「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくるよ、
恐ろしくて眠れない」
山里節子さんの歌う、石垣島の叙情詩と
とぅばらーまの歌詞より
三上智恵監督が7年をかけ取材し、まとめた記録「戦雲」
南西諸島でいま、どんなことが進められているのか?
そこに住む人々はどう思って暮らしているのか?
丹念に見聞きしたことが、私たちの胸にも迫ってきます。
「京都シネマ」での上映は先週で終わってしまい、探したところ、
大阪の十三(じゅうそう)の「シアターセブン」でやっていることが
わかりました。
電車に乗って、梅田の近くまで行くのは、何年ぶりだったでしょう?
十三駅から約五分の距離に映画館がありました。
このボーリングのピンが目当て。
「シアターセブン」は5階。 6階が「第七藝術劇場」
エレベーターは、11時30分にならないと、5階の扉が開かない仕組みでした(*゚∀゚)
主なナレーターは、監督自身と山里節子さん。
与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島の歴史や文化・自然が描かれ、
そこに住む人々の思いや願いが映し出されていきます。
次々にやってきて整備される自衛隊基地、運び込まれる弾薬やミサイル、
いくら反対しても充分な説明もなく、排除される声、身体も・・・
国防のためという大義名分のもと、圧殺されていく沖縄の声。
これは沖縄だけの問題では決してなく、日本のすべての地域で
考えていかなければならないこと!
たくさんの人に見てほしいと思いました。
射干の花盛りを迎えています。
主張
「大東亜戦争」記述
自衛隊の侵略戦争美化許すな
日本の過去の侵略戦争を美化し、旧日本軍との連続性をうかがわせる自衛隊の言動が続いています。
陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)の公式の投稿で「大東亜戦争」という表現を使って批判を浴び、この言葉を削除し再投稿することがありました。
本紙の取材で、海上自衛隊や陸自の幹部が靖国神社に集団参拝していたことも明らかになっています。陸自幹部の靖国集団参拝に際して作成された内部文書に「大東亜戦争」という呼称が肯定的に使われていたことも、本紙の調べで分かりました。
■軍国主義と不可分
「大東亜戦争」という呼称は、米英両国に対する戦争開始直後の1941年12月12日に当時の東条英機内閣が閣議決定しました。これを受け、内閣直属の言論統制・宣伝機関である情報局は同日、「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず」と発表しました。
「大東亜新秩序」とは、中国だけでなく、東南アジアとインドの全部、豪州やニュージーランドを含めた西太平洋の全域を日本の支配下に置くことを目標にするものでした。インド太平洋地域への侵略、領土拡張のための戦争が「大東亜戦争」と呼ばれたのです。
日本敗戦後の45年12月15日、連合国軍総司令部(GHQ)は、「日本国民を欺き侵略戦争へ誘導する」ために利用された神道を国家から分離する覚書(神道指令)を日本政府に出します。
その中で「公文書において『大東亜戦争』、『八紘一宇(はっこういちう)』なる用語ないしその他の用語にして日本語としてその意味の連想が国家神道、軍国主義、過激なる国家主義と切り離し得ざるものはこれを使用することを禁止する」としました。
「大東亜戦争」という言葉は、天皇の支配の下に世界を統一するという意味の「八紘一宇」と並んで、侵略戦争を「正義の戦争」だとして、国民を侵略戦争に駆り立てるために使われたのです。GHQの指令は既に失効していますが、日本政府はそれ以降、現在に至るまで「一般に公文書において使用しなくなった」としています。
■靖国参拝をやめよ
憲法の政教分離原則に反する陸自、海自幹部の組織的な靖国集団参拝も曖昧にできません。
靖国神社は戦前・戦中、国家神道の中核として、天皇のために戦死した兵士らを「英霊」として祭り、侵略戦争に国民を動員するための精神的支柱の役割を果たしました。戦後、GHQの神道指令を受け、一宗教法人になったものの、戦争指導者として極東国際軍事裁判で有罪になった東条英機らA級戦犯を合祀(ごうし)するなど、侵略戦争美化の宣伝センターになっています。
岸田政権が敵基地攻撃能力保有など大軍拡を進め、「新たな戦前」の危険が迫る中、元自衛隊幹部などから、自衛官の戦死に備え靖国神社を国家の「慰霊顕彰施設」として復活させよとの声も上がっています。侵略戦争美化につながる自衛隊の言動を許さないことはいよいよ切実な課題です。
(しんぶん赤旗より)