悲しみの城からの脱出

親からの呪縛から自分を解放するためのブログ

誕生日への誤学習 ー 棺桶が近づく日 ー

2025-02-25 15:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

誕生日というとお祝いの

イメージを持つ人が多いだろう。

だが、碧音は違う。

 

棺桶に入るのが近づいた日

 

これが誕生日へのイメージだ。

なぜ、こんなイメージになったのか。

それは、母親から誕生日プレゼントが

ない理由を聞いたときの話が原因だ。

 

誕生日なんて

棺桶に入る日が

1年近づいただけなのに

何が、そんなにめでたいんだ?

 

子供だった碧音は、それをそのまま

信じてしまい、それを何十年も

刷り込みとして思い込んでいた。

だから、自宅で誕生日会をやった

こともなければ、両親に祝って

もらったこともない。

当然、誕生日プレゼントもない。

 

 

これは想像だが、誕生日プレゼントを

買う余裕がなかったのだろう。

母親が、無理やり考えた理由

だったのかもしれない。

だが、子供にそんなことは関係ない。

親の言うことは絶対だと信じる子供は、

どれだけバカげた嘘でも信じてしまう。

 

 

幼稚園や学校で誕生日会をされると、

碧音だけ居心地が悪かった。

それは、誕生日は死ぬ日が近づいた

だけだと考えていたため、純粋に、

自分の生まれた日をお祝いする気に

なれなかったからだ。

 

 

子供は、親の言うことは間違って

ないと、根拠なく、信じてしまう。

どんなにバカげた嘘だったとしてもだ。

そのバカげた嘘のせいで誤学習をして

しまい、何十年もの間、碧音は、

自分の誕生日は忌むべきものと

誤った考えを持ってしまっていた。

 

 

両親にしては、さぞ、楽だっただろう。

誕生日のたびに出費は抑えられ、

子供に文句を言われることもない。

でも、自分が生まれてきた日が

【死に近づいた忌むべき日】と

誤学習した碧音は、自分自身が、

産まれたこと自体を慶ぶ機会を

完全に失った。

 

 

その影響は、今でも続いている。

今は、自分が生まれた日を喜ぶ

まではできないまでも、誕生日

プレゼントを買ったり、何かを

体験する日にしているが、子供の頃、

感じていた居心地の悪さは健在だ。

 

 

ちなみに、碧音が、両親の誕生日を

祝ったことは一度もない。

死に近づいただけと教えたのだ。

当然のことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代が変わったと感じたこと

2025-02-23 14:00:00 | ひとりごと

先日、初めて行く場所に

スマホ片手に目的地を

探していたのだが、よく

分からず、困っていた。

 

 

そこに大きな荷物を運ぶ

宅配便業者がいたので、

聞いてみた。

すると、その業者もスマホを

取り出し、住所を聞いてきた。

それを見て…

 

あぁ…

時代は変わったんだな…

 

と思った。

昔は、宅配業者やその辺のお店で

配達している業者に聞けば、

大体、この辺だと即答し、

そこまで行くには、何を目印にして、

どこの交差点をどちらに曲がれば

いいのかまで細かく説明してくれた。

 

 

方向音痴の碧音は、そんな人たちに、

何度助けられただろうか。

でも、今は、ナビが車についてる時代。

ナビを頼りにしていると、目印とか

全く関係なく、何も考えずにナビ

通りに運転すればいいだけだ。

 

 

でも、それは、本当にいいことか、

ついつい、考えてしまう。

【考える】とか【周りをよく見る】

ということができなくなる気がした。

タイパという言葉がある。

それは、効率的という意見もあるが、

脳の退化も促すような気がして

ならない碧音である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DVとは? ーどんな関係のことなのか?ー

2025-02-21 18:00:00 | 複雑性PTSD・トラウマ(学び)

DV(ドメスティック バイオレンス)

 

この言葉が浸透してきたが、

DVの定義を一言で言える人は、

どのくらいいるのだろう?と、

たまに、考えることがある。

DVとは…

 

主従関係ができており

支配する側と支配される側で

役割が決まっている

対等な関係ではない状態のこと

 

簡単に説明すると、こんな感じだ。

よくDVというと、配偶者や恋人から

ボコボコに殴られて、体中あざだらけ…

こんな人のことをDV被害者と呼んでいる

人が多いのではないだろうか?

