この年も煙のやうに暮れゆくを昨日もけふも青空つづく
きょうの歌会は、「歳月」というテーマがある5首連作を読み合う会でした。
今年は、予防接種が済むまでは、郵送で参加していましたが、
済んでからは、会場まで行きました。
郵送の時は、
高槻に住んでいる方たちに、たくさんお世話になりました。
きょうは、一年間のまとめの冊子の校正もあり、
10時から15時まで、会場にいました。
これももう第5号になります。
♩ きれいな花よ 菊の花
白や黄色の 菊の花 ♩
この歌が作られた頃は、色とりどりの菊の花は
なかったのかも知れませんね。
きょうの潮流
戦前、不治の病と恐れられた感染症の結核。東北帝国大学医学部を卒業し、岩手県志和(しわ)村(現紫波町)の診療
所で、結核の治療、調査にあたった若き医者がいます。
▼戦後、民医連の会長を務めた高橋實(みのる)医師です。貧しい農村では出稼ぎが多く、感染して帰村し死亡する人が
多くいました。療養する部屋は、納戸とよばれる窓のない小さな寝室に万年床を敷いただけ。同居する家族の感染も深刻
でした。
▼対策で画期的だったのが全村民5千人余へのツベルクリン反応の集団検診です。63人の患者を発見、感染の分布をつ
かみ、感染源を追求しました。B・C・Gの予防接種、病床20、結核病床10、レントゲンや結核菌検査の設備を備え
た診療所建設につながりました。
▼医師の熱情に押されるように、村民が自主組織、結核予防会を結成。村長、組合長、校長、警防団長らが積極的に動き
ました。経済的な事情を考慮し、無料・半額の医療費という減免も取り入れました。
▼こうした実践をもとに80年前、朝日新聞社から『東北一純農村の医学的分析』を出版。「講座派」のマルクス主義理
論の影響を強く受け、科学的な分析に徹しました。専門家からは「結核に関する限り、わが国の最高の水準にまで登り得
た」との高い評価を得ました。
▼この実践は、その後の結核とのたたかいに大きく貢献しました。無自覚者を発見するための全住民への検査、予防接
種、医療設備の充実、弱者救済の措置、科学の重視などは、コロナ禍だからこそ生かしたい教訓です。
(しんぶん赤旗より)