桃色の五片を開くゆすらうめ母逝きし日はその実たわわに
きょうは、母のことを書こうと思います。
今、わたしがここにいられるのは、母のおかげだから!
母が逝ってから、この6月で丸11年になります。
葬儀が終わって少し落ち着いた頃、家の隣の母が作っていた畑に入ってみると、
その端っこに大きな山桜桃の木があって、大きな実がたくさん成っていました。
ひとつぶ口に入れると甘い汁がじわーっとしみ出して、母が丹誠こめて育てて
くれてたのだなあと、涙がにじみました。
もう次の日は仕事のために帰らなければならなかったので、たくさん食べました。
母に「ありがとう」と言いながら。
そのあと、父はたくさん苦しみながら「仏教関係」の本をたくさん読むように
なりました。
そして、それをまとめることによって、自分の心を癒していたようです。
わたしは、なぜかずいぶんあとになってから、大きな苦しみに襲われました。
いろんなことがいっぺんに押し寄せてきて、容量を超えてしまったんですね。
そんなわたしは、短歌を詠むことによって癒されてきました。
だから、今、短歌を手放すことはできません。
きょうは、義母の月命日でもあります。
義母もこの花が好きで、咲くといつも「きれいやなあ」と眺めてました。
ふたりは天国で、きっと仲良く過ごしているでしょう。
きょうは、母のことを書こうと思います。
今、わたしがここにいられるのは、母のおかげだから!
母が逝ってから、この6月で丸11年になります。
葬儀が終わって少し落ち着いた頃、家の隣の母が作っていた畑に入ってみると、
その端っこに大きな山桜桃の木があって、大きな実がたくさん成っていました。
ひとつぶ口に入れると甘い汁がじわーっとしみ出して、母が丹誠こめて育てて
くれてたのだなあと、涙がにじみました。
もう次の日は仕事のために帰らなければならなかったので、たくさん食べました。
母に「ありがとう」と言いながら。
そのあと、父はたくさん苦しみながら「仏教関係」の本をたくさん読むように
なりました。
そして、それをまとめることによって、自分の心を癒していたようです。
わたしは、なぜかずいぶんあとになってから、大きな苦しみに襲われました。
いろんなことがいっぺんに押し寄せてきて、容量を超えてしまったんですね。
そんなわたしは、短歌を詠むことによって癒されてきました。
だから、今、短歌を手放すことはできません。
きょうは、義母の月命日でもあります。
義母もこの花が好きで、咲くといつも「きれいやなあ」と眺めてました。
ふたりは天国で、きっと仲良く過ごしているでしょう。
正宗さんちのブログでは、見つけてくださった上に、
声までかけてくださって、ありがとうございます。
ずっとネットから離れてたご無沙汰人なので、本当に嬉しかったです。
ひまわりさん、調子が良さそうで、本当に良かった!
母という存在は、きっとどれだけ年齢を重ねようとも、
大きな大きなものなんでしょうね。
そして、子供たちっていうのは、いろんな痛みを癒してくれる存在なんだなぁと、
特に今は感じずにはいられません。
学校の仕事、こどもたちと向き合って、体力はいりそうですが、元気が出そうですね。
うちの仕事場にもね、なじみの子たちがいっぱいくるので、やっぱり元気がもらえますよ。
また(^ _ ^)/
ありがとう、きてくださって!
子どもの相手は、体力もいるし、気力もいります。
きょうは、外にいる時間が長かったせいか、疲れました。
いいお天気で暑いくらいだったしね。
おとといかな、義母が夢に出てきました。
なんでだか、笙獅と大獅の「おばあちゃん」になってました。
わたしが、あーちゃんだから?
実母の夢はあんまり見ないな、どうしてだろう?
まゆゆさん、またきてくださいね!