□本日落語一席。
◆三遊亭遊かり「親子酒」(寄席チャンネル『鮮 あざやか』)。
両国江戸東京博物館小ホール、令和3(2021)年12月12日(「三遊亭遊かり独演会」vol.9)。
今のように、女流落語家が百花繚乱ではなかったとき、落語というのが伝統的に男が語るようにできているのだから、女が語るのは難しいなどと言われていた時代があった。さすがに、今どき、そんなことを口にする向きは少なくなったろう。
ただ、昨日聞いた佑輔のネタでも、今日聞いた遊かりのでも同じことを感じたことがある。男が落語ネタを語る際、登場人物に女が出てくると、女としてのしゃべりの型みたいなものや、デフォルメされた演出が施されていると思う。
それを女流落語家が、男の師匠や先輩に教わったとおりとか、または、過去の落語家(男)の音源や映像から学ぼうとすると、登場人物の女の語りや所作が逆に不自然なものになってしまう。
だから、女流落語家が女を演じる際、いっさいのバイアスを排して演じれば、自然と女が語ったりふるまったりしているように、客には受けとられて良いのである。
でも、こんなふうに演じられている女流落語家は少ない。こういうのが自然で巧いなと思うのは、上方落語家では、桂あやめと露の都、そして、都の弟子の紫もとても聞きやすい。
ただ、東西でちょっと違いがあるかもと思うのは、上方落語の場合、現在の関西言葉をほぼそのまま使っても、古い時代の大坂や京都の言葉に通じるところがあるけれど、東京だと、現在の標準語は、そのままだと江戸時代の言葉にならないという特徴がある。
だから、東京の落語家は、男の師匠や先輩が使う、古い時代の江戸言葉を覚えるのと同時に、形式化された女の言葉や所作もいっしょに継承してしまうのだろう。それでも、蝶花楼桃花や、春風亭一花のように、わりと自然な女の語りをする者もいる。これは天性のものだろうか。
◆三遊亭遊かり「親子酒」(寄席チャンネル『鮮 あざやか』)。
両国江戸東京博物館小ホール、令和3(2021)年12月12日(「三遊亭遊かり独演会」vol.9)。
今のように、女流落語家が百花繚乱ではなかったとき、落語というのが伝統的に男が語るようにできているのだから、女が語るのは難しいなどと言われていた時代があった。さすがに、今どき、そんなことを口にする向きは少なくなったろう。
ただ、昨日聞いた佑輔のネタでも、今日聞いた遊かりのでも同じことを感じたことがある。男が落語ネタを語る際、登場人物に女が出てくると、女としてのしゃべりの型みたいなものや、デフォルメされた演出が施されていると思う。
それを女流落語家が、男の師匠や先輩に教わったとおりとか、または、過去の落語家(男)の音源や映像から学ぼうとすると、登場人物の女の語りや所作が逆に不自然なものになってしまう。
だから、女流落語家が女を演じる際、いっさいのバイアスを排して演じれば、自然と女が語ったりふるまったりしているように、客には受けとられて良いのである。
でも、こんなふうに演じられている女流落語家は少ない。こういうのが自然で巧いなと思うのは、上方落語家では、桂あやめと露の都、そして、都の弟子の紫もとても聞きやすい。
ただ、東西でちょっと違いがあるかもと思うのは、上方落語の場合、現在の関西言葉をほぼそのまま使っても、古い時代の大坂や京都の言葉に通じるところがあるけれど、東京だと、現在の標準語は、そのままだと江戸時代の言葉にならないという特徴がある。
だから、東京の落語家は、男の師匠や先輩が使う、古い時代の江戸言葉を覚えるのと同時に、形式化された女の言葉や所作もいっしょに継承してしまうのだろう。それでも、蝶花楼桃花や、春風亭一花のように、わりと自然な女の語りをする者もいる。これは天性のものだろうか。