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大学時代、自分が持っていないPeterの曲を探し、Chicagoのアルバムをカウントダウンしていた事は以前も触れましたが、当時苦学生だった私にとって、大好きなPeterの歌声とは言え、Chicagoの全アルバムをCD購入するのはコスト的に厳しく、慎重にならざるを得ませんでした。
また、私にとって、音楽性が受入れられなかった「古いChicago」なので、アルバム毎の有名なヒット曲で伝わる古くさい感じが、どうしても購入意欲を弱めたのでした。
また、最近でこそネットやリマスター再販で容易に入手できますが、あの頃、Chicagoの旧作品の国内盤CD(特に一桁のタイトル)は確か廃盤となり、店頭では殆ど見当たらず、輸入盤があるぐらいでした。ライナーノートの入っている国内盤が好きな私は、Chicago11以前の購入には迷い、時々立ち寄る「ターワーレコード」で、輸入盤CD(当時は紙製の長方形の箱パッケージが主流)を手にしジャケットをながめては、考え直して棚に戻す日々でした。
ところがある日、そんな私には格好のFM番組のOA予定を雑誌で見付けたのです。確かNHK-FMかFM大阪のどちらかだったと思います。大学3~4回生(1992、3年頃)だったでしょう。その番組は、Chicagoの殆ど全てのアルバム等・公式音源を毎晩1~2枚ずつ2時間ぐらいを2週間程かけてカウントアップし、ノーカット紹介するという企画でした。CD現物を購入しなくて聴けるので正に私には絶好の番組。
しかし、喜んだのものの問題発生!夜勤バイトを隔日でやっていた私は、カセットテープで予約録音するしかないので、毎晩深夜に1時間以上オンエアされる番組の録音は、そのままでは番組途中でテープが裏返るため、音源がどこかで途切れて録音されてしまいます。
何とか対策を模索した結果、例のChicagoのビデオクリップ放映に合わせて、人生初ローンで購入したSONY製ベータ式ビデオデッキ「SLHF-1000D」にライン入力でステレオを接続し、Hifiステレオで予約録画(録音)する方法を思いつきました。お陰で何とか対処する事ができました。
番組では全オリジナルアルバムを網羅してオンエアしてくれたので、録音したビデオのマスターテープは何時間にも及んでしまい、全てを編集してカセットテープにダビングするのも結構な作業となりました。そして無事、それまで持っていなかった「シカゴ1~11」の各アルバムを、お揃いのカセットテープに編集!
いきなりテープで10本以上にも及ぶ膨大なPeterの曲の入った未知のアルバムが手に入った訳で、自分にはその時点で「もうお腹一杯」でした。
今思えば、その頃廃盤になっていたアルバムや別バージョン音源等も紹介されていた、ファンにはたまらない企画だったので、DJの解説も含めて、残すべきだった。しかし、とにかく長い時間でカセットテープにすると何本分にもなってしまうため、残すのはアルバム音源がやっと。今では二度と実現しそうにない、永久保存版の番組だったのに。。。価値を分らず、他を一切残さなかった事を後悔!!!まあ、カセットテープ代だけで、晴れてChicagoのアルバム一式が揃った訳で凄く助かりました。
入手後早速、バイトまでの移動の自転車上ウォークマンで日替わりで聴いたのですが、順番にカウントアップして日々内容を聞いてみるも、気に入る曲やアルバムが見当たらず、視聴は1週間程で終息してしまいました。
その後、何年かして就職後に、9から10ぐらいのカセットテープを思い出したように聴いた時期もありましたが、1~5ぐらいの初期のChicagoを理解できる程、私の音楽レベルは向上していません。(初期のChicagoファンの方すいません)
但し、Peter Ceteraの歌声が含まれているのは間違いなく、特に40代になってからは違う感覚で聴かれるようになり、少し当時とは状況が変わってきていて、最近改めてMP3ファイルを起こし、聞き込みたい欲求にかられ始めています。
※もし、そのFM番組について覚えておられる方がおられましたら、是非コメント下さい。
以下に、当時自分が受入れにくかった一番古い曲「長い夜」をリンクしておきます。
今聴くと少しはその魅力も分り初めており、中々だと感じる点はありますが、とにかく、学生時代は「A・O・R」一色でしたので・・・
Chicago - 25 or 6 to 4 (with lyrics)
改めて宜しくお願いします。
なりゆきは違えど、“ピーターにノメった”事実を共有する繋がりに、つくづく感動したサプライズの一夜でしたね~~☆☆☆
私は、ジョーさんと知り合わなければ、去年のショーに臨むことも無かった…かも!?
