私は、岡本さんが生きているころ、テレビに出ている岡本さんを
観て、「変わった人だなぁ。」と思うくらいでそんなには興味を
持たなかったものの、彼が亡くなってから最近、彼の書いた本を
読んで彼のファンになったひとりです。
今回の復活した作品はとっても大きな作品なんですけど、
大きいので、飾っている場所が少し狭い気がしました。
もっと、後ろからこの作品の全体像を眺めたいなぁって。
建物と建物の隙間に飾られているというイメージが強かった。
後ろにあまり下がって観れないので展示の仕方が少しもったいない。
すごく横長な作品です。雰囲気伝わるでしょうか?
作品の大きさは、縦5.5m、横30mので、岡本太郎の絵画では、
最大の作品なんだそうです。
メキシコ人実業家の依頼を受けて、岡本太郎が1968~69年にかけて、
なんども現地に足を運んで完成させた作品で、1970年の大阪万博の
シンボルとなった「太陽の塔」と対をなす作品と言われているそうです。
作品は、原爆の炸裂する瞬間をモチーフとされているようです。
しかし、過去の悲劇を嘆くをただ嘆くだけでなく、その悲劇を内包しながら、
その瞬間誇らかに「明日の神話」は生まれると信じた、岡本太郎の
痛切なメッセージがこめられているんだそうです。
人間、どんなにどん底に落ちようともかならず、這い上がるだけの強い
エネルギーをもっているということをこの作品に込めたかったんだそうです。
真ん中の白い人(骸骨)の部分は半立体になっています。
この壁画はもともとは新築のホテルロビーに飾られる予定だったものが、
依頼主の経営状況が悪化したた、そのホテルは未完成のままに放置され、
壁画も取り外され、行方が分からなくなっていたそうです。
しかし、岡本太郎さんのパートナーである岡本敏子さんが、長年その作品を
探し続け、やっと2003年にメキシコのある廃材置き場で作品を見つけました。
しかし、作品は 長年放置されていたせいで、かなりダメージを受けていたそうです。
敏子さんは岡本太郎さんの最大・最高の傑作をこのまま朽ち果てさせたくないと、
作品を日本に移送、修復した後に、広く一般公開を目指すプロジェクトを立ち上げました。
発見の後、所有者との間で所有権の移転交渉を進め、2005年春に合意に達しました。
4月には現地に技術者チームを派遣し、作品の解体・梱包作業を経て、
5月28日に無事日本に到着しました。
しかし、敏子さんは、この作品が完成する前に死んでしまうんですよね。
それもこの作品が、日本に到着してすぐに敏子さんの死が知らされたそうです。
敏子さんにも是非、この作品を見てほしかったなぁ。
作品の裏側も観れるようになっています。
発見されたときはジグゾーパズルのようにバラバラだったものを
透明アクリルで補強・つぎはぎしています。
1年かけて、バラバラで欠損部分もあった壁画を全面修復し
(愛媛県松山で行われたそうです)、メキシコで完成した当時のきれいな姿に
戻そうと懸命な作業を続けて来ました。
今は、日本テレビ敷地内に飾られていますが、2011年までには、
この絵のふさわしい場所へ移転され、恒久設置を目指しているそうです。
作品、向かい側に、太郎さんと敏子さんの大きな写真が飾られていました。
二人が一緒に再生された作品を見ているように設置されていました。
作品を並んで二人でみる太郎さんと敏子さん。
この作品を見る前に、青山の岡本太郎記念館へ行きました。
今、この「明日の神話」の公開にあわせて、
この作品が復活するまでの工程を展示しているんですよね。
合わせてみるとより作品への想いが分かると思います。
(このレポについては、また別枠で)
川崎の岡本太郎美術館でも関連展示が行われているんですよね。
そちらにも行ってみたいです。