えんじゃけん

作品の楽しみ方

一つのことに対しての人の思いとはひとつではない。
沢山の思いがある中から、一番強く思うもの、
あるいは、一番そうでありたいものを自分の思いと思い、
表現し、行動していこうとするものであると思う。
だから、必ず、表現されるものとは違った思いも心の中では存在する。

だから、そんな不確かな人間の心が作り出す作品(文学・絵画等)全てが、
一つの解釈で成り立つものというのは稀であり、
論理的にがっちりと辻褄が合うものも少ないだろう。
もし、ひとつの解釈でしか考えられない作品であったとしたら、
それはその作者の意図が強すぎて、いい作品とはいえないと思う。
作品とは、作った時点で作り手から離れていくもの。
それをどう感じ、どう思うかはそれぞれの受け手にまかされるもの。
だから100人いれば、100通りの解釈が生じ、
そのどれもが間違いではなく、その受けとり手にとっての真実であると思う。
解釈とは「物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること(大辞泉)」で
あるのだから。

自分の解釈をいかに正しいかということにどんな利点があるのだろう。
言い合っても始まらない。
いいじゃないか、どんな解釈があろうとも。
もし、どうしてそんな風に解釈したのかと聞かれるなら、
説明のしようがあるけれども、「その解釈は違う」と言われたなら、
そうですか、というしかないだろう。
その人にとって違うだけであり、私にとっては真実なのだから。
他人の解釈を読んでいいなぁと思えば、その解釈に考えを変えることは
あるにしても、無理に変えさせられるのは変な話だ。
だから、私は人の解釈に嫌だということはあるにしても、
間違っているとか、考えが浅いとかいうのは違うと思う。

だからみんな自分の解釈に自信をもっていいんだよ。
いろいろな解釈があるから面白い。
それは自分にとっての真実であり、それが自分である証なのだから。
そして何より作品を楽しむのは他人のためではなく、
自分のためなのだから。
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