ねこのひたい

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私家版八重姫伝説

2012年08月27日 | いろいろ

NHK大河ドラマ「平清盛」。

今頼朝は伊豆に流され中です。

 

小学生の時

「伊豆の昔話を調べましょう♪」

ってことで学んだ「八重姫伝説」。

大河ドラマの中では

オリンピックをはさんで登場です。

 

ただ、小学生の時に勉強したことなので

なんだか脳内でかなりアレンジされる気が・・・

そこでちょっと調べたり、記憶違いを訂正してみました。

「私家版」って感じでよろしく。

 

まずは主な登場人物。

*源頼朝

*伊東祐親

*八重姫(祐親の娘)

*千鶴丸(頼朝と八重姫の子)

*北条政子(後の頼朝の正妻)

 

地理の確認

 

伊東祐親はその名が示す通り現在の伊東市が領地。

一方頼朝は「蛭ヶ小島」に流されていたと言われている。

この「蛭ヶ小島」、江戸時代の人が「この辺だろう」と決めた場所で

ここに頼朝が住んでいたって確証は全くない。

 

頼朝と八重姫が

恋をするにはちょっと遠すぎ?

車でも1時間くらいかかるしね。

そんな疑問を感じつつ、お話スタート。

 

平治の乱に破れた源氏の嫡男頼朝は

伊豆の蛭ヶ小島に流刑になる。

その後頼朝は一時期、伊東祐親の庇護の下にあり

祐親の領内に住んでいた。

 

なるほどね。

頼朝と八重姫の恋のスタートの謎はいとも簡単に解決。

頼朝は「流刑」と言ってもおうちに引きこもっていた訳ではないようだし。

 

祐親が京都へでかけてる間恋仲になり

子どもをなした頼朝と八重姫。

帰郷した祐親は清盛を恐れ、

「流人の子」千鶴丸を川に投げ捨てて殺してしまう。

 

ドラマでは千鶴丸は祐親が庭で殺しちゃうんだけどね。

そもそもあれは誰の家の庭なんだろう・・・

 

八重姫は他の男に嫁がされ、

頼朝は元々の配流の地蛭ヶ小島近くの北条時政の家に身を寄せる。

 

ここから話は北条時政の屋敷があったとされる守山周辺へ。

上の地図のBのやや下辺り。

 

頼朝が忘れられない八重姫は、侍女らとともに山を越え頼朝に会いにくる。

 

 

途中山を越えるので、歩くと結構かかると思う。

やっとたどりついた辺はこんな感じ↓

守山は30分くらいで登れるいわゆる低山。

 これは現在もある「北条政子産湯の井戸」碑。↑の地図辺り

東急の五島慶太が建てたとのこと。

昔はこの辺り一帯、東急の所有地だったらしい。

 

↑の「北条政子産湯の井戸」の碑の右手。

今は空き地になってる辺りに北条時政の屋敷があったとか。

写真奥に井戸がある。

ただし本当に政子の産湯の井戸かどうかははなはだ疑問。

 

頼朝と時政の娘政子ができちゃってることを知った八重姫大ショック。

伊東の父の元にはもう帰れないし・・・

心折れて真珠ヶ淵に飛び込み自ら命を絶つ。

 

八重姫が身を投げたと言われる真珠ヶ淵そばの真珠院(↑の地図

門前にある立て札には「八重姫入水の地」とある。

今の真珠院の隣には古川と言う狩野川の支流が流れてる。

でも普段は飛び込んでも全然大丈夫そうな水深。(↑の地図

 

狩野川と古川の合流地点。(↑の地図

今でこそ治水に成功してる狩野川だけど、

その昔は田方平野を好き放題に流れていた模様。

八重姫が飛び込んだ辺りも今とは全然違う流れだったとのこと。

ちなみに「池に飛び込んだ」説もある。

 

地図付近でショックした八重姫は

守山のふもとをぐるっと回って地図付近の川岸に出て

そこで発作的に身を投げてしまったんでしょう。

 

八重姫と一緒に山を越えてきた侍女たちも

伊東に戻る山中にて集団自殺。

里の人が供養のため碑をたてその地を「女塚」と呼んだ。

 

私が学んだ八重姫伝説はここでおしまい。

「女塚」は今は公園になってる。

公園ができたのはわりと近年。

田方平野が見下ろせる最後の辺り。

 

