仕事終わりに、スマホ観たら蜷川さん訃報の知らせにびっくりしました…。
最近、体調があまり良くなさそうだったので心配してたんです。
でも、8月に森田剛くん主演の舞台の演出をされると聞いて、少し良くなって来てるのかなぁ…久々に蜷川さんの舞台観れるなぁと希望を持っていただけに、とても残念でなりません。
それこそ、嵐にはまるまでは舞台が大好きで、蜷川さんは一番好きな演出家だったので、沢山の舞台を観ました。
主に藤原くんの舞台を観ることが多かったかと。
あとは、歌舞伎のNINAGAWA十二夜なんて、好きすぎて何度も歌舞伎座に通った思い出があります。
難解な作品も多かったけど、蜷川さんの舞台を見終わったあとの強烈な余韻だったり、わからないことをわかろうとする作業も楽しかったし、洗練された美しさを放つ舞台セットも大好きでした。
蜷川さんは世界的にも有名な演出家であると同時に、ジャニーズのメンバーの実力を認め、沢山起用してくれた方。
嵐ではにのちゃんが映画を、潤君が白夜のワルキューレ、あゝ、荒野を演出してもらってました。
あゝ、高野はありがたいことに見に行けましたが、潤君の新たな俳優としての顔が観れた素晴らしい作品でした。
嵐さんだけでなく、蜷川さんに出会って、俳優としての道が切り開けた、人生の転機となった、ジャニーズは沢山いるかと思います。
厳しくありながらも俳優1人1人に愛情を注ぎ、若手を育ててくれた蜷川さん。
演劇ファンとしても、ジャニヲタとしても、数々の素晴らしい作品を見せていただき、本当にありがとうございました。
感謝してもしきれないです。
最近は忙しくて、あまり舞台を観れておらず、調べてみたら、蜷川舞台は三年前の剛君主演の「祈りと怪物」が最後でした。
こんなことになるなら、もっともっと蜷川さんの作品を観ておけばよかった…と後悔してももう遅いのですね(;_;)
蜷川さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
Bunkamuraのサイトより。
シアターコクーン8月公演「ビニールの城」(作:唐十郎)につきましては
追悼の意を込めて"蜷川幸雄監修"公演として上演する予定でおります。
とのことです。
◆ジャニー喜多川氏、少年隊ら蜷川幸雄さん追悼 木村拓哉「悔しい」
(オリコン )
日本を代表する演出家の蜷川幸雄さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため死去した。80歳だった。訃報を受けジャニー喜多川氏が「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずにさよならなんてずるいよ」と追悼のコメントを発表した。
そのほか、錦織一清、東山紀之、植草克秀、岡本健一、木村拓哉、坂本昌行、長野博、森田剛、岡田准一、二宮和也、松本潤、生田斗真、亀梨和也、上田竜也もそれぞれの言葉で蜷川さんを悼んだ。
コメントは以下のとおり。
■錦織一清
「少年隊の舞台でお世話になりました。はじめは怖い人だと聞いていましたが、いざ演出を受けてみると、とても優しく愛情に溢れた方だったということが印象に残っています。ご冥福をお祈りします」
■東山紀之
「蜷川さんと会う度に『またやろうな。』と言ってくださいました。その言葉が嬉しかったです。またご一緒したかったです。まだまだ勉強したかったです。蜷川さん、寂しいです」
■植草克秀
「蜷川さんとは、最近お会いする機会がなかなかありませんでしたが、体調が良くないとはお聞きしていました。まさか訃報を受け取ることになるとは思っていなかったので、とても驚いております。蜷川さんとは、演出家としてPLAYZONE’90 MASKでの劇中劇『ハムレット』、ドラマ監督としての『風ものがたり』などで演出、ご指導いただきました。とても指導に熱心な方で、すぐ怒る怖いイメージの強い蜷川さんであると思いますが、自分もご一緒した際には、『今日は怒らないから』と言われながらも、スタートが掛かった途端に間髪入れずに『バカヤロー!』と怒られた思い出が強く残っています。すぐ、怒る反面、とても愛情持ってスタッフ、役者に接する他にはいないような演出家、指導者であったと思います。また蜷川作品に参加させていただけたらと思っていましたが、それも叶わぬこととなってしまいました。残念でしかたありません。ご冥福をお祈りいたします」
