数か月前、電車の中で、
若い子(おそらく、中高生)が、
碧音に対して文句を言ってる
のが聞こえてきたことがある。
碧音は、座席に座っており、
休日だったこともあり、
若い子が多く乗っていた。
今は、リュックの人は、電車の
中では前に抱えるようにする
人が増えていたし、車内放送でも
リュックの人はそうするように
放送されていた。
にもかかわらず…
背中にリュックを背負ったまま、
碧音の座席の背もたれに寄りかかり、
碧音の頭と肩に当たってしまい、
まっすぐ座ることができずにいた。
やむを得ず、腕を動かすことで、
当たってることに気付いてもらおうと
腕を動かしてみた。
それで、気付いたのはいいものの…
一緒にいる家族か彼氏らしき人に
文句を言っていた。
若いから仕方ないかもしれないが、
人に迷惑かけているのだから当然だ。
が!!しかし!!
一緒にいる男性の言葉に耳を疑った。
そんなことするなんて
ひどいね…
と寄り添った言葉かけをしていた。
正直…
こんな場面でも寄り添い?
どんだけ寄り添い好きなんだよ…(汗)
と思ったのは言うまでもない。
こういうことは、一緒にいる人が
視点を変える質問や問いかけを
するのが普通なのではないだろうか?
少なくとも、中高生の頃の碧音の
周りには、そういう人がいた。
何というか…
貴族のご子息、お嬢様
とでも思ってんのか?
(あ… まだ、昔の貴族の子供の
方がましだよね…
だって、自分の果たすべき
義務と責任を分かってたから…)
一人の人間として、
大事に扱うことは大切だ。
だが、このような公の場での
立ち居振る舞いは、本当に、
家庭での養育状態やどんな教育を
しているのかが、一目瞭然だと、
改めて、感じた。
もし、彼女たちと同じ年齢の
碧音なら、リュックが当たってた
ことに気付いた時点でお詫びの
言葉は出ていただろう。
なぜなら、リュックが当たって
相手に不快な思いをさせて
しまったのだから当然のことだ。
【今の若い子たち】と一括りに
するのは、個人的に好きではない。
だが、こういう若者を見ると…
大事に扱われすぎても
問題だなぁ…
きっと、過保護に
育てられたんだろうな…
という白けた感覚しかない。
最近は、悟り世代、z世代など
いろいろ言われてるが、
とてもじゃないけど、悟ってる
若者が増えたとは思わない。
かえって、大事にされすぎて
義務や責任も果たさない昔の
貴族のおバカなご子息、お嬢様が
大量生産されてしまったんだね
と哀れさしか感じない。
こんなことを言うと【老害】と
いろいろ言われるのだろうけど、
お気の毒な頭と若さしかない若者に
嫉妬することはないだろう。
老害を口にする若者は、そんな
視点でしか目上の人に対して
考えられないのだから…。
残念さしか感じない碧音である。
先日、初めて行く場所に
スマホ片手に目的地を
探していたのだが、よく
分からず、困っていた。
そこに大きな荷物を運ぶ
宅配便業者がいたので、
聞いてみた。
すると、その業者もスマホを
取り出し、住所を聞いてきた。
それを見て…
あぁ…
時代は変わったんだな…
と思った。
昔は、宅配業者やその辺のお店で
配達している業者に聞けば、
大体、この辺だと即答し、
そこまで行くには、何を目印にして、
どこの交差点をどちらに曲がれば
いいのかまで細かく説明してくれた。
方向音痴の碧音は、そんな人たちに、
何度助けられただろうか。
でも、今は、ナビが車についてる時代。
ナビを頼りにしていると、目印とか
全く関係なく、何も考えずにナビ
通りに運転すればいいだけだ。
でも、それは、本当にいいことか、
ついつい、考えてしまう。
【考える】とか【周りをよく見る】
ということができなくなる気がした。
タイパという言葉がある。
それは、効率的という意見もあるが、
脳の退化も促すような気がして
ならない碧音である。
昨日、やっと、飼っていた仔たちの
家族写真を飾ることができた。
以前、碧音はハムスターと
わんこを飼っていた。
ハムスターは5年、わんこは19年
一緒にいてくれた。
写真はあったが、飾ることが
できずにいたのだ。
それは、どちらも、碧音の不注意から
あっという間に亡くなったからだ。
ハムスターは、もう、目が見えず、
高いところに放すことはできないのに、
やむを得ず、高いところに置いてしまった。
すると、目を離した隙に落ちてしまった。
病院に連れて行ったが、手遅れだった。
後悔の気持ちと一緒にいてほしいという
気持ちから3日間、つきっきりでいた。
でも、ふと、気付いた。
泣いてる碧音のために、この仔は
苦しいのに逝かずにいてくれてることに。
そろそろ、逝かせてあげないと
苦しめるだけだ…
そう思って、こんな声をかけた。
もう、大丈夫だよ
もう、頑張らなくていいよ
そう伝えると、眠るように息を
引き取った。
碧音が目を離さなければ、もっと、
生きてくれたかもしれない。
そう思うが、ハムスターの寿命は3年。
それに比べると長生きの方である。
それ以上に一緒にいてくれたのが、
19年一緒にいてくれたわんこ。
この仔の時は、もう、老年だったため、
抗生剤を少量づつ点滴してもらっていた。
いつもの先生ではなく、そのことを
