最近、妹に言われたことを
よく考えることがある。
それは、大体、碧音には記憶に
ないことばかりだ。
以前の記事でも書いたように、
長期入院した妹との関係は希薄。
妹から言われたのは、昔、
遊びに行こうとする碧音に
ついていこうとする妹に
ついてこないで!!
と怒られたらしい。
最近、妹の性格で思うことがある。
妹は、昔から、両親に何でも
話してしまうのだ。
子供だから当然と言えば当然だ。
だが、碧音は親に話しかけても、
全く相手にされてなかった。
その証拠に言葉を覚えるのが、
とても遅かった。
また、イヤイヤ期もなかったと
母親から言われたことがある。
あくまでも推測だが、その時点で、
自分の主張をしても無視された、
または、脅されたり、不安や恐怖を
感じるような暴力、面前DVにより
自己主張ができない環境で育った
可能性が高いのだ。
そう考えると、子供ではあるが、
1から10まで話すことはなかった
可能性があり、親に何も話さない
というのが、碧音の普通だった
かもしれない。
そこに妹が生まれた。
言葉を覚えると1から10まで
全て話してしまう。
当然、話してほしくないこと
まで話してしまうだろう。
碧音にとって、妹は両親から送られた
スパイのような存在だったとも
考えられるのだ。
(ちなみに、この傾向は大人の
今でも健在で、正直、妹との
付き合いは必要最低限にしている)
なので、碧音からしたら…
(親のスパイは)ついてくるな!!
ということだったのかもしれない。
あとは、相性の問題もあっただろう。
妹は両親と相性が良かったが、
碧音は最悪だった。
両親は、妹が褒められるのは良しと
するが、碧音が褒められると調子に乗る、
または、甘やかされたと考えて暴言や
何もできない子供として卑下した。
たぶん、何でも、碧音のことを話す
妹は、両親にとって大事な情報源
だったのかもしれない。
だから、妹は重宝がられた。
でも、両親を全く信頼してない
碧音は完全に秘密主義で、両親を
全く頼りもしない可愛げのない子
という扱いだった。
だから、長期入院した妹のために、
毎日、付き添いもした。
子供だったからやってたのかも
しれない。
碧音が大人になってから手術で
入院したときは、術前説明も
来ない、術後に一度お見舞いに
来ただけで様態を聞くこと
すらなかった。
こんな人たちを碧音は【家族】
として扱っていたのだ。
自分でも馬鹿だと思うが、当時は、
それが当たり前だと考えていた。
今の碧音にとって、彼らは、
ただの【血縁者】であって【家族】
ではない。
碧音の関わる他人より遠い血縁者
という位置づけである。
碧音にとって、これが家族という
名の血縁者と関わるスタンスと
距離感なのだろう。
それは、当事者が決めることで
あって、他人がとやかく言うこと
ではないと考えている。
去年の2月に雨漏りが始まった。
ちょうど、性被害のニュースで
メンタルが落ちていた頃のことだ。
リフォーム業者選びに時間がかかり、
保険の申請も不安から、なかなか、
できずにいた。
屋根の修繕、そして、天井の
壁紙を張り替えてもらった。
綺麗になった天井を見て思った。
父親の家から…
やっと、自分の家になった
天井の壁紙を碧音の好きな
色に変えた。
たったそれだけだ。
でも、碧音にとって大きな意味がある。
父親が他界して10年。
天井の壁紙の色選びを始めてから、
【自分の家】に変える意識が芽生えた。
今まで、この家は【家族の家】では
なく【父親の家】だった。
家というのは【家族全員の家】
ではないだろうか?
雨風や暑さや寒さ、そういうもの
から住人を守るのが【家】という
箱である。
父親が購入したとはいえ、それは、
家族のためではないだろうか。
碧音は、そんな風に考えている。
だが、父親は違った。
父親にとって、家は、ただ、社会に
認められるためのツールでしかなく、
家族のことなど眼中になかった。
家を建ててることを知らされたのは、
突然、現場に連れて来られた時だ。
事前に話は聞いていない。
家族が住む家の家具や子供部屋の
机やいすは、全て父親が勝手に
用意したもの、家具は両親のお古。
家族の要望を聞くことすらなかった。
まだ、センスがあるならいい。
絶望的な色彩感覚のない家。
カーテンなどの色のセンスも
選んだインテリアも最悪。
壁紙も全て父親が決めた。
色の統一感もなく、費用を抑える
ためか、収納も少なく使いづらい。
そして、何かあるたびに父親の
言ってた言葉…
ここは俺の家だ
お前は口を出すな
そう言って、母親と妹で植えた
庭の芝生を剥がし、和風の庭に
作り変えてしまった。
亡くなるまでに、ろくな手入れも
せず、職人に植木の剪定をして
もらう費用も賄えず、完全に、
ジャングルと化していた。
父親の死後、一部の植木を伐採し、
リビングやダイニングが
明るくなった。
母親が手入れできないなら、
残さない方がいいと説得したが、
全く耳を貸さない。
施設に入って言った言葉。
処分したいなら
処分すればいい
無責任な母親らしい言葉だ。
父親に【ここは俺の家だ】という
言葉に縛られた碧音は、この庭に
出ると父親に怒鳴られそうな嫌な
感覚があり、庭の手入れどころか、
庭に出ることすらしなかった。
庭の手入れをするようになったのは、
母親が他界して1年後のことだ。
家のメンテナンスについても同じ。
ここに越してきてから、この家を
【自分の家】と感じたことはない。
仮住まいをさせられている
ような居心地の悪さしか
感じたことはないのだ。
だから、自分の部屋の天井の壁紙を
変えるということは、碧音にとって、
大きな意味があった。
自分の好きな色の壁紙を選び、
張り替えることで父親の家から
自分の家に変わり始めた。
この家は、住人を守り続けた。
でも、住人の誰からも顧みて
もらえていない家で、あちこちが、
傷だらけだ。
そのことに気付いた時…
まるで、碧音の心のようだ
可哀想に…
気遣ってあげられなくて
ごめんね
そうつぶやいたことを
今でもよく覚えている。
碧音の心を癒すように、この家も
癒すことができるだろうか?
好きな色の天井を見ながら、
何となく、こんなことを考えた。
自分の家にするのは、まだまだ、
時間がかかりそうだ。
父親のことは、ほとんど思い出す
ことはなくなった。
母親が他界後、遺影を破り捨て、
位牌も粉々に砕いてゴミに出した。
死んだ後まで、虐待親の顔なんて
見たくない。
たまに、父親の友人関係が、
父親の言動や行動に影響を与えてた
と感じることが多くなった。
いつも、飲みに行ってる飲み屋の
夫婦や一番の親友という人の
行動が最悪だった。
まず、飲み屋の女将は家族で新聞の
営業所と牛乳配達もやっていた。
毎月、うちに集金に来ていたが、
昼前にやってきては、うちに
上がり込み、昼食を母親にねだる。
長いときは、昼前に来て3時くらい
まで居座ることもあった。
夫婦で飲み屋をやっていたが、
彼女の夫は前歯がなかった。
所謂、【クレクレ家族】。
話の内容も下品。
娘の話を、たまたま、耳にした時、
食事も子供のことを考えて作って
いなかったようだった。
父親が、この家族の在り方を
参考にしていたと考えると、
腑に落ちることが多い。
高校進学の頃、中学を卒業
したら働けと言われた。
私にはやりたい仕事があり、
高校に行かない選択はなかった。
当時、父親が言っていたのは、
学歴があっても、女は結婚相手が
蕎麦屋の後継ぎに嫁いだら意味がない、
だから、中卒で働けと言われた。
恐らく、飲み屋の夫婦と話したことを
真に受けたのだろう。
子供の人生を、一体、何だと
思っているんだ!!と、
言いたくなった。
もう一人の親友だと言ってた趣味友。
建設関係の自営業者で、かなり、
羽振りはいい人だったらしい。
だが、不倫に依存する人だった。
父親が自慢げに話をしていた。
元奥さんとの間に男の子がいた
にも関わらず、中国人女性との間に
子供ができた。
それを理由に離婚した。
再婚後も不倫がやめられ
なかったのだろう。
夜中の2時ごろ、奥さんから、
よく電話がかかってきていた。
不倫のアリバイ作りに、
うちの家族が利用された。
家族に対して無責任な男性だ。
それを父親は見習ったのだ。
それまで以上に、家族を顧みなく
なっていった。
家族のことを考えてなかった
証拠として、父親の他界後、
保険は全て解約されており、
