行くときに、ミッフィーでラッピングされた電車を見ました。
写真に撮れなかったのが、残念。
南の方から来る仲間の人が、撮ってLINEに載せてくれていました。
きょうは10人で「5首連作」を読み合う会をしました。
先月は欠席してしまったので、ドキドキ感がありました。
来月は司会が回ってくることがわかりました。💦
終わってから、近くで昼食をとって帰りました。
和風サラダが付いていて、良かったです。
お蕎麦のつゆは2種類ありました。
美味しかったです!
あとふたつある無花果の片方が、こんなにぷっくりと膨らんできました。
これだと、売っているものに遜色はないです。
味はまあまあだと思うし。(^_^)
きょうの潮流(8月31日付け)
16代600年も続いてきた旧家でした。江戸時代までは武家でしたが、藩の没落で農家に。庭のツゲやマツは先祖
代々うけつがれてきたもの。「帰れるもんなら帰りたい」。その屋敷で人生の大半をすごしてきた女性は涙をこぼしまし
た。
▼原発の事故によって埼玉県に町ごと避難した福島・双葉町。ふるさとを追われた苦難の姿はドキュメンタリー映画「フ
タバから遠く離れて」にも描かれました。築いてきた生業(なりわい)、地域や人とのつながり。すべてを奪われてから
の歳月の重さがひしひしと。
▼およそ11年半ぶりに、避難指示が解除されました。ただしJR双葉駅周辺のごく一部。いまだ町の大部分は帰宅困難
区域として残ります。以前、真新しい駅舎の周りを歩いたことがありますが、荒れ果てた家や商店との対比にやるせなさ
が募りました。
▼自宅にもどったばかりの住民は「復興には、まだほど遠い」と話します。実際、帰還を希望する町民は1割ほどにとど
まり、生活環境や放射能への不安から帰らないことを決断した人も。
▼長期化する避難生活、収束のめどさえたたない事故。原発が立地する町は、それが人間の営みと相いれないことを切々
と訴えています。
▼いまも福島全体で3万人以上が避難するなか、岸田首相は原発7基の再稼働追加と、運転延長や新設まで検討するよう
指示しました。まるで、事故などなかったかのような無責任の極み。汚染水の海洋放出にも前のめりです。人生の最後は
ふるさとですごしたい―その言葉をなんと聞く。
(しんぶん赤旗より)
もし、自分の故郷がこんなことになったら……。
悲しくて悔しくてたまらない!
政府の人には、そういう想像力がないのでしょうか?
何が一番大事なのかな???と思ってしまいます。