 

 

実際、そのような身体的DV被害者は、

DV被害者全体の3,4割程度だ。

その他のDV被害者のほとんどが、

モラハラや精神的DV、経済DVに

より逃げられない環境に追い込まれ、

思考停止した状態で、常に、従う

ことしかできなくなる人が多い。

 

 

つまり、対等な関係ではなくなり、

従うことしか許されない環境や状態の

人のことをDV被害者、常に、支配する

ことしか考えない人のことをDV加害者

と呼んでいる。

 

 

ただ、これは大人同士の関係のことだ。

それでは、子供は、どうだろうか?

子供から見て、親は対等な存在ではない。

体力的にも、精神的にも、経済的にも、

子供は親に頼らなければ、生活すら

ままならない。

 

 

親には【養育者】という役割の他に

【保護者】という役割もある。

(この二つの役割を果たす権利の

ことを親権、監護権という法律

用語で表現されている)

 

 

これは、社会から害のあるものや人

から子供を守る役割のことである。

ということは、もし、この親が、

養育者や保護者としての役割を放棄し、

子供を自分の感情のままに支配する

ような環境であれば、それはDVが

発生しやすい環境ということだ。

 

 

ここに身体的暴力があるかどうかは、

特に、問題ではない。

支配する側と支配される側、対等な

人間として大切に扱われず、常に、

子供の意思とは関係なく、【従う】

という選択肢しかないのであれば、

それは立派なDVである。

 

 

親が性的欲求を発散するために子供を

利用すれば、性虐待となり、社会で

自分の思い通りにならないイラつきを

子供にぶつければ、暴言や暴力となる。

どちらも力ではかなわない子供に

抵抗する術はないのだ。

 

 

碧音にとって、両親二人とも、

DV加害者である。

母親は父親から身体的DVを受けて

いたものの、その腹いせとして、

碧音は母親からも身体的、精神的

DVを受けてきている。

 

 

何十年もたった、今、その影響を

強く感じている。

碧音自身、母親からもDVを受けて

きたことを自覚したのは、

つい、最近のことである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虐待サバイバーあるある? ー 手帳が安心安全な場所じゃなかった ー

2025-02-07 19:00:00 | 手帳・文具関連

10年日記を書いている碧音。

初年度は7年前である。

その7年前の日記を読んで、

感じたことがある。

 

手帳が安心安全な

場所になってない

 

7年前というと、母親が、まだ、

施設にいた頃である。

当時、自分のやりたいことを

やろうとカメラ講座に通っていた。

 

 

ただ、行動ができず、苦しい

思いをしていた。

そんな中で書いた日記の中に

 

予定をきちんと立てなければ…

 

という言葉があった。

行動できないのは予定を立てて

なかったからではない。

気力・体力がマイナスになって

いたことが原因だ。

なのに、予定を立てない自分が

悪いという自責を延々としていた。

 

 

今なら、これが逃避や論点の

すり替えをしてるだけと分かるが、

碧音は、自分が困ってるという

自覚が持てないことが多い。

恐らく、当時の碧音も困ってる

ことに気付けなかったのだろう。

感覚としては…

 

なんか、よく分からないけど

行動できない…

予定立ててないからかな?

 

こんな感じである。

予定を立てても、なぜか、

外出できない。

撮りに行っても頭がフリーズ…

 

何を撮ったらいいか

分からない…

 

こんなことを何度も繰り返していた。

そこで、手帳に何を書いていたか?