母親のための対策は、何も
されてなかった。
母親を自宅に閉じ込め、経済DVを
した挙句のこの状況に呆れた。
父親の友人関係を見てると、
やはり、付き合う相手は、きちんと
選ばなければならないと思える。
正直、人間性を全く尊敬
できない人たちだ。
父親は、一国一城の主になる
ことにこだわっていた。
だから、自営業者の彼らを
ロールモデルにし、彼らの
家族への扱いまで見習った。
正直、バカとしか思えない。
尊敬したいと思えるところが
全くない父親だった。
虐待されて育った碧音。
今は、だいぶ、マシになって
きたものの、昔は、自己否定の
嵐だった。
ひどいときは、周囲に不幸に
なる人がいると…
自分は周りを不幸にする
疫病神なんだ
と考えていた。
でも、普通に考えても、碧音が
原因で不幸になったのではない。
その人自身に問題があるから、
不幸になったのだ。
直接、碧音が関わったわけでもない。
なのに、全て碧音が悪いと考えた。
今では、だいぶ、その考えをしない
ようになってきたように思う。
今年は、複雑性PTSDについて、
色々学んできた1年だった。
学ぶことで、自分の考えが、どう
歪んでいるのかを理解するように
なってきた。
母親の口癖は…
お前のせいで不幸だ
お前が幸せになるのは
絶対許さない
自分の不幸な理由を全て碧音の
せいにし続けてきた。
親として成長しようとしない母。
不幸の原因は、母親自身の
間違った選択の結果である。
決して、子供のせいではない。
でも、子供は親の言葉の裏の
意味まで理解できない。
全て肯定的に受け取ってしまう。
先程の母親の言葉を碧音は、
そのままの意味として受け取った。
だから…
自分は不幸でなければならない
周りの不幸は、全て自分のせいだ
何十年も、そう思い込んでいた。
そして、毎日、毎日、自責を繰り返す。
ただでさえ、心が傷ついて血だらけだ。
そこに自責という心のリスカも加わる。
自分で傷ついた心に刃を向けているのだ。
こんなことして、自分を大事に
できるわけがない。
大事にすべき自分が傷つけてるのだから。
自分が軽く扱ってるのだから、他人に
軽く扱われても当然と考える。
自分を大事にしたいなら、
この自責をやめないといけない。
軽く扱う相手に優しくしなくていい。
相手の失敗を自分のせいにしない。
自分と相手の境界線を引く。
こんな小さなことから始めよう。
先日、食事中に奥歯の被せ物が
外れてしまい、急遽、歯医者に行った。
初めての歯医者だったため、
レントゲンを撮ってもらう。
ぼんやりと、レントゲン写真を
見ていたら、ふと、あることに
気付く。
奥歯のほとんどが治療してある。
以前、カウンセラーに、昔、
虫歯が多くなかったか聞かれた
ことがあった。
その時は、奥歯が被せ物だらけ
ということに考えが及ばず、
そんなに多くないと答えた。
一応、治療済みだし、そんなに
大したことではないと考えた。
でも、レントゲンを見て思った。
奥歯のほとんどが治療されてる。
どういうことだ???
そんなことを考えていたら、ふと、
子供の頃のことを思い出した。
奥歯に大きな虫歯ができて痛みも
あるのに、母親に、なんて言うか
迷ってたことを思い出した。
かなり、おぼろげな光景だが、
奥歯を指で突っついて痛みを
確認し、小さい鏡で奥歯の状態を
確認していた。
たぶん、9歳か10歳くらいの
頃の話だ。
それは、以前、書いた妹の入院中の
事だったように思う。
ネグレクトの延長線で歯が
痛くても両親に虫歯がある
ことを相談できなかった
ということだ。
当時、両親は、食事中、何も
話すことはなく、碧音に学校の
様子を聞くこともなかった。
しかも、暗い雰囲気の中での
食事で虫歯の相談をできる
空気でもなかった。
歯の痛みがあっても訴える
ことができず、放置した結果、
虫歯がひどくなっていったのだ。
でも、碧音の中では、治療された
歯を見て、放置されていたとは
全く思っていなかった。
恐らく、碧音自身、認めたく
なかったのだろう。
自分が両親から全く気にかけて
もらえてなかったことを…。
だから、カウンセラーに虫歯の
ことを聞かれても思い出せなかった。
気にかけて貰えてなかったことを
認めたくないあまりに、自分は、
記憶を改ざんしていたのだ。
あまりのショックに先生の
説明が全く頭に入ってこない碧音。
とりあえず、被せ物がないと
食事ができないので、何とか、
治療してもらった。
だが、衝撃的過ぎたのか、
治療中、眠気がすごかった。
これは、一種の現実逃避。
それでも向き合わねばならない。
そうでなければ、前に進むことが
できないからである。
私は、ぬるま湯に浸かって傷の
舐め合いはしたくない。
熱かろうが、冷たかろうが、
私は前に進みたいのだ。
これが、碧音という人間だ。