■岡本健一
「私の演劇人生は1989年19歳の春、蜷川さん演出『唐版 滝の白糸』でのオープニングにピンクフロイドのデヴィット・ギルモアが弾く、魂が叫んだギターの音から始まりました。蜷川さんは初舞台の私に『演劇は麻薬だ!取り憑かれるぞ!』と言っていました。毎回、稽古場では作品に対して、日本も世界も無く、宇宙レベルで、魂の底から湧き出るエネルギーを求めていました。まだ足りない、まだまだ足りないと、叫び続けていました。毎日革命を起こしていました。蜷川さんに会ってから、私は演劇に取り憑かれています。舞台に立ち続けています。蜷川さんは、今も確実に別の世界から舞台を創り続け、叫び続けている事でしょう。ありがとうございました」
■木村拓哉
「驚きと同時に物凄く悔しいです。自分が今あるのも、当時右も左も分からなかった自分に『人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ』を教えて頂けたからだと思います。少し前に『俺はポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言って貰ったことが、今頭から離れません」
■坂本昌行
「驚きと残念な気持ちでいっぱいです。『また、いつか一緒にやろう!』と言ってくださった言葉が今も心に残っています。走り続けた蜷川さん、ゆっくりとお休みください。謹んでお悔やみ申し上げます」
■長野博
「デビュー前の93年『魔女の宅急便』の初演から、デビュー後もお仕事をさせていただきましたが、パワフルで大きな声で怒鳴り、叱ってくださり、舞台に立つ上で大切な事を教えていただきました。その後、現場でたまにお会いすると笑顔で話しかけて下さったりして、また御一緒したいなと思っておりました。蜷川さんの訃報を聞き未だ信じられず、寂しい気持ちで一杯です。謹んでお悔やみを申し上げます」
■森田剛
「『血は立ったまま眠っている』で、初めて御一緒させてもらった時、『やっと会えたね』と、優しく握手してくれました。舞台の初日前には、『他の人に何を言われても、俺が責任をとってやる』と言ってくれました。だから舞台に立つ事が怖くなかったですし、この人の為にやりたいと思いました。『馬鹿野郎、変態』と言われながら、たくさんの愛情をいただきました。もう一回会いたかった。謹んでお悔やみを申し上げます」
■岡田准一
「残念でなりません。『エレクトラ』で御一緒させていただきましたが、若い自分に、『枠にはまるな、壊せ壊せ、自分はなんだってチャレンジした』と導いて下さった方でした。御自身も最後までいつまで演出できるかチャレンジし、たくさんの役者さんと接し、まさに導く方だったのだろうなと思います。メンバーの森田くんの舞台も楽しみにしていたのですが残念です。イタズラ顔で褒めてくれたり、闇を突いたりしてくれた蜷川さんが忘れられません。謹んでお悔やみを申し上げます」
■二宮和也
「今回の訃報を聞き、驚きました。本当に強い、熱い、情熱を持っているお方でお芝居というものを教えてもらいました。本当にお疲れ様でした」
■松本潤
「なんだか、胸に大きな穴があいてしまったようです。訃報を聞き、蜷川さんに言って頂いた言葉を思い返しています。もっと言って欲しかったです。もっと蜷川さんの作品が観たかったです。これから先、芝居をしている時にきっと思い出すでしょう。蜷川さんに言われた熱い言葉を。素晴らしい演出家であり、素敵な人間である蜷川さんと一緒の時間を過ごせた事が幸せです。蜷川さん、ありがとうございました」
■生田斗真
「ミシマダブルという作品で演出をしていただきました。僕たち俳優が評価される事を、誰よりも嬉しそうに喜んで下さる方でした。蜷川さんに鬼のように怒られた事、ありったけの愛情で褒めていただいた事、その全てが僕の財産です。生涯忘れません」
■亀梨和也
「蜷川さんとは、昨年の夏に本当に特別な時間を過ごさせて頂きました。車椅子姿の蜷川さんは、とても力強く、そこから沢山の感性、感覚を学ぶことができ、自分は、本当に幸せでした。蜷川さんと出会い、お仕事させて頂けたことを忘れず、しっかりと自分の中で育んでいきたいと思います。ご冥福をお祈りいたします」
■上田竜也
「誰からも愛されている蜷川さんに熱く、厳しく、ご指導頂けたことを誇りに思います。成長した自分をまたご一緒した時に見てもらいたいと思っていたのでとても悲しいです。どうか、安らかにお眠りください」
