多田雄幸さんというヨットマンをご存じですか?
今では、”白石康次郎さんのヨットのお師匠さん”と説明するのがむしろ分かりやすいかもしれません。
多田雄幸さんのヨット経歴は「オケラグループ」と共にありました。
”オケラ”というのはお金を持っていない状態を言いますが、「オケラグループ」も金のないヨットマンの集まりで、自作のヨット(23ft)を完成させたら金がスッカリ無くなったとの意味で、船名を「オケラ」と命名したのだそうです。オケラ1世は諸磯に係留し、相模湾でのセーリングを楽しんだそうです。
やがてもう少し遠くまで航海できるヨットが欲しくなり、オケラ2世(31ft)を作ることになったのが、三浦の福寿寺の敷地だったそうです。ご住職が多田さんと意気投合し、敷地を提供してくれたのだそうです。
実は、先日諸磯(MYOC)のO掘さんから、上記の福寿寺に多田雄幸さんと第一次南極観測越冬隊長の西堀栄三郎さんの碑があると聞いたのです。
なんでそんな話が出てきたかと言いますと、MYOCのパーティーでT島キャプテン作詞の「ヨット乗り賛歌」を披露したからです。このモト歌は「雪山賛歌」で、モト歌の作詞が西堀栄三郎さんである。山男の西堀栄三郎さんはヨットも好きでヤルンカンというヨットを持っていて・・・・・という話から出てきたのです。
ちなみに福寿寺の顕彰碑は、多田雄幸氏、西堀栄三郎氏そして植村直己氏。
植村直己さんのことはあらためて紹介するまでもない程著名な登山家ですよね。
偉大な冒険家達は、ヨット造りの合間にこのお寺で冒険談義に花を咲かせたのだそうです。
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ということで、行ってみました、福寿寺に。
場所は金田漁港から山側に登ってすぐです。
顕彰碑は本堂脇にありました。
お三方の名前が刻まれています。
ご住職の筆による「夢」という文字
裏にはお三方の略歴
オケラ2世はこの細道を海に向かって運ばれたのですね。
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ちなみに私が「オケラ」というヨットの名前を知るようになったきっかけは福寿寺で建造されたオケラ2世です。特異な船型から”いちじく浣腸”と揶揄されるも微風では良く走ったという記事を舵誌で読んだときです。実際に見てみたかったですねえ、”いちじく浣腸”のオケラ2世!
実際に多田雄幸さんに会った(正確には”海上ですれ違った”)のは第1回BOCシングルハンド世界一周レース(クラスⅡ)で優勝したオケラ5世が横浜港に入港してきたときに、たまたますれ違ったのですが、我々が手を振ったらうれしそうに手を振り返してくれたことがとても印象的でした。
今回はこのブログ「皆空の中で」を大いに参考にさせていただきました。→ココ