今日日の浮き沈み激しいアメリカン・ポピュラー界において、皆さんのような情熱的なジャパニーズ・ファンを持ち続けるピーターに、私は心から喝采を送りたい気分です!!
皆さんの熱意がまた、さらなる来日と新作に繋がりますように~♪♪♪
年齢のせいか、今年は、いとも簡単に風邪をひいてしまいまして、週末はインドアでPC三昧でした。
(PCとはピーターと、パソコン、双方の意。)
さて、サプライズの音源の件、有難く聴かせていただきたく思いましたので、
ジョーさんのmixi宛に僕の居場所をメールしました。
僕のmixiのnameはカタカナ表記のウェインではありませんが、すぐ分ると思います。
私信にて失礼致しました。
ところで、あの日の事をここまで身近に思ってくれていらっしゃたとは。。。
改めて例の偶然録音されていた『ライブ後のサプライズの模様』の音源を聞いてみました。
・・・そして新たな発見!!
実はバックステージから戻って、皆んなと歓談している裏で、恐らくウェインさんと思われるお声もいろいろ入っているんですが、そのお声に耳を傾けてみたら、莉緒さんと私の会話の裏で・・・。
※恐らく私が掲げた似顔絵の現物を見ながら
・ウェイン「これ借りて2回目も・・・」
・taka「でも同じだからダメでしょ・・・」
とのやりとりが聞きとれるのです。そんなやりとりが録音されていた事実を1年経って今更、気がついた次第です。サプライズの模様は約20分なんですが、ウェインさんのお声も結構入っていると思います。確かまだウェインさんにはこの音源はお渡ししていませんでしたよね。
記念になると思いますので、よろしければ、CD-Rでお送り致しますよ。
一喜一憂のポイントも同じだったはず…。
「サプライズ」から間もなく1年ですね。
僕にとってはあの日の全ての出来事がサプライズでしたよ。(←さっきの出来事は簡単に忘れますが、1年前のあの日の出来事は皆さん同様に鮮明に覚えてるんですね。)
開場前に入口前に立ち寄ったところ、既に座り込んで待っている数人の方々が…。その中で、すぐに声をかけていただいた、僕より少し若い男性が、伝説のPETER来日署名発起人でファンの第一人者であるtakaさんだろうと直感し、その直感がなんと的中。(!!)
