朝6時ごろ、大きな雷と豪雨!
ゲリラ豪雨というやつで、目が覚めました。
すぐに止んで、9時頃にはお日さまがかんかんとがんばり出しました!
9時半から「フーレセラピー」を予約していたので、友だちの家へ。
歩いて5分くらいの所へ、三重県から来てくださるので助かります。
病み上がりなので、いつもより10分短く、弱めにしてもらいました。
バンマツリに返り花がいくつか見えます。
今年はカタツムリが多いなぁと思うのですが、みなさんの所はどうですか?
数年前まで、なかなか出会えなかった記憶がありますが・・・。
午後1時から、また同じ友だちのところへ行きました。
パソコンのWordを教えてもらうためです。
新婦人の班のニュース係をしているので、ニュースを
バージョンアップさせたいと思いました。
写真を載せることは、今月の分からできるようになったのですが、
なんかカチッとしすぎていて、面白みがないので、
得意な彼女にお願いしました。
ところが、彼女が教えてくれようとしていた「ワードアート」が
わたしのバージョンでは、出て来ないことがわかってしまい、
いろいろ調べてもわからないのです。
彼女のパソコンより新しいはずなんですが・・・。
ふたりともやる気がから回ってしまい、疲れただけでした。
まあ、でも、メールのことは解決したので良かったのですが。
なごりの夕焼け。
ふっと見ると、屋根の上にネコ!
熱くないかな?
「産経」「読売」 終戦の日に「核抑止」「大軍拡」あおる
「首相は核抑止の重要性語れ」(「産経」)「抑止力強化が侵略を未然に防ぐ」(「読売」)―。終戦から78年の15日付の社説に、異様な見出しが並びました。
「産経」は論説委員長名の社説で、被爆地広島、長崎両市が今年の平和宣言で「核抑止」破綻論、脱却論を訴えていることに対し「国民の命と安全を脅かしかねない危うい主張」だとかみつき、両市の平和宣言を肯定的に報じたメディアまでも「核抑止の手立てを放棄」する「危うさに政治家やメディアはもっと敏感になったほうがいい」と攻撃。その上で、「中国が核威嚇してきたらどうするのか」とどう喝し、「核抑止」を受け入れるよう求めています。
「核抑止」とは、実際に核兵器を使用し、新たな被爆者を生み出すことを選択肢として持つことです。原子爆弾の業火の中で家族を奪われ、苦しみの中で戦後を生きてきた被爆者に対して、「同じ苦しみを他国に与える覚悟をもて」と迫る社説には、強い怒りと憤りを覚えざるを得ません。
「読売」は、「脅威に対処するには、平和を唱えるだけでなく、相手に侵略や攻撃を思いとどまらせるような抑止力や反撃能力(敵基地攻撃能力)を持つことが不可欠」と主張。軍事費を国内総生産(GDP)比2%に引き上げる国の方針などにも言及し、軍事力強化を「着実に実行しなければならない」としています。
大軍拡が軍部の膨張を招き、破滅的な戦争に突入した戦前の歴史を、いったいどう総括しているのでしょうか。
両紙の社説の論自体はとるに足らない暴論ですが、このような論を、終戦記念日に「社説」として掲げるメディアが現れること自体に、「新しい戦前」の影を色濃く感じ、慄然(りつぜん)としてしまいます。(司)
(しんぶん赤旗より)