 

 

自責のオンパレード

 

 

これでは、学習性無力感しか育たない。

行動できなくなって当然である。

ちなみに、今は、手帳が安心安全な

場所になっているため、きちんと

行動できるようになっている。

 

 

今は、できたことしか書いていない。

普通は、TODOやTOBEのリスト、

いろいろな予定を書くのが普通だ。

だが、当時から今に至るまで、碧音に

必要なのは健康ログや体調記録、

できたことリストだった。

 

 

最後の【できたことリスト】を書く

ようになってから、徐々に、行動が

できるようになっている。

TODOやTOBEが、碧音の中で

~すべき、~ねばならないと

脳内で変換されていたのだ。

 

 

できないと一人反省会が始まる。

なぜ、できなかったのか?という

一人尋問会が手帳の中で繰り広げ

られるのだ。

 

 

よく手帳は人と違って、何も

言わないし、全てを受け入れて

くれる【安心安全な場所】である

というインフルエンサーが多い。

 

 

だが、虐待サバイバーは【安心安全な

居場所】作りが苦手なのだ。

世の中のインフルエンサーのやってる

ことを真似すると、自己受容のできない

虐待サバイバーは一人反省会という

居心地の悪い場所に変えてしまう。

そのことに気付いた碧音は、手帳に

 

できたことしか書かない

 

というルールだけを作った。

そしたら、いろんなことがうまく

いくようになっていった。

 

 

もし、7年前の日記を読まなければ、

きっと、このことに気付けなかった

だろう。

やはり、連用日記は、碧音に合っている

と、改めて、感じたことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後悔してること ー 家族写真 ー

2025-02-06 18:00:00 | ひとりごと

昨日、やっと、飼っていた仔たちの

家族写真を飾ることができた。

以前、碧音はハムスターと

わんこを飼っていた。

ハムスターは5年、わんこは19年

一緒にいてくれた。

 

 

写真はあったが、飾ることが

できずにいたのだ。

それは、どちらも、碧音の不注意から

あっという間に亡くなったからだ。

 

 

ハムスターは、もう、目が見えず、

高いところに放すことはできないのに、

やむを得ず、高いところに置いてしまった。

すると、目を離した隙に落ちてしまった。

病院に連れて行ったが、手遅れだった。

 

 

後悔の気持ちと一緒にいてほしいという

気持ちから3日間、つきっきりでいた。

でも、ふと、気付いた。

泣いてる碧音のために、この仔は

苦しいのに逝かずにいてくれてることに。

 

 

そろそろ、逝かせてあげないと

苦しめるだけだ…

 

 

そう思って、こんな声をかけた。

 

 

もう、大丈夫だよ

もう、頑張らなくていいよ

 

 

そう伝えると、眠るように息を

引き取った。

碧音が目を離さなければ、もっと、

生きてくれたかもしれない。

そう思うが、ハムスターの寿命は3年。

それに比べると長生きの方である。

 

 

それ以上に一緒にいてくれたのが、

19年一緒にいてくれたわんこ。

この仔の時は、もう、老年だったため、

抗生剤を少量づつ点滴してもらっていた。

いつもの先生ではなく、そのことを

伝え忘れ、強い副作用で1週間で

亡くなった。

 

 

亡くなったきっかけが碧音だったこと。

これも原因の一つである。

だが、もう一つある。

碧音は、以前、カメラの講座を受けた

ことがある。

修了後、最後の課題として

 

家族写真を撮ること

 

を勧められた。

家族というのは【血縁】の家族ではなく、

自分が【家族】と思っている人との

写真を撮るようにということだった。

 

 

碧音の家族は、この仔たちだ。

でも、家族写真を撮ることはできず、

そのまま、亡くなった。

体調不良を言い訳にやろうとしなかった。

そんな自分のことも責めていたように思う。

 

 

だが、なぜか、昨日、手元にある

この仔たちの写真を見て…

 

写真を飾ろう

この仔たちの思い出まで

なかったことにしていいわけない

 

そう思って、プリント、買って

あったフレームに入れた。

家族写真は撮れなかったが、昔、

自分が撮った写真を飾った。

 

 

碧音にとって、人間の家族は

法律上の家族に過ぎない。

なので、遺影すら飾っていない。

葬儀の時に使った父親の遺影は、

母親が他界後、燃えるゴミに出した。

母親の時は、自宅用の遺影を作らず、

納骨堂に収まる小さい遺影のみ作った。

死んだ後まで、あの二人の顔など

見たいとも思わない。

 

 

でも、この仔たちは違う。

碧音を守ろうとしたり、元気づけようと

いろいろ頑張ってくれた仔たちだ。

だから、碧音の家族写真は人間ではない。

それでも、家族写真に納まっている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする