□本日落語二席。
◆桂文珍「茶屋迎い」(NHK総合『桂文珍の演芸図鑑』)。
東京渋谷NHK放送センター、令和4(2022)年8月21日OA。
文珍の「茶屋迎い」を聞くのは十五年ぶりである。かつて上方落語「茶屋迎い」は滅びかけていて、それを東京の六代目三遊亭圓生がひき継ぎ、「不孝者」という演目で演るようになったと解説書などで記されている。
自分の疑問としては、さて、上方落語「茶屋迎い」は、どれくらいの感じで滅びかけていたのだろうかと思うものである。ちなみに、自分が「茶屋迎い」のいちばん古い音源を聞いたのは四代目林家小染。昭和62(1987)年5月~7月あたりに演じられた千里セルシーホールでの高座。もし、滅びかけていたというのだったら、先代の小染はこれをこのとき復活させたというくらいの感覚になるのだろうか。また、音は聞いたことがないけれど、同じ昭和62(1987)年に桂雀三郎が毎日放送『ザ・上方寄席』という番組で演じたという記録もある。
この昭和60年代というと、上方落語界の衰退期をしだいに脱してきたという時期なのだろう。これ以前の昭和30~50年代というのは、上方の落語家がそれこそ十数人とか数十人というレベルに低迷していた時期だ。
だから、「茶屋迎い」という落語が滅びかけていたというより、上方落語界が滅びかけていて、まだ東京に移植されていない落語は、必然的に滅びかけていたというのが実態なんじゃないだろうか。
もっと古い時代の「茶屋迎い」の音源があったら聞きたいものだ。
また、「茶屋迎い」は、途中まで東京落語「木乃伊取り」とよく似た筋で展開される。『増補 落語事典』では、上方落語「茶屋迎い」に相当するものを、東京落語「木乃伊取り」と言うのは誤りだと記しているが、両者がまったく無関係だと思われない。もとになった噺もさがしてみたい。
◆『笑点』大喜利:春風亭昇太(司会)/三遊亭小遊三・春風亭昇也(六代目三遊亭円楽代演)・林家たい平・林家木久扇・三遊亭好楽・桂宮治(日本テレビ『笑点』第2824回。
後楽園ホール、令和4(2022)年8月21日OA。
◆桂文珍「茶屋迎い」(NHK総合『桂文珍の演芸図鑑』)。
東京渋谷NHK放送センター、令和4(2022)年8月21日OA。
文珍の「茶屋迎い」を聞くのは十五年ぶりである。かつて上方落語「茶屋迎い」は滅びかけていて、それを東京の六代目三遊亭圓生がひき継ぎ、「不孝者」という演目で演るようになったと解説書などで記されている。
自分の疑問としては、さて、上方落語「茶屋迎い」は、どれくらいの感じで滅びかけていたのだろうかと思うものである。ちなみに、自分が「茶屋迎い」のいちばん古い音源を聞いたのは四代目林家小染。昭和62(1987)年5月~7月あたりに演じられた千里セルシーホールでの高座。もし、滅びかけていたというのだったら、先代の小染はこれをこのとき復活させたというくらいの感覚になるのだろうか。また、音は聞いたことがないけれど、同じ昭和62(1987)年に桂雀三郎が毎日放送『ザ・上方寄席』という番組で演じたという記録もある。
この昭和60年代というと、上方落語界の衰退期をしだいに脱してきたという時期なのだろう。これ以前の昭和30~50年代というのは、上方の落語家がそれこそ十数人とか数十人というレベルに低迷していた時期だ。
だから、「茶屋迎い」という落語が滅びかけていたというより、上方落語界が滅びかけていて、まだ東京に移植されていない落語は、必然的に滅びかけていたというのが実態なんじゃないだろうか。
もっと古い時代の「茶屋迎い」の音源があったら聞きたいものだ。
また、「茶屋迎い」は、途中まで東京落語「木乃伊取り」とよく似た筋で展開される。『増補 落語事典』では、上方落語「茶屋迎い」に相当するものを、東京落語「木乃伊取り」と言うのは誤りだと記しているが、両者がまったく無関係だと思われない。もとになった噺もさがしてみたい。
◆『笑点』大喜利:春風亭昇太(司会)/三遊亭小遊三・春風亭昇也(六代目三遊亭円楽代演)・林家たい平・林家木久扇・三遊亭好楽・桂宮治(日本テレビ『笑点』第2824回。
後楽園ホール、令和4(2022)年8月21日OA。