最近、体調があまり良くなさそうだったので心配してたんです。
でも、8月に森田剛くん主演の舞台の演出をされると聞いて、少し良くなって来てるのかなぁ…久々に蜷川さんの舞台観れるなぁと希望を持っていただけに、とても残念でなりません。
それこそ、嵐にはまるまでは舞台が大好きで、蜷川さんは一番好きな演出家だったので、沢山の舞台を観ました。
主に藤原くんの舞台を観ることが多かったかと。
あとは、歌舞伎のNINAGAWA十二夜なんて、好きすぎて何度も歌舞伎座に通った思い出があります。
難解な作品も多かったけど、蜷川さんの舞台を見終わったあとの強烈な余韻だったり、わからないことをわかろうとする作業も楽しかったし、洗練された美しさを放つ舞台セットも大好きでした。
蜷川さんは世界的にも有名な演出家であると同時に、ジャニーズのメンバーの実力を認め、沢山起用してくれた方。
嵐ではにのちゃんが映画を、潤君が白夜のワルキューレ、あゝ、荒野を演出してもらってました。
あゝ、高野はありがたいことに見に行けましたが、潤君の新たな俳優としての顔が観れた素晴らしい作品でした。
嵐さんだけでなく、蜷川さんに出会って、俳優としての道が切り開けた、人生の転機となった、ジャニーズは沢山いるかと思います。
厳しくありながらも俳優1人1人に愛情を注ぎ、若手を育ててくれた蜷川さん。
演劇ファンとしても、ジャニヲタとしても、数々の素晴らしい作品を見せていただき、本当にありがとうございました。
感謝してもしきれないです。
最近は忙しくて、あまり舞台を観れておらず、調べてみたら、蜷川舞台は三年前の剛君主演の「祈りと怪物」が最後でした。
こんなことになるなら、もっともっと蜷川さんの作品を観ておけばよかった…と後悔してももう遅いのですね(;_;)
蜷川さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
Bunkamuraのサイトより。
シアターコクーン8月公演「ビニールの城」(作:唐十郎)につきましては
追悼の意を込めて"蜷川幸雄監修"公演として上演する予定でおります。
とのことです。
◆ジャニー喜多川氏、少年隊ら蜷川幸雄さん追悼 木村拓哉「悔しい」
(オリコン )
日本を代表する演出家の蜷川幸雄さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため死去した。80歳だった。訃報を受けジャニー喜多川氏が「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずにさよならなんてずるいよ」と追悼のコメントを発表した。
そのほか、錦織一清、東山紀之、植草克秀、岡本健一、木村拓哉、坂本昌行、長野博、森田剛、岡田准一、二宮和也、松本潤、生田斗真、亀梨和也、上田竜也もそれぞれの言葉で蜷川さんを悼んだ。
コメントは以下のとおり。
■錦織一清
「少年隊の舞台でお世話になりました。はじめは怖い人だと聞いていましたが、いざ演出を受けてみると、とても優しく愛情に溢れた方だったということが印象に残っています。ご冥福をお祈りします」
■東山紀之
「蜷川さんと会う度に『またやろうな。』と言ってくださいました。その言葉が嬉しかったです。またご一緒したかったです。まだまだ勉強したかったです。蜷川さん、寂しいです」
■植草克秀
「蜷川さんとは、最近お会いする機会がなかなかありませんでしたが、体調が良くないとはお聞きしていました。まさか訃報を受け取ることになるとは思っていなかったので、とても驚いております。蜷川さんとは、演出家としてPLAYZONE’90 MASKでの劇中劇『ハムレット』、ドラマ監督としての『風ものがたり』などで演出、ご指導いただきました。とても指導に熱心な方で、すぐ怒る怖いイメージの強い蜷川さんであると思いますが、自分もご一緒した際には、『今日は怒らないから』と言われながらも、スタートが掛かった途端に間髪入れずに『バカヤロー!』と怒られた思い出が強く残っています。すぐ、怒る反面、とても愛情持ってスタッフ、役者に接する他にはいないような演出家、指導者であったと思います。また蜷川作品に参加させていただけたらと思っていましたが、それも叶わぬこととなってしまいました。残念でしかたありません。ご冥福をお祈りいたします」
■岡本健一
