雨降りの中、「塔」の事務所まで行ってきました。
6人で3時間ほどがんばりました。
全国の何カ所だろう?
少し増えて、8箇所くらいでやってたと思います。
とちゅうで、蛙の鳴き声が聞こえました。
写真は、校正とは関係なく・・・
去年、探し回ってどこにあるかがわかった、「栴檀」あるいは「樗(おうち)」が
咲き出していました。
きょう、電車の中から花が盛り上がって咲いている「樗」を見つけました。
近くの自衛隊駐屯地の中でした。
とってもきれいだったけど・・・
グーグルレンズくんは「うつぎ」「まるばうつぎ」と教えてくれました。(11日)
もうこんなに、あじさいが咲いていました。(11日のつづき)
ご近所の、バラ作りがじょうずなお家のいろいろなバラです。
ガレージに並べられていました。
お庭にもフェンスにも、たくさん咲いて楽しませてもらってます。
きょうの潮流
道路わきに供えられた花束が雨にぬれていました。ひしゃげた鉄柵の向こうには米軍基地がひろがり、上空では戦闘機
が爆音を響かせる。そこには、いまも変わらない姿がありました。
▼沖縄・北谷(ちゃたん)の国道58号で8日朝、20歳の米兵が運転していた車が歩道に乗り上げ、歩いていた男性を
はねました。男性は搬送先の病院で間もなく死亡。現場には生々しい傷痕が残っていました。米兵の身柄は米軍の管理下
にあり、詳しいことはわからないといいます。
▼本土復帰から50年の沖縄。この半世紀に殺人や強盗などの刑法犯で摘発された米軍関係者は6千人をこえ、性暴力も
後を絶ちません。泣き寝入りした被害者はその何倍にも。いまだにおびやかされた日常が続きます。
▼県内では節目の催しがさまざまに開かれていますが、街や人びとに高揚は感じられません。大型連休のにぎわいもつか
の間、またもコロナの感染拡大で人出もまばらに。戦争や米軍の占領によってずたずたにされた生活。求めてきた自立型
の経済をつくることも「まだ道半ば」(デニー知事)です。
▼一方で復帰とは何だったのかを問う企画は盛んに。たたかう現場では節目を機に、改めて動かぬ現状を打ち破ろうとの
声が上がっていました。
▼沖縄の貧しさや悲しみをつづった『海をあげる』の著者で、普天間基地の近くに住む琉球大教授の上間陽子さんは、一
つの希望についてこう語っています。それは「私たちはまだ正義や公平、子どもたちに託したい未来を手放さない」こと
だと。
(しんぶん赤旗より)
朝ドラ「ちむどんどん」でも、沖縄の歴史が
ともに語られていますよね。
15日は復帰50周年の日。
主人公の暢子はこの日、東京へ行きました。