他の皆さんとの話の輪に参加して間もなく、大阪のスキンヘッドのひがさんが加わり、ほどなくしてジョーさんが現れ、確か傘立てでしたかねぇ?そこに腰かけてこのブログの裏話などもご披露いただきましたよね。
開場して、そのままの流れでtakaさんと最前列に座り、あとから入場してきたジョーさんとお友達の女性が僕の背中のソファー席に座り、開演直前にお二人のソファーの後ろにルース駐日大使がお供の方を伴って腰かけられました…。
そう、その女性こそ莉緒さんだったのですね。位置関係からして、お二人さんがステージ上のPETERに目をやると、常に巨体の僕ウェインが視線手前を邪魔していた事になる訳でして、その節はデカくて申し訳なかったです…ハイ。(LIVE行く度にこんな気持ち。後ろの人、ゴメン。)
PETER退席直後にジョーさんがスタッフに呼ばれた時、とにかく必死な顔で後ろをついて行きましたよね。みんな後ろ姿を羨ましく見つめていましたよ。
ああいう臨場感、ホントに近いうちにまた味わいたいものですね。勿論、多くの人とも再会したいです。
初期のシカゴについて、アルバム内の無名の曲は確かに自分の趣向に距離があるのを感じたんですが、実は、「25or6to4」は、それ程でもなかったんですよ。。。。
ウェインさん
FM雑誌(FM-fan、週間FM等)読んでましたよ!!!立読みでしたけど。。。
ChicagoとPeterのチャートアクションももちろん追いかけていて、Peterのチャートイン中は、確か本屋に行くたびに、そのチャートのページを開いては、その名前の掲載を何度も何度も見て喜んでいたように記憶しています。あの時、別のどこかで、同じページをウェインさんもごらんになられていたって事ですよね。。。
【実はあの頃は、大学浪人中でしかも田舎に住んでいたので、いつも本屋でいろんな本読んでました】
そして、大学生になり、既にブログでご覧になられたと思うのですが、週間FMorFM-Station?への投稿⇒採用となった訳です
↓↓↓↓この記事にある写真がその実物
http://blog.goo.ne.jp/ceterafanjoe/e/c4d59f54c27e14bd79edc3c54710471a
そして、実はあの記事をご覧になって、連絡頂き「1stアルバム」をコピー頂いたのが、何を隠そう今回、このブログへコメントデビューされた莉緒さんなんです。
コメント書きながら、気づいて慌てて紹介している次第なんですが、何か冷静に考えると、20数年前と全然今でも同じような事している(成長していない)私でした。
しかし、今でもいろいろ採用される自分のPeterとの「運」というか「縁」みたいな物を改めて感じずにはいられません。
更に、紹介すると、去年のPeterとのあの「サプライズのハプニング」の同席者もこの「莉緒」さんなんです。年賀状でのやりとりは続いていましたが、ライブの同席をお願いし、20年ぶりぐらいに再会できたのでしたが、今回まさかFM雑誌の話題のコメントで登場されているとは、偶然にしては一体何なんでしょうか、このPeterを通じた縁は。。。
P.S
そういえば、ウェインさんもあのサプライズの同席者でいらっしゃいましたよね。またお会いしたいですね。。。
僕は少年時代、家が狭くてステレオが置けなかったので、
favorite songをテープにダビングするのは全てFMのエアチェックでした。
そう、FM雑誌が友達。(寂しいネ。)
個人的にはFMfunのビルボードのチャートが楽しみでしたね。
当然、Chicagoの各曲や、脱退後のPETERのチャートアクションも印象に残ってますよ。
「GLORY OF LOVE」が1位に輝いたのは、
ハレー彗星が76年振りに戻って来て世間がブームだった1986年、
僕が上京して初めてステレオならぬCDラジカセを手に入れた年の夏のことでした。
続いて暮れにも「THE NEXT TIME I FALL」が1位になって、
そのPETERが抜けたChicagoも後を追うようにして、
翌87年春先に「WILL YOU STILL LOVE ME?」を3位に送り込んで、
4月には来日武道館公演。(BILLの大チョンボと、2部構成3時間以上の伝説のLIVEでした。)
そういえばこの頃にはFM雑誌が廃刊に追い込まれていく時代になっていましたね。
東京音楽祭の映像、いいものを久しぶりに見させてもらいました。
家のどこかに、録画テープあったはずだけど…。
あの受賞を機に、PETER同様にBILLが気に入って、
静岡から日程的に合った心斎橋クアトロまでLIVEを見に行ったこともありました。
こちらへはお初の、横浜の『莉緒』です。
ジョーさん、いつもお世話掛けてます~(平身低頭)。
新しい投稿を見たとたん、ドーンと『CHICAGO TRANSIT AUTHORITY』のジャケ!?
うゎ~懐かし過ぎ!!!これじゃ何か書かずにゃおられまい?(苦笑)
申し訳無くも“ひと桁”時代のファンといたしましては、これぞ錦の御旗☆
たかが中学生の小娘が出会ってしまった運命の一枚!!!
