかであると思う。
その可愛らしい重みを胸に抱き、6月の蒼天を仰いだ時
一面の青を分断するセスナにのって 私の思いは 76年の時を超えていく
この空はきっと覚えている 母の子守歌が空襲警報に消された出来事を
灯されたばかりの命が消されていく瞬間を
吹き付けるこの風は覚えている うちなーぐちを取り上げられた沖縄を
自らに混じった哲の匂いを
踏みしめるこの土は覚えている まだ幼さの残る手に、銃を握らされた少年がいた事を
おかえりを聞くことなく散った父の最後の叫びを
私は知っている 碑(いしじ)を撫でる皺の手が 何度も拭ってきた涙
あなたは知っている あれは現実だったこと
煌びやかなサンゴ礁の底に 深く沈められつつある 悲しみが存在することを
凜と立つガジュマルが言う 忘れるな、本当にあったのだ
暗くしめった壕の中が 憎しみで満たされた日が 本当にあったのだ
漆黒の空 屍を避けて逃げた日が 本当にあったのだ
血色の海 いくつもの生きるべき命の 大きな鼓動が 岩を打つ波にかき消され
万歳と投げ打たれた日が 本当にあったのだと
6月を彩る月桃が揺蕩う
忘れないで、犠牲になっていい命など あってよかったはずがない事を
忘れないで、壊すのは、簡単だという事を
もろく、危うく、だからこそ守るべき この暮らしを
忘れないで 誰もが平和を祈っていた事を
どうか忘れないで 生きることの喜び
あなたは生かされているのよと いま摩文仁(まぶに)の丘に立ち
私は歌いたい
済んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ 今日生きている喜びを震える声帯に感じて
決意の声高らかに
みるく世(ゆ)ぬなうらば世(ゆ)や直(なう)れ
平和な世界は私たちがつくるのだ
共に立つあなたに 感じて欲しい 滾る血潮に流れる先人の想い
共に立つあなたと 歌いたい 蒼穹へ響く癒しの歌
そよぐ島風にのせて 歌いたい 平和な未来へ届く魂の歌
私たちは忘れないこと あの日の出来事を伝え続けること
繰り返さないこと 命の限り生きること
決意の歌を歌いたい
いま摩文仁の丘に立ち あの真太陽(まてぃば)まで届けと祈る
みるく世ぬなうらば世や直れ
平和な世(よ)がやってくる この世はきっと良くなっていくと
繋がれ続けてきたバトン
素晴らしい未来へと 信じ手渡されたバトン
生きとし生けるものすべての尊い命のバトン
今、私たちの中にある 暗黒の過去を溶かすことなく
あの過ちに再び身を投じることなく 繋ぎ続けたい
みるく世を創るのはここにいるわたし達だ
主張
沖縄「慰霊の日」
遺骨眠る土砂 新基地に使うな
沖縄はきょう、1945年のアジア太平洋戦争末期の沖縄戦で命を奪われた20万人余の犠牲者を追悼する「慰霊の日」を迎えます。最後の激戦地となった本島南部の摩文仁の丘にある平和祈念公園(糸満市)では「沖縄全戦没者追悼式」が開かれます。菅義偉政権は、戦没者の血が染み込み、いまだ多くの遺骨が眠る、この南部の土地から土砂を掘り出し、名護市辺野古の米軍新基地建設の埋め立て工事に使おうとしています。県民の平和への願いに背く「戦没者への冒涜(ぼうとく)」を許してはなりません。
幾万の屍がるいるいと
沖縄戦では、日本側18万8136人(うち県出身者12万2228人)、米側1万2520人の計20万656人が戦死しました(県発表)。「それら(日本側)の死体の多くは、少なくとも死後半年から一年以上放置され、沖縄本島南部を中心とした地域のいたるところに散乱していた」(『沖縄県史各論編6沖縄戦』)と言います。
多くの県民が避難していた南部は、日本軍(第32軍)司令部が首里(現・那覇市)から撤退してきた結果、軍民混在の「地獄の戦場」と化します。このため一般住民の犠牲が大きく広がりました。「ひめゆり学徒隊」の引率教師の1人だった仲宗根政善氏は「凄惨(せいさん)をきわめた戦野には、幾万の屍(しかばね)がるいるいとして風雨にさらされ、亡魂恨み泣き、身の毛のよだつ荒野となった」と書いています(『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』)。