元々この八重姫伝説は「曽我物語」のみに見られる話だそう。

史実かどうかは全くわからないみたいです。

私が知っている話は真珠院前の看板の話とだいたい一緒。

ただ思い違いなんかもありました。

千鶴丸が投げ捨てられたのは伊東の川らしいんだけど

私は狩野川の稚児ヶ淵ってとこだと思い込んでたり・・・

 

曽我物語に端を発する八重姫伝説。

この話が古来から脈々と地元に伝わったきたのか

それとも近年になって知られることになったのかもわかんないです。

 

そして小学校の授業では、

児童の誰かがおうちの人に聞いて発表したのか

それとも先生が教えてくれたのかもさっぱりわからない。

それでも時を経ても私の記憶の中に留まりました。

 

更に言っちゃうと、地元の人には必須の昔話なんだけど

地元の人以外にはそれほど知られてなくって

もしかしたらドラマを機に

「千鶴丸は庭で殺された」

って伝承されたりするのかもね。

 

ま、伝説ってそんなもんかも。

それにしても頼朝・・・

八重姫、政子とも、父親が留守中に娘に手を出しちゃって・・・

 

 

★おまけ★

守山周辺を訪れるには遺跡巡り用市営駐車場が便利。

ここに出てきた真珠院、北条政子産湯の井戸のほか

頼朝挙兵の地とされる「守山八幡宮」や

源頼朝の奥州攻めの成功を祈って建立された「願成就院」など

歩いて回れます。

 

 

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4 コメント

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Unknown (ぽぽんがぽんきち)
2012-08-28 10:24:38
八重姫伝説は知らなかった。
私の小学校の「地元の昔話」学習の記憶は「かりがね堤」の歴史と「富士川の戦い」。
「かりがね堤」は大昔、富士川は現在の田子の浦港の方に向かって流れていたのを代官の古郡家が3代かけて堤防を作って今の富士川の流れに変えて、田んぼを作った。何度作っても堤防が流されるので、人柱を建てた。っていう話だった。
「富士川の戦い」は源氏VS平家の戦いで、水鳥が飛び立つ羽音に驚いた平家軍が勝手に逃げた、みたいな話だったなぁ。こっちの話はきっと八重姫伝説と同じ時代だね。
あと、「曽我物語」。これは最後は富士宮の話かな?
やっぱり子どもの頃に聞いた記憶と、富士宮には「曽我漬」っていう漬物があって、よく母が買ってきていた記憶があるよ。

それにしても、頼朝ったら(笑)
返信する
Unknown (chabonosuke)
2012-08-28 22:13:11
ふぅ~ん、ぽんきちさんの習った「かりがね堤」は初めて聞いたよ。

でも狩野川に橋をかけてもかけても流されちゃうので
旅のお坊さんを人柱にして流されなくなった。
けど、その橋からは恨みの声が聞こえるってのはやった。

元は案外同じ話かもね・・・
それとも人柱って昔はよくやったのかな?
こわ~い・・・


ここで書いた話だとあんまりわかんないけど、
かわいそうな八重姫ってニュアンスの話なんだよ。

「頼朝、悪い男!!」
って子ども心に思ったものだよ。
返信する
お疲れ様です! (tata)
2012-08-30 20:17:36
わ~、あの話の詳しい解説を私のために(←違うか)ありがとう(笑)
名所案内も力作だね。ガイドさんみたい♪
もったいないのでみんなに見てもらいたいよ。
私のブログにリンク貼ってもいいかなぁ~。
返信する
Unknown (chabonosuke)
2012-08-30 21:17:07
>tataさん
ふふ、夏休みの自由研究みたいな感じでしょ?
仕事でも活用できるかも・・・って下心もあるんだけどね。


今回のこれで、伊東の人の八重姫と、頼朝がなんで恋人同士だったのか
積年の謎が今回解けたよ♪

だから、デートしてた神社は伊東の神社なんだね。

この話のお陰で、私の中の頼朝は「人でなし」だったんだ。
先週は目の下にクマできちゃって魂抜けたね。
そっか、頼朝もショック受けるとか思いもつかなかったよ。

でも来週政子が出るから、八重姫が本格的にかわいそうなのはこれから?
てことは、これネタバレ?

ブログのリンクは「こんなのでよければ・・・」です♪
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