ひまわりのちいさなつぶやき

日々思うこと、感じたことをつれづれなるままに綴っていきます。

8月6日

2024-08-06 10:38:30 | 平和のために

8時から、広島平和公園で「平和祈念式典」が行われました。

炎天下、国内外から5万人の方が参列したということです。

 

「平和」を願いながら「戦争」が絶えない世界、いつまでこの矛盾を

抱えていくのでしょうか?

 

日本は唯一の被爆国であり、核兵器の恐ろしさを知りながら、

「核兵器禁止条約」には署名していません。

アメリカの核の傘に守られていると考えているからです。

それはまやかしであり、アメリカは日本を防波堤にしようとして

いることが、沖縄や南西諸島を見ればはっきりしてきています。

アメリカにものを言える国にならなければなりません。

 

 

きょうの朝顔は5輪。

曜が6本のものが3輪。

7つの曜のものが1輪。

8つの曜のものが1輪でした。

そして、切れ込みのある花が多くて、2つは中に小さな花弁を

抱えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

主張

広島原爆投下79年

「核抑止」許さぬ被爆者の訴え

 アメリカが広島に原爆を投下してからきょうで79年です。被爆者は「ヒロシマ・ナガサキを繰り返すな」「一刻も早く核兵器の廃絶を」と訴え続けてきました。ロシアのプーチン政権が核で威嚇し、各国が核戦力を強化するなか、いまこそ、被爆者の声に耳を傾け、核兵器の使用が招く究極の非人道的状況を世界に発信しなければなりません。

■核禁止条約に結実

 原水爆禁止日本協議会(原水協)顧問で物理学者の沢田昭二さんは中学2年の時に広島で被爆、爆心地から1・4キロの自宅で家の下敷きになりました。はい出したものの、梁(はり)に体を挟まれた母親を助けられないまま火が迫ってきました。「早く逃げなさい」「おまえは生き残って立派な人間になりなさい」という母親の声を背に、火事嵐のなか「お母さんごめんなさい」と言って逃げました。

 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)事務局次長の児玉三智子さんは7歳で被爆しました。焼けただれた皮膚がぶら下がった人、真っ黒い炭のようになった赤ちゃんを抱いた母親、内臓や眼球が飛び出し逃げ惑う人を見ました。父母、弟だけでなく、決断して産んだ娘をがんで亡くしました。

 被爆者が高齢化するなか被爆の実相を語り継ぎ伝え続けることが求められています。広島の基町(もとまち)高校の生徒は被爆者の話を何度も聞き資料にあたりながら絵を描きました。広島の原爆資料館に所蔵されているその絵をパネルにした展示会がいま、全国で開かれています。各地の高校で展示する試みも広がっています。

 核兵器を二度と使ってはならない。自らの尊厳をかけて声をあげた被爆者を先頭にした草の根の運動がいま、核兵器禁止条約に実っています。

■「核の傘」脱却せよ

 日本政府に核禁条約への参加・署名・批准を求める意見書決議は683自治体(7月4日現在)と、全国の市町村の4割に広がっています。政府は、思想・信条を超えたこの声にこたえるべきです。

 岸田文雄首相はこれまでに「核兵器による威嚇も使用もあってはならない」「核兵器の使用がもたらす惨禍、非人道性を世界に訴えていく」「広島、長崎の惨禍は決して繰り返してはならない」などとのべています。

 ところが、岸田政権は7月28日に東京で行われた日米安全保障協議委員会(2プラス2)に合わせて、米国による「核抑止」を強化するための閣僚会合を初開催し、核戦争体制づくりの議論の継続を確認しました。広島・長崎の非人道的な惨禍の再現を前提に核で威嚇するのが「核抑止」論であり、首相の言明とまったく矛盾する行いです。

 唯一の戦争被爆国・日本は最も説得力を持って核兵器廃絶を訴えられる国です。その国の政府が核禁条約や核兵器廃絶の世界の流れに背を向け、核禁条約の締約国会議にオブザーバー参加すらせず米国言いなりを続ける姿は異常です。

 ただちに「核の傘」のくびきから脱却し、核兵器禁止条約に参加すべきです。

 ヒロシマ・ナガサキから、核兵器は絶対悪だという声を世界に発信するとともに、核に固執する日本政府を包囲していこうではありませんか。

                        (しんぶん赤旗より)


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