父と 戦争と わたし
私は、昭和27年、父の第一子として生まれました。 この時、父は27歳。
つまり、父の一生は、「昭和」の歴史とぴったり重なっているのです。
(父の生まれは、大正14年11月です。)
父が米寿になる三年前、わたしは意を決して父の戦争体験を聞くことに
しました。 もしかしたら聞けなくなってしまうかもしれないと思ったからです。
(現在、自宅で寝たり起きたりの生活ですが、頭はしっかりしていて、
今でも聞くことはできますが・・・)
補足(先日帰ったときには、半藤一利著「B面昭和史1920~1945」を
読んでいました。)
長野県に生まれ、その父の仕事の関係で富山県に移住してすぐの、昭和
20年3月、父に赤紙がきました。 19歳でした。
初めは、和歌山で少年兵教育を受けたそうです。
4月末に広島に移り、部隊が結成されました。
「暁部隊」という船舶兵の部隊です。
編成後すぐに敦賀に移り、富山に近くなったので、
両親(わたしにとっては祖父母)が面会に行ったそうです。
食べさせたいと差し入れにしたお餅は、すぐに上官に取り上げられました。
6月末には佐賀に行き、筑後川の右岸で上陸用船舶の訓練をしていました。
明けても暮れても訓練の日々、グラマンに追いかけられたこともありました。
今から思うと、からかわれていたようだと言っていました。
父たちはそこから沖縄に行くことになっていました。
しかし、行くための船がなく、待っているうちに8月、戦争は終わりました。
もし船があり、沖縄に行っていたとしたら、
父はそこで命を落とし、わたしという存在はなかったでしょう。
8月10日には、「長崎出身の者は集まれ」と呼び出され、
長崎に帰って行った人たちは、そのまま帰ってこなかったそうです。
戦争が終わったことを知らされ、惚けたようになって富山に帰る途中、
列車から見た広島の街には、焼けただれた木が5,6本みえただけだと
言っています。
広島の近くに訓練地があったのかどうかはわかりませんが、もし
呉などにいたとしたら、原爆の影響を受けていたかも知れません。
戦争中の体験こそ「運」によるところが大きいのでは、と思います。
大阪駅からは貨物列車に乗り、半日かけて富山駅へ。
そこから親戚の家まで歩き、ご飯を食べさせてもらったと言います。
ゆっくり座って食べさせてもらえるだけでも嬉しかったでしょう。
自分の家のあるところはかなり山の中でした。
富山にも空襲があったので、本家を頼ってそこへ疎開したそうです。
家に着いたのが、夜の10時半だったと言います。
急に現れた痩せこけた青年を見て、両親は「おばけ」じゃないかと驚きつつも
喜んで迎え入れました。
75キロあった体重は50キロになっていました。
そのまま眠り続けて一週間、文字通り死んだように眠っていました。
両親は、目が覚めるまでまた心配しました。
幸いに命を長らえ、学び直して教員の資格を取り、働くことができました。
結婚もして、わたしの他に男児2人をもうけました。
父は運が良かった方でしょう。 母の実家には、若い兄のセーラー服の写真が
鴨居にかかっていました。 南方で戦死したそうです。
優しそうなまだ少年の顔でした。
日本中、世界中を考えれば、戦いの中で亡くなった人、原爆で無惨にも散って
いった人、今も後遺症に苦しむ人、空襲で家を焼かれ路頭に迷った人、
ひとりぼっちになってしまった人がたくさんいます。
そんな不幸を望んだ人は、ひとりもいなかったはずです。 あの時の帝国主義、
皇国主義の暴走が生んだ結果だとわたしは理解しています。
思えば、若い頃のわたしは「あの時の戦争はもう昔話、今から戦争などあるはず
がない」と信じて疑いませんでした。
しかし、ベトナム戦争を知り、生まれたころには朝鮮戦争があったことを知り、
戦争が世界中にあることを否応なく知りました。
今の日本は、「秘密保護法」の成立、「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、
「平和安全保障法」の成立と、なしくずしにされて、あの暗黒時代が蘇ってくる
ようで、たいへん怖いです。
しかし、あの頃と違うのは、上から教え込まれたことを信じ行動するのではなく、
(もちろん当時も、おかしいと思っていた人はたくさんいましたが、その声は
権力により、消されていました。)
自分の頭で考え、議論し合い、行動する人たちが、各世代に渡っていることです。
「平和が一番」と願う人達が、たくさんいることです。
この声を大きくして、本当の民主主義が花開く世の中にしたいです。
補足 本当にいま日本は、「平和」の道を選ぶのか、「戦争」をしてもいいという道にいくのか、
問われています。
朝の「とと姉ちゃん」でも、戦争によって、人生を狂わされた人たちの姿が描かれています。
小さい時に、「傷痍軍人」と呼ばれる人の姿を見たことを思い出します。
世界中が混沌として、とうとう日本の人がテロの犠牲になってしまいました。
テロを起こす人はもちろん罰せられるべきですが、なぜそんな事態になっているのかを
考えなければならないんじゃないでしょうか? 世界中のみんなで・・・。
経済を発展させれば、幸せになれるというのは、もはや幻想に思えます。
経済格差が貧困を生み、家もなく貧困にさせられた人たちの不満を生み、
不満を解消させるために、事件を起こしているとしか思えません。
そこに宗教が絡んでくると、泥沼のようです。
「神の意志を実現するために、自分がいる」という存在意義を見いだしてしまう人たち・・・。
殺生を許す神様がいるとは思えないのですが・・・。
普通にまじめに働けば、普通に暮らしていける社会、そんな社会にして欲しいです。
これまで何回も悔しい想いをしてきましたが
これが民意ならしかたありません。
さらなる経済成長をめざして戦争を期待する勢力が
台頭していくことでしょうね。
まだ、わかりませんよ!
今まで自民党に入れてきた叔母が、今度は共産党に
って言ってくれました。
他にも、野党を増やそうと入れてくれた人もいます!
無党派で、まだ決めてない人に声かけを、
あした一日ですがしたいと思っています。
がんばりましょう!