戦後最初期、米軍収容所から南部の米須(現・糸満市)に移動を許された真和志村(現・那覇市)の人びとが遺骨収集を始めます。自身も2人の娘を亡くし、遺骨収集の中心となった金城和信村長の妻ふみさんは手記で「御遺体は…石垣のそばにも、洞窟の中にも、道ばたにも、畑の中にも、到るところに放置されてゐました」「阿檀の茂みの中に、一家全員(五名)が抱き合って散華した御遺体がありました。…母の手をしっかり握ったままの小さい女の子、学用鞄を肩からさげてゐた男の子、痛ましいその場の光景が、いまでもこの目に浮んできます」と語っています(金城和彦著『嗚呼沖縄戦の学徒隊』)。
菅政権は昨年、辺野古新基地建設の埋め立て予定海域に軟弱地盤があることを認め、その改良のための設計変更を県に申請しました。それによると、当初は本島北部地区に限っていた県内の土砂(岩ズリ)採取場所に南部地区(糸満市、八重瀬町)などが加えられました。しかも、県全体の岩ズリの調達可能量約4476万立方メートルの7割に当たる約3160万立方メートルが南部地区からとされています。
これに対し沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが抗議のハンストを決行し、県議会や県内市町村議会も次々と戦没者の遺骨が混入した土砂を埋め立てに使わないように求める意見書を可決しています。
菅政権を終わらせよう
菅首相は官房長官時代、当時の翁長雄志県知事が沖縄の苦難の歴史を語り、辺野古新基地反対を訴えたのに対し「私は戦後生まれなので、沖縄の置かれてきた歴史はなかなか分からない」と言い放ったことがあります。新基地建設の埋め立て工事をやめさせるためには、菅政権を終わらせなければなりません。
きょうの潮流
ガマフヤー。沖縄で「ガマを掘る人」をそう呼びます。自然の洞窟ガマは、鉄の暴風がふきあれた沖縄戦で、
日本軍の壕(ごう)や住民の最後の避難場所になりました。
▼そこで具志堅隆松さんは、40年近く遺骨を掘り続けてきました。「痛みや苦しみ…。声なき叫びが、ひとかけら、
ひとかけらから聞こえてくる」。いまも訪れる本島の南部では次々と人の骨が見つかります。住民をまきこんだ
死の彷徨(ほうこう)を物語るかのように。
▼沖縄戦の犠牲者は日本軍の南部への撤退後に急増します。首里の司令部が陥落し、すでに決着がついていたにも
かかわらず、本土決戦を少しでも遅らせるために戦闘を長引かせました。死体の山をのりこえ、必死に逃げ惑う
沖縄の人びとを盾にしながら。
▼無念の血が染みこみ、いまだ数えきれない遺骨が眠る地。その土砂を菅政権は辺野古の埋め立てに使おうとして
います。米軍の新しい基地をつくるために。具志堅さんは「遺骨の尊厳が傷つけられようとしている」と憤ります。
▼きょう沖縄は「慰霊の日」。南部・糸満市に建てられた魂魄(こんぱく)の塔には、戦後野ざらしになっていた
3万5千もの遺骨が納められています。亡くなった前知事の翁長雄志さんはここで「平和を守るためには鬼になる」
と誓ったといいます。
▼菅首相は官房長官当時、その翁長知事に「歴史を持ち出されたら困る」と言い放ちました。人間が人間でなくなる
ほどの苦難を味わった沖縄の歴史を、一人ひとりの命をなんと軽んじる姿か。それこそ鬼となるときです。
(しんぶん赤旗より)
上原さんの朗読、ほんとに素晴らしかったですね!
日本は、明治維新で新しい世を創ると言いましたが、貴族を残したりして江戸時代の身分制度を引き継いでいるようなところがありました。
今も男女別姓が認められなくて、男尊女卑は残っていますし、みんなが生きづらい世の中です。
本当に野党らしい野党は、共産党だと思います。
議席が増えれば、質問時間も長くなり、もっと不正を追求することができるようになります。
がんばって、増やしたいですね! がんばりましょう!