Chiakiの徒然日記

盲腸顛末記

高校1年の夏休み直前、私は急性虫垂炎(盲腸)になった。
折悪しくも、終業式の前日から「セミナー合宿」と言って、学校内にあるセミナーハウスに泊まり込みが
行われていたときだった。
初日は、全然何ともなかった。通常の授業を終え、セミナーハウスに入り、
英語だったか国語だったかの授業を受け、食事をし、そのまま食堂で勉強し…で就寝。
そして2日目が終業式だった。
午前中に授業があり、午後から終業式。
セミナーハウスから届いたお弁当を食べているころから、お腹に痛みを感じていた。
そして、終業式。痛みが強まっているのを感じていた。
終業式終了後、担任に「お腹が痛い」ということを訴えた。
担任から保健室に行ってくるように指示があり、その指示に従った。
養護の先生曰く「盲腸の可能性も否定できない」。
そのことを担任にも伝えたが、「ふーん、そう」で終わり。
前日に、クラスメイトの半分くらいが家に電話を掛けまくっており、電話の使用が禁じられていたので、
親に連絡を取ることもできず、その日の夜は痛みと格闘しながら明かした。
セミナー合宿最終日、夏休みの初日。
7時半からの夏課外を90分×3コマ(国語、英語、数学)受けた。
担任が英語、一緒にセミナーハウスに泊まり込んでいた先生が国語、ということで、
私の状態は知っていたはずなのに、「帰った方がいいよ」という言葉は一度も聞かれなかった。
すでに、自力で帰ることが困難だったので、課外が終わると家に電話をして迎えに来てもらった。
そして、病院の昼休みが終わる頃、病院に駆け込んだ。
このときの診断は「まだ断定はできないけど、虫垂炎の可能性大」だった。
必ず翌日に診せるようにと言われて、一度帰宅。
その後、熱が上がってきた。
父が帰宅するや、私の状態を見て、すぐに地域医療センターにつれていくように母に言った。
このときで、熱が39度に迫ろうとしていた。
地域医療センターで診察を受けると、虫垂炎の診断が確定。
そのまま入院となり、翌日手術。
手術の数日後、担任がお見舞いにやってきた。
自分が早く連絡しなかったことをしきりに母に詫びていた。

翌年のセミナー合宿のしおりには、この一文が付け加えられていた。
「担任は、生徒の具合が悪くなった時には、ただちに保護者に連絡を入れること」

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