「私の演劇人生は1989年19歳の春、蜷川さん演出『唐版 滝の白糸』でのオープニングにピンクフロイドのデヴィット・ギルモアが弾く、魂が叫んだギターの音から始まりました。蜷川さんは初舞台の私に『演劇は麻薬だ!取り憑かれるぞ!』と言っていました。毎回、稽古場では作品に対して、日本も世界も無く、宇宙レベルで、魂の底から湧き出るエネルギーを求めていました。まだ足りない、まだまだ足りないと、叫び続けていました。毎日革命を起こしていました。蜷川さんに会ってから、私は演劇に取り憑かれています。舞台に立ち続けています。蜷川さんは、今も確実に別の世界から舞台を創り続け、叫び続けている事でしょう。ありがとうございました」
■木村拓哉
「驚きと同時に物凄く悔しいです。自分が今あるのも、当時右も左も分からなかった自分に『人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ』を教えて頂けたからだと思います。少し前に『俺はポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言って貰ったことが、今頭から離れません」
■坂本昌行
「驚きと残念な気持ちでいっぱいです。『また、いつか一緒にやろう!』と言ってくださった言葉が今も心に残っています。走り続けた蜷川さん、ゆっくりとお休みください。謹んでお悔やみ申し上げます」
■長野博
「デビュー前の93年『魔女の宅急便』の初演から、デビュー後もお仕事をさせていただきましたが、パワフルで大きな声で怒鳴り、叱ってくださり、舞台に立つ上で大切な事を教えていただきました。その後、現場でたまにお会いすると笑顔で話しかけて下さったりして、また御一緒したいなと思っておりました。蜷川さんの訃報を聞き未だ信じられず、寂しい気持ちで一杯です。謹んでお悔やみを申し上げます」
■森田剛
「『血は立ったまま眠っている』で、初めて御一緒させてもらった時、『やっと会えたね』と、優しく握手してくれました。舞台の初日前には、『他の人に何を言われても、俺が責任をとってやる』と言ってくれました。だから舞台に立つ事が怖くなかったですし、この人の為にやりたいと思いました。『馬鹿野郎、変態』と言われながら、たくさんの愛情をいただきました。もう一回会いたかった。謹んでお悔やみを申し上げます」
■岡田准一
「残念でなりません。『エレクトラ』で御一緒させていただきましたが、若い自分に、『枠にはまるな、壊せ壊せ、自分はなんだってチャレンジした』と導いて下さった方でした。御自身も最後までいつまで演出できるかチャレンジし、たくさんの役者さんと接し、まさに導く方だったのだろうなと思います。メンバーの森田くんの舞台も楽しみにしていたのですが残念です。イタズラ顔で褒めてくれたり、闇を突いたりしてくれた蜷川さんが忘れられません。謹んでお悔やみを申し上げます」
■二宮和也
「今回の訃報を聞き、驚きました。本当に強い、熱い、情熱を持っているお方でお芝居というものを教えてもらいました。本当にお疲れ様でした」
■松本潤
「なんだか、胸に大きな穴があいてしまったようです。訃報を聞き、蜷川さんに言って頂いた言葉を思い返しています。もっと言って欲しかったです。もっと蜷川さんの作品が観たかったです。これから先、芝居をしている時にきっと思い出すでしょう。蜷川さんに言われた熱い言葉を。素晴らしい演出家であり、素敵な人間である蜷川さんと一緒の時間を過ごせた事が幸せです。蜷川さん、ありがとうございました」
■生田斗真
「ミシマダブルという作品で演出をしていただきました。僕たち俳優が評価される事を、誰よりも嬉しそうに喜んで下さる方でした。蜷川さんに鬼のように怒られた事、ありったけの愛情で褒めていただいた事、その全てが僕の財産です。生涯忘れません」
■亀梨和也
「蜷川さんとは、昨年の夏に本当に特別な時間を過ごさせて頂きました。車椅子姿の蜷川さんは、とても力強く、そこから沢山の感性、感覚を学ぶことができ、自分は、本当に幸せでした。蜷川さんと出会い、お仕事させて頂けたことを忘れず、しっかりと自分の中で育んでいきたいと思います。ご冥福をお祈りいたします」
■上田竜也
「誰からも愛されている蜷川さんに熱く、厳しく、ご指導頂けたことを誇りに思います。成長した自分をまたご一緒した時に見てもらいたいと思っていたのでとても悲しいです。どうか、安らかにお眠りください」