伝え忘れ、強い副作用で1週間で
亡くなった。
亡くなったきっかけが碧音だったこと。
これも原因の一つである。
だが、もう一つある。
碧音は、以前、カメラの講座を受けた
ことがある。
修了後、最後の課題として
家族写真を撮ること
を勧められた。
家族というのは【血縁】の家族ではなく、
自分が【家族】と思っている人との
写真を撮るようにということだった。
碧音の家族は、この仔たちだ。
でも、家族写真を撮ることはできず、
そのまま、亡くなった。
体調不良を言い訳にやろうとしなかった。
そんな自分のことも責めていたように思う。
だが、なぜか、昨日、手元にある
この仔たちの写真を見て…
写真を飾ろう
この仔たちの思い出まで
なかったことにしていいわけない
そう思って、プリント、買って
あったフレームに入れた。
家族写真は撮れなかったが、昔、
自分が撮った写真を飾った。
碧音にとって、人間の家族は
法律上の家族に過ぎない。
なので、遺影すら飾っていない。
葬儀の時に使った父親の遺影は、
母親が他界後、燃えるゴミに出した。
母親の時は、自宅用の遺影を作らず、
納骨堂に収まる小さい遺影のみ作った。
死んだ後まで、あの二人の顔など
見たいとも思わない。
でも、この仔たちは違う。
碧音を守ろうとしたり、元気づけようと
いろいろ頑張ってくれた仔たちだ。
だから、碧音の家族写真は人間ではない。
それでも、家族写真に納まっている。
最近、寒い日が続いている。
少し前に、かなり寒い日が2,3日
続いたことがあった。
一日自宅にいると、ずっと、
暖房をつけることになる。
当然、燃料である灯油がなくなる
のが早くなる。
毎日のように暖房をつけっぱなしに
していた結果、灯油缶の灯油が切れた。
でも、寒い日が続く。
暖房なしでは、碧音自身が危ない。
いつも来る灯油屋さんは、まだ、
2,3日先にしか来ない。
そんなわけで、自宅にファン
ヒーターの代わりになるものが
ないか探してみた。
そう言えば…
母親が使ってた
ストーブが
あったような気がする…
そんなわけで和室を探すと
何とか、見つけた。
母親が他界後、処分しようと
考えていたものだった。
しかも、灯油が、かなり入ってた。
助かった
母親が亡くなってから、もう、
3,4年はたっている。
まさか、こんな形で助けられる
とは全く考えていなかった。
そんなわけで、ストーブを
使っているわけだが… これが、
案外、使えると感じ始めている。
石油ファンヒーターは電気と灯油、
両方が必要だが、石油ストーブは
灯油だけで電気代がかからない。
冬の電気代は、結構、バカにならない。
そこで、今日は、ストーブつけながら、
スープの温めをストーブでやってみた。
時間はかかるが、やることがある時に、
ストーブにかけておけばいいのは楽だ。
火にかけているので注意は必要だが、
煮込み料理にも使えるかもしれない。
(昔は、それが当たり前だった)
ちなみに、乾燥予防にキャンプ用の
やかんに水を入れてお湯を沸かしている。
いつもは、電気ケトルを使っているが、
水がおいしく感じるのは気のせい
だろうか?
生前、母親に守ってもらった
ことはない。
だが、他界した後の母親の遺品に
助けられるとは思ってなかった。
そんなことを考えつつ、石油ファン
ヒーターではなく、石油ストーブを
愛用するようになった碧音である。
以前、自分の相談者、理解者に
する人には【余裕のある人】を
選ぶよう勧めたことがあった。
(記事は、こちら)
先日、調子が悪く、吐き出しが
必要と考え、いつも、お世話に
なっているところに電話した。
話がひと段落し、カウンセリングを
受けてるか確認された。
目的がはっきりしてないと効果が
出ないため、今は、ピアカウンセリング
しか受けていないと伝えた。すると…
カウンセリングとは?
カウンセリングの効果が
出ない理由
について説教開始。
最期は、この言葉で締めくくられた。
ここは、そういう話をする
ところではありません
・・・ は?
ちなみに、碧音は、こういう話を
その電話相談で何度もしている。
もしかしたら、対応に関する
基準が変わった可能性もある。
だとしても… 言い方という
ものがあるだろう。
しかも、今、カウンセリングを
受けるだけのエネルギーのない
状態の碧音に対し…
カウンセリングは、前に
進みたい人のためのもの
と言い切りやがった。
(口悪くて申し訳ない)
そもそも、カウンセリングを受けに
来る人の心理状態というのは、決して、
前向きに取り組める状態ではない。
しかも、心身ともに弱っており、
エネルギーが枯渇している人に対し、
【前向きになれ】は禁句である。
精神疾患を抱える患者に
松岡修造は必要ない。
世の中には、このような
支援者がごまんといる。
このようなことが増えれば、
学習性無力感だけが育つ。
こんな自分勝手な支援者に
傷つけられる人がいることを
考えると、やるせない気持ちになる。
碧音は、心理学習をやっている
最中のため、途中で気付き、
こちらから電話を切ることができた。
知らなかったらと考えるとゾッとする。
余裕のない支援者につながる
危険性を痛感した碧音である。