老婆心ながらこのアルバムの値打ちを申せば、ひとえに演奏とセンスの凄さ!!……それは、同時代のロック・アーティストどもが足下にも及ばぬ実にハイレベルなジャズ・ロックだったのですよ!
最近超々久々に聴き返して、衝撃すら覚えましたもの。1967~68年にして何てとんでもないバンドだったのだろう?……その後の変遷を思えば、このアルバムはテイスト自体が奇跡だったのかなァ?
すなわち『シカゴの軌跡』ならぬ『シカゴの奇跡』!?…なんちゃって(爆)。
あ?……ハイ、お後がよろしいようで…。
あの番組をご存知な方が、こんな身近におられたんですね。
といっても、このブログをご覧になられ、賛同されるような方は、Chicagoファンが殆どでしょうから、同年代の方なら、当時「FM週刊誌番組欄」でのChicago、Peter探しは、当たり前にされてたでしょうから、番組にも当然気がつかれてたでしょうね。後は印象や記憶に残っておられるかの違いで。。。
Billについては、Peter程でもないですが、大好きで、いつか記事を起こそうと思っていましたた。
私が就職した後で金銭的な余裕ができていた頃の1990年代には、彼のソロ活動が活発でしたから、音源を追いかけCDは全て購入してましたね。Peterが抜けてからもChicagoを追いかけていたは彼がいたから。。。だから、今の私には、彼も抜けたChicagoには思いが弱まっており、Jasonの歌声だけが頼りです。更にもし彼までも抜けてしまったら、もう聞きそうにないぐらいです。さて、Billを追っていた当時は、広島の山奥にいた頃。東京音楽祭での登場の事実も知らず、映像も生では見れてませんでしたが、10年以上後である最近youtubeで入手しました。検索してみたら、以下にまだあったのでリンクしておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=lBchN3WxHQ0
「No Wasted Moment」!この曲は、歌詞も大好きですし、キーボードの前奏メロディラインがたまらない曲です。
BILLについては、また記事を起こすのでその時に。。。
新聞や週間FMでしか番組をチェックできなかった当時、私は「聞きもらすまい」と必至で毎日、番組をすみからすみまで目を凝らしてみたものです。
その結果、なんと「シカゴ」という文字に目が反応して、チェック欄を開いたとたん、その文字が大きくこちらに向かって浮かび上がって見えるようになってしまいました。すごいと思いませんか!! (皆さんのあきれた顔が目にみえるようです。
というのは余談ですが、その頃は私は3人の子育て真っ最中で、夜中に起きることなどとても無理、、やむなくあきらめたのでした。
私のシカゴの原点は、やはりこの「長い夜」かもしれません。この曲を25or6to4の時刻に聴きながら、「ああ、ロバートラムさんは、こんな時間にあの曲を作ったんだなあ」などと思いながら、夢の国アメリカに思いをはせたものでした。
初期のシカゴはどうも、、、と思う方、またあの頃のシカゴが好き!という方、 いろいろでしょうが、私は、Terry Kath の音楽がかなり関係しているように思います。 彼のギターがよいのです。ちょっと荒削りの哀愁のあるソロは彼ならではのものではないでしょうか。。
もうひとつ、お騒がせな余談ですが、Bill Champlinが東京音楽祭に参加した事があるのをご存知ですか?
1990年頃または92、3年頃のある夜、台所にいると子供が走ってきて「まま、ビルチャンプリンっていう人がテレビに出てるよ。」というのですが、私は「まさかああ。。」と家事を続けていたら「ほんとだよ。シカゴのビルチャンプリンて言ったもん」といわれ、大慌てで、テレビの前に走りこみました。そこには、なつかしいビルの姿が。。。 グランプリは逃したものの、たしか金賞をとったと思います。とても良い曲を歌っていたように思いました。
脱線だらけのコメント