克堂(若槻禮次郎)
我が家にこんな掛け軸があって、これが読めない。
家人の友人の父上の家を、克堂氏が訪問された折に揮毫して貰ったもので、
友人が父上から、家人が友人から譲られた。のだそうだ。
(県庁前の胸像が克堂氏だと云うことに今日まで気がつかないで居た。
なんだか申し訳ないような気がする)。
落款のない書は価値がない。という。
家人はまるきり関心がないようで、私もオオアリというわけでもないけど
読めないのが気になる。
私の友人に長く書をやっている人がいて、「読めない部分を読んで」と
頼んだが、「読めないので師匠に読んで頂くよう頼んであげる」という。
それから・・・大分月日が経ったが、彼女も忘れてしまったらしい。
彼女のグループの書展を毎年見に行くが、読めるものより読めないものの
方がずーっと多い。
書は読まなくても良い、見るものなのだ。と誰方かが言っていたが、
やはり読めないと気になる。 字は読める方が良い。と思う。
「ほらね,司馬光の漢詩だよ。」
客中初夏
宋 司馬 光
四月清和雨乍晴
四月 せいわ 雨ながら晴れ
南山當戸轉分明
南山 こに当って うたた分明なり
更無柳絮因風起
更に りゅうじょ の風によって起こることなく
惟有葵花向日傾
ただ葵花の日に向かって傾くあるのみ
訳 (松原 朗)
初夏の陰暦四月、雨はにわかにあがって、のどかに晴れた。
南山は、旅館の正面に、いよいよくっきりと見える。
もう柳絮(りゅうじょ)が風に吹かれて舞いあがることもなく、
ただ蜀葵の花が太陽に向かって傾いているだけだ。
「え~どうやったの?教えて」「漢詩の最後の
惟有葵花向日傾を検索すると出てくるよ」「わ~ほんとパソコン偉いね」
パソコンは努力をおしんで「知ってるふりする」のが得意の私にピッタリでした。
御子息さま
有難うございます。感激でございます!
積年の疑問が忽ちにして解決いたしました。
家人はもう寝みましたが、明朝早速に報告致します。
最後の七言を検索するんですか~。ウーム。
今日土曜日で
訳まで付けて下さって。
この頃何故か毎日何かアップすることになってしまって、今日は苦しまぎれに床の間の掛け軸を。
こんな嬉しいことあるんですね。寝ないでいてよかったわ。
これから折あるごとに、応用して家人に教えてあげましょう。 では良い休日を
わからないことがあると、気になりますものね。
june さま。
Weさんの専門分野ですね。
あなたのおかげで、この頃 中国文化にも目覚めてしまって忙しいこと、忙しいこと。
何しろスローペースなので、あまり目覚めたりしない方が良いと家人は云いますし、別居家族は目覚めたほうが良いと云いますし。
立場、立場で意見がちがいます。
どちらにしましょうか?