祈り 癒し パワー

Caterina Michikoの備忘録

リパの聖母(全ての恵みの仲介者)

2020-05-11 | 聖母月

聖母月11日目。
早いですね!!
本日ご紹介する聖母は、フィリピンの聖母です。
フィリピンはアジアの中でも珍しいカトリック国です。
フィリピンでは数多くの聖母巡礼地がありますが、その中でも、本日はバチカンが公認しているリパの聖母(全ての恵みの仲介者)をご紹介します。

それは、1948年8月18日のことでした。
フィリピンのバタンガス州リパにあるカルメル会の修道院での出来事です。
修道志願者であったテレシタ・カスティージョ(Teresita Castillo)は素晴らしい天国のような香りに気が付きました。
そして自分の部屋に入ると、彼女は白い婦人が自分に話しかけて来るのを見ました。
「恐れないで、私の娘、全てのものを愛するお方が私をあなたのもとに送りました。私はメッセージを持ってきています。」
その婦人はテレシタに、修道院の院長の足を洗ってキスをし、そして、その水を飲むように頼みました。

1948年9月12日、テレシタは 修道院の灌木で、ブドウが風も吹いていないのに揺れているのに気が付きました。
すると彼女はあの婦人の声を聞き、次の日から15日間連続でこの畑を訪れるようにと言われました
13日の午後5時にテレシタはその場所に行き、膝まづいて「アヴェマリアの祈り」唱え続けていました。
その祈りの途中で風が吹き、畑のブドウが動き、美しい婦人が現れました。
テレシタによるとその婦人は祈るように手を組み、右手には金色のロザリオを持っていました。
その婦人はテレシアに司祭と修道女のために祈るように頼みました。
14日には、バラの花びらが修道院にまき散らされていることに数人の修道女が気が付きました。
午後5時に再び婦人が現れ、「私はこの場所が明日祝福されることを望む」と言われました。「それは何時でしょうか。」とテレシタが尋ねると、「あなたの修道院長が望む時間でよろしい。私の子供よ。私は、あなたがこれらの15日間の出来事を忘れることを禁じます。」と言い、婦人は突然に消えました。

テレシタによると、婦人の両手は胸で組み合わされ、右手に金色のロザリオを持ち、わずかに前かがみになっていました。
婦人のドレスはシンプルで純白でした。ウェストは細い布制の紐を結んでいました。
婦人は裸足で、雲の上に立ち、地面から2フィートほど離れていました。
婦人の顔は表現できないような美しさで、光り輝いていたそうです。

修道院長のメアリ、イエスのセシリアは聖母の御出現の可能性のあるこの事象で、何をすべきか上司と相談することに決めました。
アルフレッド・オビア(Alfredo Obviar)神父はリパ司教区の補佐司教で、カルメル会の特別指導者でした。
オビア司教は修道院長にこの夫人が聖母マリアである証明をしてほしいと求めるよう指示を出しました。

最初のバラの花びらがまき散らされた後、テレシタの眼がまったく見えなくなってしまいました。
修道院長は「テレシタの眼にキスをするように、すると彼女の眼は見えるようになる」という女性の声を聞きました。
オビア司教の立会いの下、修道院長がテレシアのヴェールを持ち上げ、眼の部分にキスをしました。するとすぐに、テレシアの視界は元に戻り、オビア司教はもはや疑うことなく聖母の出現であると宣言しました。

しかしながら1951年4月11日、フィリピンの大司教と司教団の6名は「もう一度調査をやり直す」と宣言し、教皇庁の指示があるまでは、リパのカルメル会修道院の超自然現象についてはふれないよう、文章を出しました。
修道院長のメアリ・ザ・セクレド・ハートとシスター・バルダサールはこの御出現に関するリーフレットが入った箱、祈りの本、バラの花びらそして全ての宗教的用具を燃やすよう大司教から命じられました。 聖母マリアの像を破壊するようにも命じられましたが、彼女らの聖母への崇敬からそれらを隠すことにしました。テレシタの日記は燃やされました。

エジデオ・ヴァニオッジ枢機卿は1951年、テレシタに「カルメル会の修道院を離れて、目の治療院を探しなさい」と勧めました。 枢機卿は聖母の御出現の承認を強く否定し、テレシタを悪魔と呼びました。
テレシタは泣き叫びながら祝福を求めましたが、枢機卿はそれを拒否しました。

しかしながら、「リパでの聖母の御出現は偽物で、超自然的ではない」と宣言した6人の司教のうちの1人が、彼の臨終時に宣言を撤回しました。調査委員会の2人の司教はリパに対する管轄権の欠如から、この調査を引き続き行うこととなりました。
そして1991年に、御出現を承認する嘆願書が再度、教皇庁に提出されました。

教皇庁が未解決の調査事項としている2005年、ラモン・アルグレエス司教は、「リパの聖母の崇敬は何の問題もなく、これを文書とする。」と宣言しました。バタンガスの大司教も、この名称によるマリアへの崇敬をわざわざフィリピンの大司教区で禁止することはなくローマ・カトリック教会の文書とぶつかること無く同様に扱うことを表明しました。こうして、リパの聖母への崇敬はリパ市とマニラ市において認可されました。

2015年9月14日マニラにおいて、大司教ラモン・C・アルグエレスは、「聖母はフィリッピンを訪れた。」として、布告を出し、リパの聖母出現を最終的に公認した。教皇庁もこれを追認しました。

・・・・・

聖母のご出現は、世界の各地で様々な報告がされています。
リパでの御出現は、これぞ「Theご出現」といえるほどに、御出現のセオリーが満たされています。
賛否が議論されたことも無理ないと思われますが、現在、バチカン教皇庁は、リパでの聖母のご出現を公認しています。
教皇庁が「超自然的ではない」と完全に否定しているご出現の報告も多数あります。
私は「奇跡マニア」ではありませんが、聖母への信心は強く持っています。
教皇庁が調査中の御出現やお告げの様々な報告については、盲目的になるのではなく、しかしながら、頭ごなしに否定することもなく、注意深く見ていかなければならないと改めて感じています。


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